バダブ戦争(13)背信
血の刻事件(911.M41)
〈火の賜物〉率いる艦隊は、〈帝国〉支配宙域の帰路、突如として強力な〈歪み〉の驟雨にさらされ、ちりぢりばらばらになってしまった。この絶体絶命の危機は先任航宙士の卓越した技能で回避され、非物質空間に失われたのはフリゲート一隻だけだった。サラマンダーの大戦艦〈栄誉の焚火〉と軽巡洋艦〈グレゴリウス提督〉はこの大嵐への突入の先陣をきったため、修理するべく〈渦〉の辺縁部にあり、比較的安定している〈カラーの浅瀬〉で現実空間に戻らざるをえなかった。〈忠誠派〉も到来はすぐに気づかれ、〈分離派〉に報告がとんだ。
アストラル・クロウの打撃巡洋艦〈ヒルカニア〉は滅ぼされたシャプリアスを拠点にしていたため、まだこの地域に残っていた。その艦長である上級百人長のカルナック・コンモドゥスは主君の期待を裏切ったことへの贖罪と敵への復讐に燃えていた。しかし、自分の艦だけでは、損傷したとはいえ〈忠誠派〉艦隊にかなうはずもないことはコンモドゥスにもわかっていた。そこで、増援を求める暗号文をアストロパスを使って送ったが、それは思いがけずエグゼキューショナー戦団の旗艦〈パイトンの激怒〉とそれに随伴するグラディウス型フリゲート艦隊に受信された。それらはマゴグ星団の端にある無人の海洋惑星デルージュで補給作業を行っていたのである。
こうして連携した〈分離派〉艦隊は、〈カラーの浅瀬〉の〈歪み〉進入ポイントに向かっていた〈忠誠派〉艦隊に攻撃をかけた。軽巡洋艦〈グレゴリウス提督〉は〈分離派〉の最初の一撃で原子に還元した。しかし〈栄誉の焚火〉はそれほど容易な獲物ではなかった。サラマンダーの強大な大戦艦は最初の強襲乗船を防ぎ、攻撃側のフリゲート二隻を撃沈した。しかし3時間におよぶ戦闘で、〈パイトンの激怒〉はついに〈栄誉の焚火〉の推進機関を停止させ、敵船を漂流に追い込んだ。エグゼキューショナーの大教戒官サルサ・ケインはヴォクス信号をサラマンダー艦に送り、名誉ある降伏の機会を提示した。この戦争で再び武器をとらないという誓約を立てた上で戦域から離れることを要求したのである。ミルサン隊長は部下からの反対にもかかわらずこの要求を受け入れた。敵に反撃するためにはここで全滅するリスクは冒せないと考えたからである。何百年も前に斥候分隊の新人としてエグゼキューショナー戦団とともに戦ったことのある彼は、誓約が誠実に履行されることを信じていたのである。
〈パイトンの激怒〉と〈ヒルカニア〉が打ちのめされた〈栄誉の焚火〉に接舷すると、サルサ・ケインはエグゼキューショナーの乗船部隊を自ら率いて、サラマンダーが武装を解除する中、ミルサンの降伏の剣を受け取った。しかしその頃、この巨艦の中で信じがたい出来事が起きていたのである。降伏の条件にしたがって、上級百人長のコンモドゥスは乗船部隊を率いて〈栄誉の焚火〉の兵器庫をほぼ無抵抗に接収した。そしてコンモドゥスは艦の深奥に押し入って、シャプリアスの洞窟から回収された遺伝種子だけでなく、サラマンダーが戦闘中に瀕死者から回収した遺伝種子までも我が物としたのである。サラマンダーの医術官たちが抵抗すると、コンモドゥスは彼らを斬殺した。そして、サラマンダーに対する積年の恨みを爆発させると、捕虜にしたサラマンダー全員の殺戮を命じたのである。さらに生死にかかわらず彼らの遺伝種子の摘出を自分の〈検屍官〉に命令した。すぐさま、全階層で激闘が始まった。
何が起こっているかの報告が艦橋に届いたときのサルサ・ケインの激怒はすさまじいものだった。この反応を見て、洞察に長けたミルサンは気がついた。エグゼキューショナー戦団はアストラル・クロウによって犯された異端と冒涜についてよく知っているわけではなく、おそらく〈総統〉が意図的に彼らをたばかったのであろうことを。
自身の憤怒を抑えたミルサンは、サルサ・ケインに対してこの破約と〈総統〉の悪行に加担している不名誉について軽蔑をあらわにした。ミルサンの主張を裏付ける真実の証拠を自分の目で見たケインの怒りはもはや目にするも恐ろしいほどだった。彼は宣言した。我が戦団とヒューロンの大義を結びつけていた血盟は侵害された、アストラル・クロウが我らにもたらした不名誉の汚点は血河によってのみ洗われるであろうと。この事件を生き残ったサラマンダーの〈血の兄弟〉たちは、ケインの宣言とともにエグゼキューショナー戦団を訪れた荒涼たる狂気と、殺戮の復讐にたけり、自分の命すらも省みない彼らがアストラル・クロウに襲いかかったこと、そしてそれはかつての味方をいかなる代償を支払ってでも自らの手で一人残らず殺すまで満足しないものであったことを目撃することになった。
ミルサン隊長は生き残ったサラマンダー同胞を糾合して、大戦艦の深奥に防衛線を張り、ブレイアース・アッシュマント率いる強大なドレッドノートの力を背教者アストラル・クロウ戦団に解き放った。最初は〈栄誉の焚火〉の回廊と広間が、続いてアストラル・クロウの〈ヒルカニア〉が朱に染まった。戦団の奴隷や奉仕者も容赦なく狩られ、殺された。〈ヒルカニア〉は首をはねられた死骸の安置所と化した。エグゼキューショナーはかつての味方から二百以上もの首をあげた。そしてサルサ・ケインはただひとり、ペラス・ミルサン隊長のもとにやってきて、燃え上がる深奥の燭台の前でひざまずいた。ひとことも発せず、彼はミルサンの足もとにただひとつの恐るべき戦利品を転がした。それは上級百人長コンモドゥスそのひとの首であった。
それ以上何も言葉を残すことなく、エグゼキューショナーは引き上げていった。後に残されたのは打ちのめされたサラマンダーの大戦艦と、それに接舷する無人のアストラル・クロウの打撃巡洋艦だけであった。しかしエグゼキューショナーの狂気とも思える復讐心はまだ満たされてはいなかった。そしてまもなくその声明が〈渦圏〉のありとあらゆる場所に届く。この事件以降、エグゼキューショナー戦団はこの戦争における不確定要素となった。どこにいようとアストラル・クロウとその手先を追い詰め殺し尽くす自殺的なまでの憤怒だけでなく、遭遇した〈忠誠派〉に降伏することも拒絶したからである。このたぐいの中で最も悪名高い事件は、911.M41にグリーフ星系でエグゼキューショナーがサンズ・オブ・メデューサの打撃巡洋艦〈ウォースパイト〉を破壊したものだった。こうした出来事は他にも多々発生した。しかしこういう悲劇的な事件をのぞけば、〈帝国〉の通商に対するエグゼキューショナー戦団の攻撃はほとんどただちに終息した。この想像を絶する展開が知られたのは、数ヶ月後、大破した〈栄誉の焚火〉がようやくサーングラードの〈忠誠派〉軍事基地にたどりついて、奇怪で血塗られた物語を語ってからである。
〈総統〉陣営にとって、味方が敵となることほど手厳しい打撃はなかった。エグゼキューショナー戦団は〈分離派〉から離脱したことで〈総統〉のもとに残る軍艦と襲撃艦のほとんどが姿を消した上、敵となったエグゼキューショナーは手強いだけでなく、数多くの〈分離派〉基地の位置や配置についてよく知っており、ただちにそれらを破壊してまわったからである。最初はラメンターが、続いてマンティス・ウォリアーが〈分離派〉陣営から脱落し、今またエグゼキューショナーが反旗をひるがえした。ルフグト・ヒューロンとそのかつて強大きわまりなかったアストラル・クロウの前に残されたのは、ただ〈帝国〉の怒りの鉄槌だけであった。彼らの支配と栄光の夢は永遠に砕かれたのである。
(続く)
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