映画「プリズン・サークル」を観てきました。
知ったときから気になって気になって…。
観れるときに行かねば!と思って、先日、思いきって渋谷にGoして、
映画 #プリズンサークル を観てきました。
「プリズン・サークル」は、「島根あさひ社会復帰促進センター」という、島根県浜田市にある官民協働の新しい刑務所を2年間密着した映画。撮影許可が降りるまでに6年を要したという。
島根にこんな場所があったなんて…。
しかも浜田って、車の免許取りに行ったとこだぞ…!なんて、身近な場所での取り組みだったことに、驚き。
「島根あさひ社会復帰促進センター」は、警備や職業訓練などを民間が担っていて、ドアの施錠や食事の搬送は自動化されていて、ICタグとCCTVカメラが受刑者を監視している。
(この感じがすごくて…。けど、こうやってテクノロジーをうまく活用して、必要なところに必要な人員を割くって、とっても大切なことだなぁと思った。)
でも、ここの刑務所の大きな特徴は、受刑者同士の“対話”をベースに犯罪の原因を探り、更生を促す「TC(Therapeutic Community セラピューティック・コミュニティ =回復共同体)」というプログラムが“日本で唯一”導入されている点。
(きっと、ドアの施錠や受刑者の管理の自動化なんて近い未来多くの刑務所でされていくことだと思う。)
受刑者たちは、TCの中で、「なぜ自分は今ここ(刑務所)にいるのか」「どう罪を償っていくのか」 ということに対してはもちろん向き合うのだけれど、
それ以外にも、これまでの自分やその周辺のことを思い出し、罪の源流を辿っていく。
(けど、ショッキングすぎて思い出そうとしても思い出せなかったり、逆に思い出そうとしていないのに、他の受刑者との対話の中で思い出されたり、他の受刑者の話を聞いている中でフラッシュバックしたりもしていた。)
「過去・服役中の今こと・そしてこれからの自分」についても考えていくのだけれど、これらに向き合うのは、とってもパワーの要ることで、(刑務所を出た後も)挫けそうになったり、実際に挫けて罪を重ねてしまったり…。
けれど、そんなときにTCの仲間たちが“効いて”くる。
言葉にするとちっぽけに感じられてしまうのだけれど、「人には人が必要なんだ」と強く感じた。
“自分”って、自分だけじゃわからなくて。“誰か”がいるから輪郭ができてきて、“誰か”に見てもらえて、初めて“自分”になって。
「自分がいる」と気づくことで、初めて“自分”が他者や社会に作用することに気がつく…みたいな。(そうすると取る“行動”が変わったり…。)
まだまだ言葉にしきれないけれど…。そんなことを思った。
受刑者たちの多くが、「自分の気持ち、感情」をなかなか言葉にできなかったり、そもそも気がつけなかったり、感じられていないことも、印象に残ったなぁ…。
TCに取り組みはじめたばかりの頃、彼らは、自分のしたことを、「頭では悪いことだとわかっているけれど…。」とか、「そうは言われても…。」と戸惑い、「何で悪いかわからない」と言う。
受刑者たちの様子を見ていると、 #ケーキの切れない非行少年たち という本を思い出した。
ほんとうに、「認知」しているものが私たちとは全く異なっていて、欠けている箇所がある。けど、それにも気がついていない。もともと“ない”から。
だから、現状の、ほとんどの刑務所が、受刑者を「番号」で呼び、他の受刑者との会話も許されず、内省のような反省をさせられるだけの場所となっているけれど、このままじゃダメなんだよなぁ…と思った。
「島根あさひ社会復帰促進センター」という名前もいいよね。
「刑務所」という、刑を全うし、内省のような反省をさせるだけ(させてる“つもり”なだけ)の場所じゃなくて、ね。
罪を犯した人たちに、刑だけでなく、「ひと」を。
と、強く思った。
そんな風に思えるひとが増えるといいなぁ。
ぜひ、いろんなひとに観てもらいたい映画です。
映画観たひと、語りましょ!
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