私を構成する3要素
1. 笑い
今も昔もとにかく面白いものが好き。笑うのも、笑わせるのも好き。
芸人のラジオ、ライブ、バラエティ番組ばかりに浸ってる。バナナマンと鳥居みゆきのライブDVDは大体持ってる。バナナ炎炎の番組観覧に行ったり、鳥居みゆきのサイン会でハイタッチしたりした。あとおぎやはぎのラジオにリスナーとして出演したのは一生の自慢。
子供の頃はとにかくひょうきんで、昔の写真やビデオを見るといつもカメラに向かってふざけていた。パンツかぶってる写真、変なポーズで変な顔してる写真、手持ちのアクセサリーを頭から指先までつけてジャラジャラさせつつ自作の曲を口ずさんでソファーの向こうから現れたり隠れたりするビデオ。
高校では演劇部に入り、好んでコメディ作品を演じた。舞台にいる時、観客の反応が一番直に感じられるから喜劇が好きだった。涙を誘うような悲劇や、さわやかな青春劇、甘酸っぱい失恋劇ではどんなに上手く演じても客席が静まり返ってしまう。演じているとき客がどう感じているか分からない。その点、喜劇はダイレクトな反応が笑い声として返ってくる。ウケたりウケなかったり、その日の演じ手の台詞の調子や掛け合いの間、表情や体の動き方、客層によって微妙に違う。複雑な要素が干渉しあって成り立つ繊細な何か。いまだに正体は掴めないけど、一筋縄ではいかないところがまた笑いの面白さでもある。
大学では人が笑う仕組みを知りたくて卒論研究にするつもりだった。笑いの分野に詳しい先生がいなかったので諦めた。それとは別に、コメディタッチのドラマを撮った。大人しく見られがちな外見を逆手に取ればウケる自信があったので、思いっきりふざけた。ウケた。しめしめと思った。みんな、私と同じように面白いものが好きだ。笑えれば笑えるほどみんなからの評判はよかった。私が作ったおしゃれっぽい動画を見てもらったときの「きれいだったー」は信じられなくても、自分で面白いと思って作った動画の「おもしろかったー」には自信が持てた。
社会人になってから好きになった人はザキヤマみたいな人で、とにかく口が上手くてノリがよくてユーモアのセンスがある人だった。その人との恋愛を諦めた後に付き合った人とは、結局「つまらないから」という理由で別れた。合コンでは定番の「好きなタイプは面白い人です」を言う。
2. 物語
学生時代、授業をまともに聞いたことがほとんどなかった。大体、寝るか絵を描くかポエムか小説を書くか妄想してた。休み時間にはドッチボールの誘いを断って本を読んだ。友達とは本や漫画やアニメの感想で盛り上がった。社会の仕組みがどうとか、数字の組み合わせが何を意味するかとか、自分が将来どうなるかとか、どうでもよかった。人の感情が伴う物語にしか興味がなかった。
現在は、物語と何の関係もない仕事をしているが、だんだん辛くなってきた。思うに、一因は無機質なものの中にも物語を見出す「妄想力」が衰えてきたことにあると思う。昔は興味がないものでも無理矢理自分好みのストーリーに引き寄せて楽しもうとする気概とセンスがあった。歴史の登場人物に当時片想いしていた相手の名前を見出したり、ノートを彩るペンの色を好きなアイドルのメンバーカラーにしてみたり。今はそうまでして興味のないものに興味を寄せようという気がない。そんなことで自分を誤魔化せる気がしない。それに映画館に行けば好きな俳優や監督が一級の物語を提供してくれるし、小遣いの心配をせずにいくらでも漫画を買える。
歳をとれば好みも変わる。幼少からずっと変わらぬ好みと、変わる好みと。昔から好きなのは英雄譚だ。圧倒的な1人の英雄が周囲を惹きつけながら、葛藤や苦難を経て、弱きを助け強きを挫く話。私の雑な解釈だと新約聖書もそんな感じ。でも私の手近にあった分厚い冊子は新約聖書じゃなくてジャンプの方だった。キリスト教徒の人がなんて言うかわからないけど、ナルトは私にとってのイエスだった。大学生になって、日本の漫画からアメリカの漫画に興味がうつった。ちょうどその頃は「日本よ、これが映画だ」の大型映画をやっていた頃で、あまりに過多な宣伝量に辟易として、よく知りもせずアメコミを小馬鹿にしていた。でも大学の図書館でなんとなしに観たサムライミ版のスパイダーマンが激震が走った。アメコミヒーローなんて英雄中の英雄じゃん。メシアじゃん。なぜ気づかなかったんだろ。スパイダーマンとの出会いが人生に与えた影響は大きかった。映画スパイダーマン役の俳優が来日するとき、レッドカーペットの側に立つ権利を得た。そのとき、人生で初めて真剣に英語を勉強しようと思った。生きたスパイダーマンと会話をできる人生で唯一のチャンスかもしれないから。あのときほど勉強が楽しかったこともなかったかもしれない。
3. 収集癖と飽き性
いままで集めては飽きていったもの。
・メモ帳、シール、ペンなどの文具
・プロフィール帳
・NARUTOやメルヘヴンのトレーディングカード
・同人誌、アンソロジー
・嵐のライブや出演ドラマ映画のDVD、ジャニーズ雑誌、ライブグッズ、写真集
・マスキングテープ
・紙ナプキン
・フィギュア
・コスプレ衣装
・韓国コスメ
・リップクリーム
・マニキュア
・ドラッグストアのコスメ
・デパートのコスメ
今も集めてしまうもの。
・オーガニックコスメ
・固形石けん
・漫画
・インテリア
・服
・香水
とにかく物質主義というか。物が大好き。お金使って物を買うのが好き。そのせいで部屋が全然片付かない。お金貯まらない。みんななんでセーブできるのか不思議でならない。1つ買うと他にも揃えたり比べたりしたくなって2つ3つと増えていく。これが良くないと気付いてからは最初の1つめを買わないことにした。効果はあると思う。
集める割にはハマる期間が短くて長くても2,3年で飽きて他に興味が移ってしまう。その割に前に集めた物にも未練があるので捨てられない。最近はジモティーやメルカリなんかでお金に変えられるからいくらか手放しやすくなった。私は浪費家な癖にお金も集めたがる。むしろ浪費家だからか。
集めたがりな理由を考えてみた。たぶん、「人に勧めたい」が大きな理由な気がする。
ところで私は妹にお菓子を与えるのが好きだ。「美味しいでしょ?」と美味しいものを人と共有するように、「この化粧水がいいよ!」とか言いたいのだ。人に物をあげるのも好きだ。これも私のおすすめを共有できるから。喜んでもらえるとなんだか得意な気分になる。センスがいいと思われたいのもある。「こんないいもん知ってまっせ!」っていう。だから人に物を勧めたい。
1ついいものを見つけても満足できないのは、もっといいものがあるかもしれないから。好きなリップクリームを1つ見つけても、もっと好きなリップクリームがあるかもしれない。どこがいいか人に説明するにも、他との違いを説明できた方が説得力がある。自分でも納得できる。1つのものでは飽きてしまって、色々試したくなるっていうのもある。私が恋人と長く続かないのもそのせいかもしれない。付き合うと他と比べるのが難しくなる。関係性に飽きてしまう。100%好きな恋人でも、110%好きになる人が他にいるかもしれないと思ってしまう。比べられないから本当に好きかどうかも分からなくなる。私は全部のリップクリームを納得いくまで試してから、自分にとってベストなリップクリームを決めたい。でも人間社会はそうはできてない。難儀ですね。
いいなと思ったら応援しよう!
