窓から見える景色
朝、ベランダから外をみると、
以前に住んでいた部屋が見えた。
ほぼ斜め向かいと言ってもいい近距離に引越をしたので、以前の部屋のベランダがよく見える。
あの部屋に居た頃の私は、
毎日、機械の歯車の様に働いていた。
憂鬱な気分で目覚め、
決まり事の様に朝食を食べ、
準備をして通勤する。
帰ってきてからも、
明日のためにあれをしないと、これをしないと…。
決められた事を時間内に済ませ、
「明日の仕事のために」と就寝する。
その歯車の代償として「安定」(正社員ではないので安定ではないかもしれないが)があった。
安定な生活は、
つまらなく機械のようだけれども
不安は少なく、
続けていれば生活はできそうな
そんな状態だった。
変化は大変な労力を使うのだから
なんの変わりのない毎日は楽で
ただ繰り返してさえいれば良かった。
ふと、今の部屋に目を向けて、
現在の生活を振り返った。
何を失って何を得たのか。
そう。
私は「安定」を失い
「自由」「可能性」を手に入れたんだ。
時間の縛りもなく、自由に使える。
興味のある事は何でもできる。
まっさらなホワイトボードになった。
食事をゆっくりと味わう事ができるようになった。
日々の些細な生活のひとつひとつを
惰性や義務ではなく
ゆっくりと味わいながらできるようになった。
こうしてのんびりと、
朝のコーヒーを飲みながら
窓の外を眺め、
ぼんやり考えにふける事もできた。
そして何より
わがままでいたずら好きだけれども
愛しい同居人(同居猫?)に巡り会えた。
失うものはあったけれども、
この自由を味わえてよかったと思う。
数年後(数ヶ月後?)に生活がままならなくなって
また社会の歯車になるかも知れないけれども、
その時は、また違う歯車の形が見えてくるはず。
この自由を失ったとしても
自由を選択した「経験」は
今後の私に、新たな彩りを与えてくれるはず。
この生活を選択できて良かった。
この生活を選択した自分の勇気を、決断を
ほんの少し褒めてあげようかな。
窓から見えた以前の部屋のバルコニーに
昔の私がまだいるような
そんな不思議な感覚に襲われた。
あの時、不安や恐怖を乗り越えて
一歩を踏み出さなかったのなら、
そんな世界もあったんだろうな、と思った。
いいなと思ったら応援しよう!
