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北を目指す逃避行、その深層

どうもピルクルです。

今日は何書こうかと街に出ることが多くなりました。
部屋に籠ってるよりは情報が飛び込んでくるからね。

夜に街に出ると少し涼しさを感じるってことは嫌でも寒い時期の訪れを予感させるものでもあります。

1月に離婚した際には喧嘩別れしたシルバニア姉さんとどっか北の方の知らない街で知らない人たちに囲まれながら新しい生活を迎えようかとも考えていました。

雪国とか寒い環境下でお互い身を寄せながら静かに生きていくなんてのもイイなぁと思ってたんです。


ちなみに彼女に北の方に住まないかと持ち掛けたところ、全く名古屋を離れる気はないらしく一蹴されてしまいました。

余談ですが、名古屋に生まれ育った女性って地元から離れない人多いような気がします。名古屋が一番みたいな変な地元愛が強すぎる。
前の嫁さんもそうでした。
日本から穏やかなラトビアくらいにすんでみないか?と持ち掛けてダメでしたし、僕の生まれ育った三重に帰りたいって言っても聞いてもらえなかった。

名古屋に住んどきながらですが、名古屋嫌いなんですよ。

で、今日の疑問。

「なんで駆け落ちとか夜逃げとかそんなことする人たちは北の方でひっそりと暮らすのを目指すんだろうか?」

元々北の方角に住んでる人たちからすれば不幸を背負った人や、人に言えないような事がある人ばっかり来られてもイイ迷惑なはず。

「お前らの思う勝手な北の方角への幻想を持たれても困るし、居座る場所もねぇぞ。和歌山くらいで手を打ってミカンでも育てておけ」

と僕が北に住んでたら新参者にそう言ってやりたい。

和歌山が嫌なら高知でキュウリとピーマン育ててろよ。

「北の国から」も基本ベースは不幸だし。
北の方角の人からすれば風評被害も甚だしいわな。

もしかしたら日本人には潜在的に不幸になったら北に行けという意識が昔からあるんじゃないだろうか?磁石みたいに。

そう仮説を立ててみました。
で、調べてみました。


色々と面白い歴史的・文化的な背景が出てきました。


時代は江戸時代になるんですが、
①文学の面において現代でも知られている『東海道四谷怪談』や『曾根崎心中』などでは登場人物が不幸の果てに北を目指す場面があるらしい。

②商業や流通の面では「北前船」と呼ばれる北の方を航海して全国を回る運搬船があり、北の方角に向かうことが、新たな土地での生活や商売のチャンスを得るための旅として捉えられていた時代背景が、何かを捨て去って新たな出発を望む人々にとって、北を目指す象徴となった可能性がある。

③更に時代はさかのぼり、平安時代の陰陽道にぶち当たりました。
陰陽道では、北は「陰」の方向とされ、静けさや消滅、隠蔽の象徴であり、この思想に基づき、北は「消える」場所、「消え去る」ための方角として捉えられていたことが影響している可能性がある。駆け落ちや夜逃げは、まさに社会から消えることを意味するため、北を目指す行動が精神的にしっくりきた可能性がある。


特に③はしっくりきたっす。
ああ、そんなに古いんだ。

じゃ、もう無理だな。僕が北に住んでてもDNAで日本人に染み付いてる考え方なんて僕の偏屈な意見一つでかえれるもんじゃない。


関東より北に住んでる方。
こればっかりはしょうがないので一つ受け入れてやってください。


いやもう、疑問が解決してめちゃくちゃスッキリしたわ。
どうでもいいですが、ボブ・ディランの「北国の少女(Girl from the North Country)」という曲が好きです。


このピルクルのnoteでは皆さんと共にバカになったり賢くなったりすることを目指しています。


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