ゲームにおける世界観とは
これはきっとゲームに限らず、マンガ・アニメ・映画などの作品世界を作る時の『世界観の定義』の話になると思います。
よく学生さんにも「世界観ってどうやって作るんですか?」という質問をいただいたりもします。
たぶん、この答えって『何が正解』みたいなモノがあるわけでもなくて、あくまで「私はこうしています」というような、作り手によって左右されてしまう考え方や価値観なのかな、とも思います。
ということで、あくまで『私の場合はこう考えます』という私見を述べさせていただきますね。(異論・反論はご自由に)
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「水が湯になるほどの時間」
これは『うしおととら』第十一章「一撃の鏡」というエピソードのなかで、ある妖怪が口にした言葉です。
不思議な鏡の中の空間に閉じ込められた友人を救うために、飛び込もうとする主人公うしおに対して、妖怪はこう告げたのです。
「わしの力がもつのは、水が湯になるほどの時間じゃ、それまでに戻ってくるんじゃぞ?」(要約してあります)
要するに『タイムリミットがある』ということを告げています。
私はこの「水が湯になるほどの時間」という表現こそが『世界観』であると思っています。
『うしおととら』という作品は妖怪と闘う少年漫画であり、作中にも数多くの妖怪たちが登場します。
それらの妖怪たちはみんな個性豊かで、まるで人間と変わらないような生き物だっていますし(化けている)、一方で実に妖怪らしい化物や全く言葉が通じないヤツだっています。
けれど、やっぱり妖怪は妖怪なんです。人間とは違うのです。
だから、タイムリミットという言葉を使用せずに「水が湯になるほどの時間」という表現が使われています。
この線引きこそが『世界観』なんだと思います。
要するに「世界観とはその作品世界の中でやること・やらないことを定めた線引きのこと」であるということです。
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『うしおととら』の該当シーンでは、普通に読者に情報を伝えるだけならば「時間はわずかじゃ、早く戻ってこい!」だけで済むところを、「水が湯になるほどの時間」という表現を使用することで世界観を表しています。
暗に『だって妖怪なんだから普通の表現はしないでしょ』という、作者・藤田和日郎センセイの声が聞こえてきそうな素敵なセリフ(表現)ですよね。
こうした『その世界の普通が何なのか?』を感覚的に文字的にデザイン的に定めることが世界観の定義であると私は思います。
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さて、ここからは『ゲームソフトにおける世界観の定義』について語っていきたいと思います。
先に言っておくと、ゲームソフトは非常に要素が多く・ある意味で超高密度な情報の集合体とも言えますのでなかなかこの線引きが難しいです。
では弊社が過去に制作したゲームソフトを題材に(当時を思い出しながら)具体的に要素分解していきたいと思います。
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『.hack』における世界観の定義
-そう遠くない未来-
『.hack』シリーズはPlaystation2専用ゲームソフトとして制作され、同時にテレビアニメやOVA、そして漫画・小説・ラジオと幅広いメディア展開がなされた、いわゆるクロスメディアプロジェクトでした。
その中心となったゲームソフト『.hack』の世界観はどのようにつくられていったのでしょうか。
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架空世界のリアリティを考え妄想して構築
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