ぺんぎん1人

休学の道を「決意」したけど「決断」出来なかった人の話

こんにちは、きなです!
今、福岡から上京してきて6日目。明日から社会人。

今だからこそ書き留めたい話
「休学をする人の話はあるけど、やろうとしてしなかった人の話はあまりない」を学生ラストに綴ります。


①休学の理由と決意に当たって

1年前の私は、大学を休学しようかめちゃくちゃ悩んでました。

休学したい理由は、3年の後期から同年代の学生のコミュニティに入ったことで自分の世界が大きく広がっていく中で「まだ学生として知りたいことが多すぎる。特に、''地方創生''ということに特化してがっつり取り組みたい」という想いが出始めたからです。

今までの大学生活、「やりたいと思ったことは全うする」を貫いてきた私は、休学を決意しどうにかして休学できないか考えました。

一番のネックは、「親の説得」。
今でこそ仲がいい家族だが、1年前の私と家族の関係は険悪。基本連絡は業務連絡のみ。私と真反対の超現実主義・超計画的な両親とそりが合わず、口をきくことも避けていました。
だけど、休学、となった場合。一番迷惑をかけるのは間違いなく「親」
3兄弟の一番上で「絶対大学は国公立しか無理」と口酸っぱくいっていたのに、私が受験失敗したせいで私立にいくことになってしまい、学費を多く払わせてしまっていました。
生活費も他の兄弟の2倍以上もかかっていて、まさしく「木寺家の金食い虫」

そんな私が「休学します!」の一言で、親の働く年数も増えることになり、特にお金の面で工面させてしまうこと。
そして資金面よりも何よりも、自分の考えややりたいことを伝えることに相当な勇気が必要でした。

今まで、親に対して面と向かって話したことがなかった私。「何か言っても自己否定されるだろう」とばかり考えてきて、
みんなが「こっちのほうがいい」と言われる無難なレールの上を歩いてきました。

そんな私が、初めて親に「レールから外れます」って宣言。
怖かった。

ほんとは、直接いうべきなんだろうけど、私は当時顔を合わせる勇気を持てなかった。逃げてしまった。
それでも、初めて「やりたい」って言ってみた。

予想通り、親の反応はあまりよくない。ぐちぐち言われた。
だけど、1か月くらい何度も話してみて、
親は「自分の決める道だから」って認めてくれた。

その時は本当に嬉しかったです。

でも。なんであの時面と向かって言うことから逃げたんだろう。
結果的に休学はしなかったものの、あの時の私に戻れるならちゃんと言いたい。自分がやりたいことなんだから、堂々と言っていい。親がたとえ応援しなくても、振り切るだけの覚悟を持て、と。

今から休学の意思を親に伝える人には、本当に伝えたいです。どんなに親との関係性が悪くても嫌いでも、自分の意思を正々堂々と伝えるには本当に顔を見て目を見て直接伝えてほしい。

それだけの覚悟もない人には、休学する資格なんてないと思います。
堂々と自分をさらけだせる人こそ自分の叶えたい姿に必ずたどり着けると思ってるので。

②休学に踏み切らなかった理由

私は、休学を悩んでいたときに(5月くらいかな?)たまたまご縁があって、CAの子会社HASHIGOの平井さんとキャリア面談させていただく機会がありました。

こんな方です↓

この平井さんとの面談で、「休学やめよう」と決断しました。
面談や、それまでの悩み期間で常に自分自身に問いかけてたこと


「私のやりたいことは休学してまでやりたいことなの?」
「休学しないと本当にできないことなの?」

ということ。
結論、この問いに対しての私の答えは、NOでした。

大学4年生の私は、1,2年時勉強も頑張っていたこともあり、学校は週1,2回だけ登校したらいい自由な環境
そして、自分がやりたいことも、目の前に「九州未来フェスティバルの代表」という重役はあったものの、それも休学しなくても一緒にできるな、と思ったことと
メインの休学理由は簡単に言ったら「知見を広めたい、自分の五感で感じるために様々な地域に足を運びたい」というもの。
「今このタイミングで私じゃないとできなくて、本当にコミットしたい」
それくらいのモノじゃないと、休学するレベルじゃないな、と自分自身思ってしまいました。

それが、休学を取りやめた理由です。

もうひとつ、今思えば休学に踏み込めなかった理由がありました。
「自分のプライドの高さからくる、他の同級生よりも1年遅れることに対する劣等感」です。

中高生時代も、上下関係がはっきりしてる部活を経験してるコミュニケーションともあって「年齢が下の人と立場が同じ・または下」ということに強い恥ずかしさと悔しさを抱いてました。

それもあって、休学として社会にでることが遅れることを、自分の中ではマイナスのイメージがどうしてもぬぐえなかった。結局は、勇気が出なかった。
色々言っても、要はこの一言に尽きると思います。踏み切れるだけの勇気を持てなかった弱い人間なんです、私。

③「休学」をしなくて、結局どうだったか

結論からいうと、全く後悔はしてません。
もっとやりたい!はあるけれども。

「残り1年」という期間しかないから、やりたいことはなんでもやろう!と前向きにとらえて大学4年生は、1から3年までと比にならないくらいの濃密で大きな財産となった期間になりました。

特にやってよかったなあ、と思うことは主に4つ。

①全国各地どこにでも飛びまわった

特に、6月の和歌山での地方創生会議でクラウドファンディングのピッチをまだ未熟だったのにも関わらず手を挙げたことで、多くの繋がりや得るものがありました。

②海外バックパッカーデビューしたこと

詳しくは、こちらを。

③awabarで働いたこと

awabar fukuokaというスタートアップの拠点で、福岡大好きなみなさん、素敵なスタートアップのみなさんとお酒を交わしながら語れることはすごく幸せでした。学びも沢山ありました。

④そして、何よりも「九州未来フェスティバル」の代表をつとめたこと

この1年間、ある意味事業主として走り抜けて、沢山苦しいこと、涙したこともありました。(これについては、また後日書こうかな)
ですが、自分の描いてるビジョンにワクワクが止まらなかたし、何よりも絶対叶う!以外考えていませんでした。
本当に楽しかったし、「代表」という立場は自分自身を見つめなおせる場になりました。

思い出に浸るよりも、今は次のステップへ踏み出すことが何よりもうれしい。
学生時代、ひどいときは1日3時間睡眠で3つの職場(バイト→インターン→未来フェス)をはしごしてたし、きつくても楽しい!が先行してたので
根っからの仕事好き人間だと思ってます。
そういう意味でも、休学しないで社会にはやく飛び込めるのは嬉しいです。

もう十分「学生」を楽しんだし甘えさせてもらいました。だけど、もう一人の「木寺広奈」という人物で戦っていける人間になりたいです。

明日から、また0からのスタート。自分の人生軸「半径5m以内の仲間とワクワクと幸せを増幅すること」を大切に生きていきます。

これからもみなさんどうぞよろしくお願い致します!

2019.3.31 木寺広奈



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