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43歳の挑戦 ~恩師の再始動~
晴天の霹靂とはこのことか!本日は中学校の県駅伝大会。
なのに、息子は「明日(今日のこと)は普通の練習だ」と言う。先生に駅伝大会の話を聞いたのかと尋ねると、「来月の19日に空港跡地やで。」とおっしゃったとのこと。
待てよ!それ郡大会やん。
この地区の陸上競技大会の事務局をしている先生に聞いたら、息子の中学校は県駅伝にエントリーしていないとのこと。
あかん!ずっと息子は県駅伝を走ると思ってた!あのスポーツパークの坂はきついからとか助言していたのに。がっくし。
中学時代のキャプテンのまさる君や職場の大先輩にまで、息子が県大会走るからって言うてたのに、とても恥ずかしい。
しかしながら、昨夜はそんなことを吹き飛ばすくらい嬉しいことがありました。中学時代の陸上部の恩師に食事にお誘いいただいたことです。
学生生活の中で、一生懸命頑張ったなぁと今も思えるのが、この陸上部長距離でがんばったこと。辛いときでも思い出すと心の支えになる体験。
小学校の頃はすぐに中耳炎になってプールへ入れなかったり、寒い日に走るとアレルギーで身体がかゆくなったりと全くと言っていいほど、運動ができませんでした。中学校になってクラブ加入を考えたときに球技はまあ無理だと思って、親父が陸上部をやってた話を聞いていたので、自分もそれならできるのじゃないかと思って始めました。
恩師の最初の印象は”とんでもないやつ”が入ってきた。走れるんやろうか。というくらい貧弱だったそうです。走り方もペタペタ走るし、色は白いし。
でも、そこからの成長ぶりは凄かったようです。昨日も自分の5kmのベストタイムなんかを話していると、「ほんとはもっと速いんやで。5kmとか長い距離を走るための練習をしていなかっただけで、当時でも17分くらいでは走れる選手だったよ。勉強の道へ進んだだけで、続けていたらいい選手になっていたと思うよ。」と、とてつもなく嬉しい嬉しい言葉をいただきました。
恩師は続けて、「当時の練習は200mのインターバル中心で、スピードを上げる練習、勝つための練習を中心にしていたけど、ほんとは、もっといろんな地形でいろんな走り方をしておいた方が、後々、長距離選手になるのだったら、そちらの方が良かったんや。」とおっしゃってくださり、僕の卒業後に県大会2連覇を果たしたときのメンバーの話や田舎の中学校でろくなグラウンドもないところで、毎日、山道を走らせていた子が将来、大学駅伝のエース区間を走った話など楽しく、懐かしくお話をしていただきました。
恩師は、お酒も入って少し気持ちよくなってきていたのでしょう。
「先生。今、僕また走りだしたんですよ!」って伝えると「えっ!その体型で!あかんで、心臓痛めるで!」とにやけるのです。「昨年の印南のマラソンで5km29分29秒だったんです。45歳になったとき5km20分で走りたいんです。多分そのタイムなら45歳以上の部で表彰台に立てるんです。まさるにも言うたら、無理って言われたんですけど。」と訴えると
「そうやなあ。」とうなずいて
「よっしょわかった。お前を表彰台に立たせるために練習を付き合うよ!まさるも連れてこい。身体を見ながらメニューを作るわ。」
中学時代の頃のように優しく微笑みながら、了解してくださいました。
67歳と43歳。新たな目標に向けて再び師弟関係です。ありがたい。
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