さいきん、“居場所”について考えてる。
▼先日、母校(高校)で行われたシンポジウムに参加してきました。
ひとりの生徒の声がきっかけで、このシンポジウム開催に至った、とのこと。
そうそう。その感じも“つくさか”らしいよね〜っと思いながら行ってきました。
言えば、応援してくれて。背中を押してくれる先生がいて。
わからないなりにやってみたら形になって、ふだんの自分をちょっと超えたことができて、そうやって少しずつ、少しずつ成長させてもらえる環境がつくさかだなぁ、って。
わたしは、“福祉の側から”ものごとをみるのがほんとうに嫌いなのだけれど(苦笑)
嫌いとするなりの、わたしのこだわりも改めて感じるいい機会でした。
ことばにするとなんだかつまんないんだけど(苦笑)
「社会全体で子どもを育てる」は、できたらいいし、これがあたりまえになったらいいなぁとは感じた。
7人に1人の子どもが貧困状態で、貧困家庭は外見では見分けられないんだそう。
“見かける”から一歩踏み込めると、みえてくるものがあるだろう。
“踏み込む”って、ちょっと勇気がいるし、負荷が高い感じがするけど、
関わり合う、近寄り合うことがあたりまえになってくるといいなぁと思った。
やっぱ、わたしはどちらか一方、ってのはないと思うんだよなぁ。
そういうことで言うと、
さいきん、“育ち合う”が、気になる。
よく、“育て合い”とか言うけど、そんな風に思わない。
親と子ども、子どもたち同士も、親たち同士も、育ち合っていきたい。
双方おなじ目線でいたい。
月に一回程度、つくさかを会場とした場をつくっていきたいなぁ、なぁんていう思いがチラリ、と浮かんでいます。
つくさか生、つくさか卒業生を中心としたおとなと子どもの居場所づくり。
スタッフ、参加者、というのはなしで。
“ごちゃ混ぜに共に在る”
これきっと、つくさか生が得意とすることなんじゃないかなぁ?と、思う。
当たり前にやれていたり、やってきたけれど、それは一歩外に出てみると、案外そうでもないってことに気がつく。
でも、それってきっと、誰もが居やすい雰囲気につながってるから。
そんな“ごちゃ混ぜ慣れ”したつくさか生(と、つくさか卒業生)を中心としておとなも子どもも居られる居場所つくりをしたら、なんか、おもしろいこと、起こるんじゃないかなぁって。
ゆっくり進めていけるといいなぁ。
気になるひと、いっしょにやっていきましょう♡
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