見出し画像

なんだか最近、Instagramも、Facebookも、なんか、いろいろ、いろいろ…更新できずにいたのだけれど、きっと、このことを言葉に留めておかないと次に進めないのだ、と思い、いきなり久しぶりなのに、弔辞を載せます。

2022年2月3日に、大好きだったおじいちゃんが、91歳で亡くなりました。
最後まで家族を想い、施設の人に気配りをして、会えるときにはひ孫だったわーちゃんを、とってもとっても可愛がってくれていたおじいちゃんでした。

コロナウイルスが流行しはじめてから、全然会えない日が、「日」という単位ではなく、「年」という単位で続いていました。
2021年末に一度だけ会いに行けたものの、マスクとフェイスシールドをつけなければならず、視力も聴力も認知度も低下ぎみだった当時のおじいちゃんは、どこまで私たちだと理解できていたかなぁ。

亡くなる前日に、『もう、長くないかもしれないので、会いに来ていただいてかまいません。』と施設から連絡をもらって会いに行くも、マスク・フェイスシールド・防護服を着た状態で10分という制限の中でしか面会できませんでした。最後の最後に直接触れることもできなかった…。

できなかったこと、悔しかったことをあげても仕方がないのだけれど、他人任せにしすぎると、他人の“ルール”に従わなければならず、人生最後のときにも、望みが叶わないことがある、というのは、けっこう身に沁みた出来事でした…。

最後に会いに行ったとき、息子といっしょにおじいちゃんの元へ行きました。生きているおじいちゃんに会わせられるのは、これが最後かもしれなかったから。
最後になるかもしれないから面会ができる、と聞いていたのに、むこうは子連れで来ると思ってなかったらしく、「お子さまはちょっと…。」と言われてしまう。
わたしは、まさかもう亡くなりそうだ、という時まで子どもの面会が禁止されてしまうなんて思ってもみなかったのでびっくり。

せっかく施設まで出向いたのに、zoom越しでおじいちゃんの様子を見るだけ…と、なりそうだったのですが、わたしだけがおじいちゃんと会うことはできる、と言われるも、わーちゃんだけが慣れない施設の待合ロビーで1人で待つなんてこと、できるはずもなく・・・その提案を聞いて、わーちゃん号泣…。
「そりゃあ、無理ですよねぇ…。」となり、施設長さんの個人的な判断で息子も同伴で最後の面会を許可していただけたことは、とってもありがたかったです。
(でも、これに限らず、振り返ってみると、コロナ禍で子どもだけがNGとされることの多さもなんだかなぁ…と感じるモヤモヤがあって、忘れちゃいたくないな、言葉にして、やっぱりとっても嫌でした!とか、異議あり!を、どこかでちゃんと伝えていきたいな、と改めて感じています。)

「もう長くないかもしれません。」を連絡をもらったのが、午前10時過ぎくらいで、それから、翌日の朝に亡くなった、と連絡をもらったので、あっという間にお別れのその時が来てしまったな、という感じでした。けど、それでも、最後にわーちゃんといっしょに会いに行けてよかった。
身をもって「人の最後」を、わたしたちに教えてくれたのだな、と感じています。

コロナの関係もあり、葬儀の日まで何日間かありました。
その中で、おばあちゃんから声をかけてもらってわたしが弔辞を読むことになりました。悲しいし、悲しみの中でも日常は続くし、子育てもあるしで大変だったけれど、「弔辞」という形で、おじいちゃんが亡くなったときに想ったことを言葉にできてよかったな、と、今でも思っています。

▼以下が、その時に書いた弔辞です。

おじいちゃん。
おじいちゃんがご飯を食べられなくなり、目があかなくなってきていると連絡をもらったとき。
いつか、こういう日が来ると、数年前から心構えをしていたはずなのに、おじいちゃんを目の前にしたら、そんな数年分の整理した気持ちは吹っ飛んでしまいました。
ただただ「嫌だ。まだ生きていてほしい」と思った。

おじいちゃんの存在が、心の支えになっていました。

おじいちゃんに怒られたことは一度もなくて、悪いことや間違ったことをすると、「こうしなさい。」とだけ、そっと伝えられました。
真っ直ぐ目を見て、真正面からそう言われるのが一番効き目があって、この人の目の前に来たときに自信が持てる行動ができたらなぁ、と、いつも思ってました。

おじいちゃんとおばあちゃんの家は、自分を律する場所であり、また、安全地帯でもありました。

行けばいつも甘やかしてもらっていて、こたつで寝ても「ママー、寒いだろうからなんかかけてやってー」とおばあちゃんに頼んで布団をかけてもらったり、朝遅く起きても「早く起こされちゃったか?お疲れのところ悪いけど、でも、朝ごはん食べないのは心配だからな」って言ってくれたり。
たまにわたしが早起きできると、ご先祖様と神棚にお参りをしているおじいちゃんを見ることができて、その姿がカッコよかったのを、今でも覚えています。

電話に出たり、お店の人とやりとりしたり、家に来たお客さんと話すときに、はりきって話すおじいちゃんの姿や、煙草を吸いながら庭に水やりをする姿、夕方になって雨戸を閉める姿も好きでした。


お母さんと愛美、わたしの3人が泊まりに行くと、こたつのある部屋は狭かったけど、みんなでなんとか座って、テレビを見ながらちょこちょこ話をしたり、話してるうちに、テレビの音量をあげなきゃいけなくなったり、みんなでいっしょにデザートを食べたりお茶を飲んだり。
私たちが帰るときには、玄関まで必ずお見送りしてくれてたこと、家に着いたら電話してねって言われて、いつも帰ったら電話していたこと…。

こういうひとつひとつの出来事や場面は、その渦中にいたときにはなんとも思っていないくらい「普通」のことで、その普通はずっと続くものだと思っていたけど、そうじゃないってこと。その普通が成り立っていたことが幸せだったんだなぁと、今ごろ気がつきました。

いろんなことがあって、自分は幸せじゃない、早く幸せになりたいなんて思っていたときもあったけど、ちゃんと、幸せだった。そうおじいちゃんに気が付かせてもらいました。


おじいちゃんが一人で出かけて帰ってくるときは、いつも駅前のコージーコーナーでケーキやシュークリーム、それか、八百屋さんで果物をお土産を買ってきてくれて、夕食後にいっしょに食べました。

出かけて、帰ってくるときにはいつもお土産を買ってきてくれるので、いつの間にか、わたしも出かけて美味しいものを見かけたら家族にお土産を買う人になっていたし、最近だとケーキの中でモンブランが好きになってきていて、その他にも繰り返し言われた言葉など、おじいちゃんから引き継いだものがたくさんあるなぁと感じています。
おじいちゃんが亡くなっても家族それぞれの中に続いていくものがあると思っています。


わーちゃんは事あるごとに「ママー。大好きー。」と言って、ぎゅーしてくれます。わーちゃんから教わったのは、「大好き」って、伝えられるときに伝えておかなきゃいけなかったな、ということです。

施設の人から連絡をもらって会いに行ったとき、「もうちょっとがんばって。明日はまたおばあちゃんと順ちゃんが会いに来るって言ってたし、お母さんも愛美も明日会いに来るから。それまでがんばってあげて。」と言っちゃったこと、後悔しています。

おじいちゃんは、最後まで周りに気を遣って、家族みんなのことを気にかけてくれていて、話をして、“いつも通り”を続けてくれて、わたしたちを支えてくれていました。
最後まで懸命に自力で呼吸をして、充分がんばっていたのに…。

「嫌だ、もうちょっとがんばって。」なんて言っちゃってごめんなさい。本当は、もっと伝えたいことがあったのに、いざ、目の前にすると、おじいちゃんがいなくなっちゃうのが寂しくて、嫌で、。

耳に届けることができるうちに言っておけばよかったな。
おじいちゃん、本当に本当に今までありがとうございました。大好きです。この気持ちがおじいちゃんの元に届くといいな、と思います。

おじいちゃんが亡くなって悲しかったけれど、「わたしは幸せだった」と気がつけたこと。そして、いいことも、悪いことも「生きているから感じられるんだ」と、気づくこともできて、なんだかわたし、最強になったような気がしているここ一年です。笑

と、いうわけで悲しみや寂しさを抱えつつも、おじいちゃんが亡くなってから一年、いろいろなことを感じ、考えながら充実した時を過ごさせてもらっていました。

いちいち納得した言葉で伝えたいわたしは、なかなか言語化が追いつかないこともありますが、節目は大事にして、これからも伝え、他者と共有することを愉しんでいきたいな、と思っています。

2023年もよろしくお願いします!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?