正木伸城さんのあげる創価学会が抱える問題について
さぁ現在の時間は午前2:22。今宵もnote執筆の時間がやって参りました。
どうやら最近の私は、疲れ、夜が更けると、テンションが上がってきてしまい、思いの丈をぶちまけてしまいたくなるようです。
ということで、タイトルにもある通り、今回は正木さんが学会の抱える問題点をTwitterで上げてくれているため、これらを題材にそれらを私の視点で考えてみたい。
その前に、やはり近頃の正木さんの意見に批判ではないけれど、今後出版予定があるという発言から、創価学会というキーワードで認知を上げておこうという節がどうしても見えてしまい、そこがとにかく残念だ、、、
私が、彼のアカウントを見始めた時からのスタンスとしても、フラットな視点を意識されていたと思う。それが宗教二世問題を機に、意見が尖ってきているように思う。これは、学会を批判したいというよりかは、名前を売るためなんじゃないかと、推察してしまうのは、私の心が汚れているだろうか、、、笑
批判的な言葉はここまでに、今回は正木さんの意見に反対ではなく、正木さんの上げている問題点をお借りするのだ。
まず、問題点を整理していこうと思う。
大多数の学会員は
活動家率が低い
自浄機能が大丈夫か?
正木さんが上げてくれているツイートの学会が抱える問題点で、これらを取り上げてみたい。
1.活動家率が少ない理由
正木さんが上げる活動家が少ない理由はこれらだ。
Z世代と言われる私の今活動家が少ない理由をこれ以外に率直に述べると、
「社会の生活様式が多様化し、人生の選択肢が大幅に増えた」
これが理由にあるのではないか思う。
インターネットが発達し、情報が簡単に手に入るようになった昨今では、人生を歩んでいくのに、昔より多種多様な選択ができるようになったんじゃないかと思う。
昔は、情報が少なかったから、人のつながりがとにかく大事だったはずだ。みんなで手を取り合わなければ生きていけない。
しかし、現在では、インターネットがあれば困ったことは、すぐに検索できるし、頑張りたいことがあったてYoutubeを見ればいくらでも、工夫の仕方は出てくる。
要するに私は正木さんの上げる
「やる意義がわからない」「魅力がないのでやりたくない」「組織が嫌い」「時間がもったいない」
の背景には、急速な情報社会の発達による、学会のコミュニティとしての強みが失われたからという側面もあると思う。
この情報の速さに対し、人間の組織のスピードでは越えていけないのではないかと。
さらに、コミュニティを形成していきる必要がない。スマホ一つあれば、どこへでも繋がるのだ
人と人との繋がりによる心の側面が組織の圧倒的な強みになっているし、そこはインターネットの世界では越えていくことは今後も難しいはず。
zoom飲みが浸透しなかったことからも、人と人が触れ合うことの重要性は証明できる。
しかし、生活をする上では、人との触れあいをあまり必要とせずに育ってきた世代が、僕たち20代以下の世代なのではないだろうかと思う。
そうするとどうなるか、多種多様な人で形成され、地道に信頼関係築くということに、鬱陶しさを感じる人が出てきていると感じる。
インターネットでは、好きな情報だけを仕入れ、SNSでも自分と同じ意見の人をばかりをフォローする。現実世界でも、気の合う友人とだけつるむ。
このような生き方が可能な世界になってしまっているのだ。
そこに学会の組織としての強みが、ぱっと見で、多種多様な人がいる以外では提供できない。また、魅力的な先輩に出会えるかなど、かなり属人的なところに頼られているからではないかと思う。
私自身も、大学1年生の時、当時留学から帰ってきていた5年生の人と出会い活動を始めたことがとても大きい。
あれ、これは情報社会云々ではなく、組織の魅力が人に依すぎているという問題が一番なのかも😅笑
ゲームやNetflixなど、暇を潰す選択肢が無限にある中で、また生活するのに精一杯な人には、「時間が勿体ない」「やる理由がわからない」となるのは当然だ。
だから、そこを越えて、一歩飛び込んでみるには、出会う人によって「やってみようかな」って思えるかなのかもしれない。
生きるのに困っていないから、関心を持つ機会もない、、、
だから関心を持ってもらえるように、接していくことが大切なんだと思う。
その上で、学会総体としての活動内容に批判的などということは、戦後初期から高度経済成長あたりまでで急速に成長し、そのまま走り続けてきたために、まだまだ時代にアジャストし切れていないところも多いと思う。
しかし、ここもいきなり慣れ親しんだやり方を草創の方達が変える訳にはいかないからこそ、今わたしたちの世代のような活動家たちは、必死に日々工夫をしなが活動しているんじゃないかろうか。
ちなみに私は、学会はオタクから陽キャラ、東大から専門生、世帯もちから独身と全ての人が同じ円を囲み、ここに上下はない。一緒に切磋琢磨しえる関係というのがとっても魅力的だし、これが一番すごいことなんじゃないかなと感じている。
2.自浄作用は機能しているか?
これは何を持って自浄作用とするかなんだと思う。
仏法には、「内省」という。そもそも自身に因があると捉える。
しかし、このバランスが難しい。全てが全て自分に原因があるとしていたら、疲れてしまうことがある。
でも、自分にも一部原因があると考え、次へ発展させていく。ここに成長の機会がある。
正木さんの主張として、自己反省がないのは大丈夫か?とある。
しかし、正木さんのエッセイを見てきた中で、先輩幹部との話をした後などに、自分にも至らない点があったと述懐していた部分はなかったと記憶している。
これだと正木さんの批判になってしまうが、違うnoteでも述べたように、正木さんにも幹部にも双方に歩み寄る、受け入れる姿勢がなかったように感じる。
今回のTweetでいえば、このような攻撃をされた時に、正木さんのスタンスとしても、会員を煽るような表現があったかもしれないと、自己反省があっても良いのではないだろうか。
意見としての批判はない。
よって組織としての自浄作用は、結局のところ、各々の信心に試されてしまっているところはあるかもしれない。
自身を内省、見つめることができるのか。
個人ではなく、組織として自浄作用を働かしていくには、どうしていくべきか、、、、
しっかりと世間と繋がっていくこと、象牙の塔にならず、常に対社会、対人間を考える。また教学を研鑽し、仏法を学んでいく。
今の私の頭では、こんなところになると思う。
時刻は3:35。1時間強かかってしまった。
ここまで読んで下さった方は、ありがとうございます。
遅いため、あまりまとまっていませんが、お付き合いいただき大変にありがとうございました。
またの機会に。