映画「デデデデ」を見た後、必ず原作を見てほしい理由

※この記事はなるべく、映画「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション後章」を見た後に読んでいただけたらと思います。ネタバレがOKな人は大丈夫です。

はじめに

映画「デデデデ」後章を見てきた。私は浅野いにおのファンで、浅野いにお作品はほぼ全て持っている。もちろん「デデデデ」も大好きで新刊が発売されるとすぐに本屋に買いに行っていた。そんな「デデデデ」がアニメ化。なんなら浅野いにお作品が初のアニメ化ということで、めちゃくちゃ心が躍っていた。
ツイッターでは「お前ら全員デデデデを見に行きなさい」とフォロワーを説き伏せる日々。それはもちろん、デデデデに盛り上がってほしいからだ。話題になってほしい。興行収入も上がってほしい。そして浅野いにお作品のさらなるアニメ化につながってくれれば御の字だなと思っている。

そういう思いで、ウッキウキで友達(デデデデ原作未読勢)を連れて後章も見に来たわけなのだが、


後章が終わった時の私の最初の感想は、

ここで・・・ここで終わり・・・うそだろ・・・

でした。しばらく立ち上がれない。暗転後、何かが続くと待ってしまった。しかし終わってしまったのだ。同じくほおけていた友人と映画館を出て、感想戦。そして、感想戦を行う中で、映画の自分なりの楽しみ方や解釈の仕方が分かってじわじわと良さを感じることができた。
ということで、この記事はそんな私の気持ちの記録である。
共感したりしなかったりしながら、見てもらえると幸いです。

なお、公式サイトに載っている浅野いにお先生のコメントを紹介しておく。

「原作ではもう物語が語られることはありませんが、今度は動く門出とおんたんの姿を通して、今一度とても複雑でとても単純な「デデデデ」の世界を体験してください。「デデデデ」は終わりません。そして門出とおんたんは「絶対」なのです。

原作者:浅野いにおコメント

これを見て、より単純化させた「デデデデ」という物語を映画ではやったのかなと思った。おんたんが選ぶ選択肢によって、門出が「絶対」であることで、世界がどのように変わるのか。それを見せたかったのかなと思った。
めちゃくちゃギリギリまで制作に関わってたみたいだし、浅野いにお先生が納得した上でこの作品を作っているのであれば、ファンとしては何も言うことは無いなと思う。ひとつの完成された作品として、この映画を高く評価したい。
これは作品をどうこういう前の大前提として言っておきたかったことなので言いました。

ということで、本題。
この記事で私が一番言いたいことはこちらです。

映画「デデデデ」は「デデデデ」という世界のノーマルエンド(大葉エンド)であり、原作はトゥルーエンドなので、どちらも見ることで最大限楽しむことができる。


① 映画「デデデデ」はノーマル(大葉)エンド


映画と原作の違いのすべてを出していくということはしない。言えるのは、映画「デデデデ」後章は大葉くんを第三の主人公とした物語だったということだ。
映画では、人間と侵略者の狭間で揺れる大葉くんをしっかりと描いている。
原作の印象はどちらかというともっと、キャラクターとして掴めなさが残る印象だったのだが、映画では多くの場面で、かなり人間らしい表情をしていて、「大葉」という人格や「大葉」の持っている葛藤に、視聴者が共感を覚えたり、入り込むことができたような気がする。

大きな違いとしては、母艦の爆破を止める寸前まで大葉がたどり着くということだ。正直これについては見ながら(やばいこれ爆発を止めるの成功するんじゃないか?いや、東京は壊滅しないと困る)という私の心の小比類巻くんが暴れまくっていた。実際小比類巻が止めに来たときは、いいぞ!!!殺せ!!!!とまで応援していた(最悪)
人間と侵略者が共存する道を考えながら、母艦の爆破を止めようと必死に戦う姿は物語の主人公さながらという感じだった。

もう一つの大きな違いは、東京大爆破の数日後に、ボロボロの大葉がおんたんと門出の元に戻ってくるという演出である。

これがね~~~~~~~~正直最初許せんかった。

そもそも東京が大爆破したのは、おんたんが門出がいる世界を選んだ結果である。その結果にあまりにもたくさんのものを失ってしまったのだが、それでも門出とおんたんはこれからも一緒にいる。世界がどうなったって、おんたんと門出が一緒にいるということ、それが「絶対」だから。それが、大葉がいなくなったあの状況でおんたんから門出にしたおふざけのキスにも表れてると思ってる。

ところが、大葉くんが帰ってくることで、ここから先が門出とおうらんだけの物語じゃなくなってしまう。
だって大葉くんとおんたんはたまにキスしちゃうでしょ。人目もはばからず割とちゅっちゅしちゃうでしょ。なんなんだよお前ら、少しは自重しろよホント。
そして、おんたんは大葉くんとキスしてる時は門出のことを見ないんですよ。おんたんは強がって奇人のふりをしているが、割と普通の女の子だから、ちゃんと恋愛もできるのだ。
実は心根がかなり優しくて、大切な人が傷つくのが人一倍嫌いなおんたんと、侵略者と人間のはざまで悩むような心優しい大葉が惹かれ合うのは必然のことだとは思っている。
だから大葉が存在していると、どうしても日々の中で門出とおんたんが「絶対」では無い瞬間が産まれてしまう。そのとき門出はどうしたらいいんですか?渡良瀬は消し炭と化しているのだが?????「門出はおんたんの絶対だし、おんたんは門出の絶対」であるという構図が、大葉くんがいることによって、薄れてしまう。それって、デデデデという物語にとって、あっていいことなんですか??

ということで、一番いい解釈としては、「大葉はあの後こと切れて死ぬ」これが私が思う一番あの映画の終わり方です!!!!!!!!ヤッター!!!!!!

はい。十字以内で感想を述べると「百合に挟まる男は死ね」で終わる話でした。長々とすいませんでした。

とはいえ、さっき言ったように、これはこれで完成された物語として受け取ると、これはあくまでも一つのデデデデ世界の在り方として有りだったのだと思う。
おんたんはこれからも恋愛してもいいのだ。「絶対」と言いつつ、そういう揺らぐ瞬間があるという方が、もしかしたらリアルなのかもしれない。

ということでこれが、ギャルゲー「デデデデ」のノーマルエンド(大葉エンド)です。

② 原作はトゥルーエンド

途中から何の説明もなくデデデデをギャルゲー扱いして、大変お怒りの諸兄もいることだろうが、これは実は一緒に映画を見に行った友達の発言である。デデデデ初見の友人を、映画のみで終わらしてはいけないと思った私は無理やり原作最終巻とその前の巻を解説付きで読ませた。その結果友人はこう言ったのだ。

なるほど…こっちがトゥルーエンドか…めちゃくちゃ質の高いギャルゲーをやった気分だ。

トゥルーエンドこと原作では東京大爆発のあと、門出の父親が実は生きていたことがわかる。
門出が幼少期かなりひん曲がった性格をしていたのは、父親をめぐった門出の愛着障害が由来していた。そして、その問題を解決することによって、私たちはもう一つのデデデデ世界、トゥルーエンドを見ることができるのだ。

ちなみに原作での東京爆破後の大葉くんはどちらかというとマコトとの再会の方が印象的に描かれている。女装趣味があって、はぐれものの意識があるマコトと、人間・侵略者どちらでもない大葉とは通じるところがあって、強い絆がある。個人的にはおんたん/大葉の関係性より、マコト/大葉の関係性の方が好きなので、この再会を読んだときには涙してしまった。

ちなみにトゥルーエンドに行った先のデデデデ世界にも色んな賛否がある。父親に愛された門出が生んだ世界の違いは大きい。失われたものが戻ってくる反面、好きだったものが失われている。手放しで喜べるようなハッピーエンドではないところが、良い。良い物語というのは、議論を生むものだと私は思っているので、あの終わり方が私はすごく好きだ。

侵略者との戦いや戦争における政府の陰謀、人間の立ち回り方、色々なテーマが渦巻くデデデデだったが、最終的に「人同士の関係性」に終わる所が、浅野いにおの言う「複雑で単純な世界」なのかなと思う。

ということで、映画、原作、それぞれの良さがあるということを伝えたかった。やっぱり2時間×2で伝えきれないところがある。それこそ門出の家族の問題や人間性を掘り下げるにはこの尺では足りなかったのだろう。そう思うと、映画二部作上映の着地点としての大葉エンドは、今では頷ける。

ただ、ぜひとも原作未読勢には原作もセットで読んでほしい。デデデデという世界の奥深さを、色んな世界線を見ることで感じてほしい。そう思う。

ということで、ここからはおまけです。

③映画「デデデデ」の好きなところ

・爆発と共に、「明日地球が粉々になっても」が流れる演出は本当に良かった。合いすぎて友達が「えっこの曲このために作られたものじゃないの!?」ってびっくりしてた。全ての日常があの破壊につながるからこそのカタルシスがあるよな
・キャラが動いてて最高~~~~~!!!!!あとめちゃくちゃ作画も力入ってて最高・・・
・前編のキホちゃんのくだりを丁寧にやってくれて良かった。あそこをもっと削ることで原作通りの終わり方をすることもできたのかもしれないが、やっぱりキホちゃんのくだりは重要だと思う。一緒に見に行った友人も結局前後編で一番好きだったシーンは、キホちゃんが死んで、おんたんが「わかってるよ!!」と叫ぶシーンと言っていた。後編の方が展開も多くて面白いけど、いいシーンが多いよな。前編は。
・あのちゃんのおんたん、本当に良い。おんたんの奇人っぷりも素晴らしかったし、気弱な本性も上手く演じていた。あのちゃん以外のおんたん像、もう描けない。
・幾田りらの門出もかわいかった。何よりエンディング流れてきた瞬間、「門出、歌うまー!!!!!!」ってなるのが面白い。渡良瀬にも聞かせてやりたいよ。いや、絶対聞かせてやらないが…(二重人格)
・渡良瀬がえろい。
・渡良瀬がえろい。
・あのさあ・・・

まとめ:渡良瀬はえろい


「小山はさ、いつまで俺のこと先生って呼ぶつもりなの?」←エロい
「10代女子は頭ポンポンされると弱いんだろ?俺も昨日ネットで調べた」←エロい
頭に手を置いたまま←エロい
「そんなに早く帰らなくてもいいじゃん」←エロい
とにかく渡良瀬はエロい、えろすぎるんだ。

映画では軽薄で教え子に手を出すだけの極めてヤバい奴に映ってるかもしれないが、原作では、渡良瀬が門出をフるために言った「秋田に居る両親が倒れて介護が必要」という言葉が嘘だったと分かるシーンがある。しかも旅行券をプレゼントすることで、なるべく両親をこれから起こるかもしれない惨事から遠ざけようとしていることもわかる。政府の中枢にかかわっている元カノの発言から何気なく情勢や東京の行く末を察していながら、教え子たちを置いて東京から逃げ出すことなく最期まで教師としての一生を終えているようなところに、渡良瀬という人間の良さが表れているんだよな。

しかし、門出が懸念していた通り、やはり付き合ったら付き合ったで、色んな問題が生じて上手くいってなさそうという描写が原作にはある。
付き合うまでの過程ではかなりドキドキさせてくれるけど、付き合った後は割とおざなりにしてくるタイプの男だ。
身近な人間を見てきての実感だが、教師は割と社会不適合者が多い。男性教師は男を知らない状態で初めて出会う大人の男だ。しかも、知らないことを教えてくれる立場なのが先生だ。女子高生にとっては良く見えるに決まってる。そういう絶対に対等じゃない関係性で、手を出されようもんならコッチとしては絶対に忘れられない存在になっちまう。そして社会不適合者なので、普通にそういうやってはいけない倫理観の線引きができなかったりする。

クソが!ちょっと頭がいいからって!!!人より色んなことがわかっているような澄ました顔をしやがって!!絶対に渡良瀬を許すな!!絶対に許すな!!そこに渡良瀬を座らせろ!!!!柱に縛りつけて元カノが置いてった小顔ローラーでグリグリの刑!!!!「俺にはお前しかいないよ」って言うまで縄をほどくな〜〜!!!!!!!!!

以上です。
みなさん、映画「デデデデ」をどうぞよろしくお願いします。

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ピリきゅうちゃん
とりあえず部屋でできる限り斜めになるので倒れないようにサポートしてください!小指からで大丈夫ですので!