わたしはだれかのATM
旅行から帰って毎日の生活が作業としか感じられない。ルーティンをこなすだけで毎日最期の日に突き進んでるだけと思える。
転職サイトのオペレーターさんからありがたいことだけどお電話いただいた。様々なアドバイスと私の現状分析。うちの支援施設にこないかという軽い勧誘もあったけど市役所に聞いてみると言って電話を切った。
正直に言うことが正しいなんて誰も思わない。ここで私のホントの気持ちを書いても誰も何も思わないし、へぇそう……くらいなもんだ。
まず、私自身が幸せでなければ私のすることは不幸をばらまくことになってしまう。
違うだろ、幸せになるために行動するんだろと言う人もいると思う。
あるいは、子ども時代に幸せでなかった時点で人生オワコンと言われるかも。私は今の社会でこんなはずじゃない、もっと別の生き方がしたかった、いやできる、したいと言う人、そう、あなたに向けて書いてる。
何かを作るとか他人に貢献するとかお金持ちになりたいとか他人にチヤホヤされたいとか、そーゆーのもういいですって言う人。
預金がなくなればそれでもいい。そっと消えるように社会から離れていく。誰も止めない。
私はなにかするため、やりたいことがある、やらなければならないことがあるとかで生きているのではない。他人からすれば私が生きてようがなんだろうがどっちでもいいし気にもしてない。私自身も私について興味がない。これまでも、これからも。
むしろ、どうやって毎日の生活をやめるかに興味がある。ミニマリスト(つつましい暮らしをする人)といえばよく聞こえるがそんなものではない。モーメンタリスト(瞬間だけよければいい人)やアナーキスト(世の中が正しく機能することを嫌う人)、とにかく私なしにつつがなく世の中が進んでいくなら私なんていらないってことでしょ、あってもなくても一緒。
そんな環境で世の中のためになぜ私がなにかしなきゃなんないの?割に合わないじゃない?英語圏やアジアの人ならごく普通の考え方だと思う。
無理強いねじ込んでくる人や説教する人、無視してくる人はその時点で関係を絶つ。人は他人にされたように他人をあつかうもの。
シニカルすぎる、ネガティブすぎる、そーゆーのは読み手であるあなたに優しくないから。
困ったことに社会問題についてシリアスに、シニカルに書くほどいくらでも書けてしまう。ジレンマだ。
私の中には社会からちょいちょい継ぎ足されるめし屋の秘伝のタレみたいにネガティブなものが降り積もりイヤ汁として滲み出てくる。
そんな自分は自分ではない、世の中の誰かたちの混ぜ物で自分なんてどこにもないじゃないか……。
自分とは他人達の寄せ集め細工。個性もアイデンティティもない。私でなければならない理由もない。そんなもの、専門学校の校長が面接で圧迫してきて知ってる。
泣いてスッキリしたくても私の目から涙が流れることはない。そんなことさえ許されない。
コレはもう、社会にとってコワレている、用済み、ゴミ箱直行……。いらない人間てほんとにいるんだね。ネットSNSなんかしてると残酷なくらいよくわかる。数字で。
アンチクソリプ営業DMくるたび自分て何?と思う。この人たちに利用される資源に過ぎないのかって。
助けを差し伸べる手を全力で振り払いオオカミのように噛みつく。野のケモノだ。
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