見出し画像

弱くてもいいが、甘えるべきではない


ある日、駅の待合室で急に息苦しくなり、座っていた椅子から転げて地面に倒れた。

酸素が吸えない
周りの音が頭の内側を殴りつける
閉じた目がチカチカする

救急車の中で隊員の質問に答えるうちに少しずつ症状は消え、病院で点滴を受け、ある程度動けるまでは回復した。
疲労と過呼吸ということで処理された。

始業時間は昼からだったので、急いで社長に電話をかけた。駅で倒れたこと。救急車で運ばれたこと。動けはするがまだフラつくので今日一日休ませて欲しいということを伝えた。

『そうだったのか。しかしそれは俺に言われても仕方ない。どうするのかはそちらで決めろ。』

という返事のみが返ってきた。

いろいろとややこしい事情があるが簡単に説明すると、社長はその時は別の事業に関わっていて、僕が行っていた仕事は別の上司が責任者となっていた。
確かにまずは現場の責任者に連絡を取る方が先だったと反省したが、『大丈夫だったか?』の一言すらもらえない自分の価値を疑った。

その後、現場の責任者である上司に電話をかけ、同じ内容を伝えた。

『そうか、じゃあ今日どうするの?君がいないとそちらは今日開くわけにはいかないよね。みんなに連絡回しといて。あとはどうにかなるよ。』

相変わらず僕を労る言葉は無いけれど、先程より暖かい言葉をいただいて少し胸は軽くなる。後日この日のしわ寄せでスケジュールの調整がうまくいかずハチャメチャに怒鳴られることになるのはまた別の話。


・・・


『大丈夫か?』の一言すらもらえなかった。
そのことは、倒れて弱っていた心と身体にのしかかり、何時間も何日も頭を悩ませた。
これは、僕がひとえに弱いから、と自分では思っている。
HSPとまではいかないと思うが、とても繊細だといわれる。ほんの少しの衝撃で壊れてしまいそうになるほどメンタルは脆い。図太さはない。何度も壊れながら徐々に培っていくものなのだろうが、筋肉痛みたいに2日や3日で治ってくれないから、なるべく自分が傷つかないほうを選んでしまう。いつまで経っても強くなれない。

しかし一方で、心の強さ・弱さは人それぞれの特徴、性分、歩んだ人生によって様々な形を取るものだと思う。仕方のないことなのだ。

弱い人に『そんなんじゃやっていけないぞ』と言うだけならば簡単だが、言われた方ははいそうですかと次の日からいきなり図太く構えられるわけはない。むしろ、かけられたその言葉にまた心をぶん殴られた気持ちになり、文字通りへこむ。

では強い人に『弱い人の気持ちを察しろ。気遣え。』というのもまた無理な話である。
人は経験していない事柄は頭の中でイメージするしかない。ああだろうか、こうだろうかといざその立場になった自分をイメージし、何をされたら嬉しいか、悲しいかを考える。しかし、心という目にも見えないデリケートな部分はイメージでは限界がある。

僕はたまたま、あまり強くないように神様にステータスを振られた。そんな風に考えている。
弱い自分を肯定するわけではないし、むしろ改善したくていろいろ動いたし、事実少しずつ鍛えられていると思う。
しかし、根っこの部分は変わらない。相変わらず打たれ弱さは健在である。諦念と言うべきかもしれないが、『他より少し弱い自分』『打たれ弱い自分』『受け流すのが苦手な自分』は一生ついて回るだろうなぁ、なんて思っている。


ではこのエピソードで僕はただのブラックな企業の被害者なのかと言われると決してそれだけではない。
社長と上司は至極当たり前のことしか言っていない。現場の責任者に第一に連絡を取るべきだったし、自分が倒れたことによるリカバリーをまずは自分なりに考えてから連絡を取るべきだった。

ただ指示を仰ぐためだけに連絡をしたのは、自分の甘えだった。

本当に情けない話だが、自分は心配されていないんだとか、こんな上司達だから自分は満足に働けないんだとか、そんなどうでもよいことばかりに気を取られ、『ピロリ』という1人の人間である前に『社会人』だということが頭から抜け落ち、やるべきことを行なっていなかった。この部分は、本質的には自分の弱さは関係無い。

弱いことは悪いことじゃない。しかし、甘えていい理由にはならない。
本当に辛い時に他人に頼らないとかそういった意味ではない。壊れそうな自分に蓋をしろと言っているのではない。それは何より大事なことだ。

弱くたって、自分の務めは果たさないといけない。

こんな当たり前のことを僕は曖昧にしか理解していなかった。責任感の欠如と言うべきか。
自分か辛い理由、苦しい理由、その全てのベクトルが自分から外に向いていた。全てを自分以外のせいにした。自分は弱いんだ。弱いから、丁寧に扱ってもらわないといけない。そんな馬鹿げた考えすら持っていたんだろうなと今になっては思う。

とある社長に言われた。
『いつまでもへこんでてもしゃーないやろ』と。
間違いない。社会は甘えた人間を助けてくれるようにはできていない。弱くても自分で立って歩ける人には何処かで救いの手が伸びる。

とあるマンガで読んだ。
『自分の身に及ぶどんな困難も、原因は必ず自分にある』と
これは極論なのかもしれないが、少なくとも起こってしまったトラブルに関して全て他人が悪いという事はほとんどない。自分の内側にベクトルを向けて考えてみれば原因の多くはそこにある。


・・・


ここまで話してきたことは、読んでくれた人によってはとても共感を得られるものだろうし、ふざけた甘え野郎だと思われるだろうし、辛辣な野郎だと思われたりもするだろう。
みんないろんな思いを抱えて、目の前の仕事に取り組み、様々な折り合いをつけ、甘えと闘いながら自らの幸せを維持している。
実は僕は8月半ばから新天地で働くことになっている。そんな自分にとってこのエピソードは、自分の弱さについて考えるきっかけ、甘えへの戒めとして心の中で生きている。活きていく。

結論としては、
あと2週間ほどでピロリは誕生日を迎えます。
Twitterのプロフィール欄にAmazonの欲しいものリストを爆誕させたので誕生日プレゼントをお恵みいただけるか、もしくはお誕生日おめでとうメッセージもらえると飛び上がって喜びます。

ここは甘えちゃいます。ふふふ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?