「書くこと」はマインスイーパーであり、散歩である。
私は書くことが嫌いじゃないです。
なぜ嫌いじゃないのかはわかりません。
読むことは好きです。嫌いじゃないではなく、好きです。これには自覚があります。
子どもの頃から本が好きでした。記憶にある一番昔に読んだ本はシートン動物記です。オオカミ王ロボの話でした。シートン、ロボの妻のブランカ、部下のイエロー(と、もうひとりいた気もする)の戦いは何度も何度も読み返しました。
好きな理由はわかりませんが、たぶん、自分の外の世界を知ることがおもしろいからです。世の中には知らないことが多すぎて、むしろ知ってることは少なすぎて、こんな世界があるのかーと心動かされます。
話は飛んで。
小学生のとき、家に PC がやってきました。インターネットには繋がっていたような、繋がっていなかったような、そこはあまり覚えていません。
小学生のやることと言えば、ゲームです。プリインストールされていたバザール・デ・ゴザールがひたすらバナナを収集するゲームにも熱中しましたが、やっぱり一番は定番のソリティアでしたね。
ソリティアの横にはマインスイーパーが並んでいるわけですが、当時はルールがわからず、3 回クリックしたら爆発してゲームオーバーするルーチーンを楽しむゲー厶ぐらいにしか思っていませんでした。
中学生になってようやくルールを理解し、マインスイーパーにハマります。
与えられた少ないヒントから爆弾の埋まっていそうなマスを予測し、じわじわと安全な領域を広げていく演繹的な頭の体操が楽しくて楽しくて。
ポチったときに 10 マスぐらい一気に消えるちょっとしたイレギュラー要素も、密かに期待感をもたせる楽しみ要素でした。
書く行為とマインスイーパーって似てるな、と気づきました。
ここでの書く行為とは、何らかの目的があって書くのではなく、「... あ、なんか書こ。」と突発的な、「... あ、コーヒー淹れよ。」に類する行動を指しています。
何を書こう?とスタート地点だけ決めて、少しずつ思索を進めていき、「あれ、これってどういうこと?」と試行錯誤して進路を選択していき、最後にどこかにたどり着いて「こういうことだったのね」と地図ができているこの感じ、マインスイーパーです。
「A だから... Bで... C で E で F じゃん!!」と、一足飛びに思考が進むことがあるのも、マインスイーパーです。
思索が行き詰まっちゃって別の視点から掘り進めていくこと、マインスイーパーです。
・私はマインスイーパーが好き
・「書くこと」はマインスイーパー
・ゆえに、わたしは「書くこと」が好き、少なくとも嫌いではない
なんとも強引な三段論法ですが、冒頭の「私は書くことが嫌いじゃないです。」からの終着点でした。
と、書いてるうちに思わぬところに到着するのも楽しいんですよね。
私は目的地を決めずにぶらぶら散歩するのも好きなのですが、そういう側面は「書くこと」って散歩っぽいですね。脳内散歩。
というわけで、「書くこと」はマインスイーパーであり、散歩でありました。