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「子育てがちょっと楽になった」1つの場面の話。

先日、プレーパークで、
「冷蔵庫の前で立って、子どもに隠れてチョコレート食べるよねって話をこないだしてさぁ〜」

という、話題になった。

みんな、あるある、って頷いたり、
「うちはもう、包装紙あける音で気付いちゃうんです〜😭💦」なんて方も。

そんな話を聞きながら、
「ああ、そっか…。みんな立って食べてるんだなぁ」と、ちょっと、楽になった。

子どもに食べさせるにはまだ早いけど、自分が食べたいもの。

わたしも、子どもが何かに熱中してちょっと遠くであそんでいる隙に、コソコソっと食べたり、
椅子に座らせてごはんを食べさせておきながら、ちょっと何か用事があるようなフリをしてキッチンへ行って、パパッと食べて子どものところに戻ったりしてた。

「毎日好きなものもまともに食べれない…。ゆっくり座って自分の好きなものを悪気なく食べたいなぁ」っと思ってた。


比べる対象が「過去のわたし」だけだったから、「できなくなったわたし」が際立った。

みじめな気持ちになったり、小さなストレスになって、それを抱えてた。

けど、このプレーパークの時みたいに、子育て経験のある人とちょっと話しただけで、当たり前なんだけど、「みんなそうなんだ」って楽になることが、けっこーある。

「わたしだけじゃないんだ…(1人じゃないんだ…)」的な感じでホッとする人もいるし、そういう風に楽になる種類のストレスもあるけど、
今回のわたしの場合は、それよりも、「○○ができてたころの、過去のわたし」や、「○○ができる、子どもがいない友人」と比べて、みじめになったり、羨む自分がいたことに気がつけたのがこの日の収穫。
(こういう、ストレスの細やかな選別って実は大事だと思ってる。)
「もっと子育てしてる人との会話、増やしていこう。」という、適切な次なるアクションにつながりました👏

「○○ができなくなった」というところに目をつけるんじゃなくって、
「チョコレートって隠れて食べるもんになっちゃったよねー。苦笑」とか、
「子ども産まれたら食べるのすっかり早くなっちゃったよ。笑」
って、共に笑える健やかな仲間のいる環境に身を置くようにしよう。

※もちろん、発想の転換をする努力、みたいな精神論だけじゃなくって、他の人を頼ってゆっくりご飯を食べたり自分の時間をもつ、という努力もしながら。

ネイルサロンには通えなくなって、子どもとあそんだ帰りにふと手を見ると爪に砂が詰まってたりするけど(苦笑)
「○○ができなくなったわたし」に目をむけるだけじゃなくって、変化した、newわたしもたのしんでいこうっと。

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