最新型のノートパソコンは自分の弁当箱より分厚かった
孤独からの解放、インターネット登場!
1990年代に入って、世間ではインターネットという言葉が
聞えてくるようになってきました。
私が見てきた冷暖房完備のVIPルームな教祖様や、
お嫁さんが持ってきたNEC PC-8801君はそれぞれ単独で存在してて、
言葉が不自由で人間ともうまく会話できない孤独な
コンピュータ達でした。
それが、ネットワークで世界と接続されると言うのですから
もうワクワクが止まりません。
どこかのコマーシャルのラッコみたいでした。
コンピュータが、ただのプログラム実行マシンから
世界で何かを発信できる窓口になったのです。
パソコンと通じ合える!OS登場
プログラム実行マシンでは時代遅れで
インターネットには接続できず、結局新しいコンピュータを
購入することにしました。
この頃は、OS(オペレーティングシステム)が出ていて
MS-DOSやWINDOWSでコンピュータを制御することができました。
プログラミング言語で会話する必要が無くなっていたのです。
現在では当たり前に使っていますが、画面の表示を見ただけで
操作が見えるWINDOWSは画期的な物でした
黒い画面にカーソルが点滅するホーム画面しか見ていませんでしたから
赤ちゃんコンピュータが話しかけてきた、そんな感じでした。
最新ノートパソコン購入
私が購入したのはノートパソコンでした。
それも、当時最新のプロセッサーが搭載されている
WINDOWS3.1 モデルでした。
スペックはPentium75MHz
メモリー 16MB
HDD 540MB
クロック周波数が75MHzって遅いと思いませんか?
でも当時これが最新モデルだったのです。
メモリーも16MB、単位が間違っているわけではありません。
HDDは540MB、もうCD-ROM1枚分ですよね。
この最新型ノートパソコンのお値段が・・・
驚きの400000円!
いやぁ、清水の舞台から飛び降りました。怪我しました(笑)
でも、このスタートを切らなければ、私の人生は全く違うものに
なっていたわけですから感慨深いですね。
出たァ~!弁当箱パソコン
でも、一番驚いたのはその高額な価格ではなく
その分厚さでした。
ノートパソコンというネーミングが「どこがやねん!」
とツッコミを入れたくなるレベル。
その分厚さ・・・5㎝
正直、自分の弁当箱の方が薄型でした(笑)
遠くから見ると菓子箱にも見えました。
コレがノートか?電話帳じゃん!と一応ツッコミを入れましたが
当時はコレが普通でしたから、現在の本物のノートパソコンの
あの姿は想像もつきませんでした。
モデムでアナログ回線に接続
インターネットへの接続はモデムカードでした。
電話のジャックに接続してアナログ回線を使用しました。
モデムはいわゆるアナログ電話の回線につなぐ装置です。
電話のモジュラージャックとモデムカードを繋ぎ
ダイアルアップ接続で回線に接続しました。
「ピーピーピロピロピーピー」とFAXの通信音みたいなのが出て
ネットに繋がるのです。
回線速度は28.8bps
この回線の遅さと言えば、ちょっとプログラムをダウンロードすると
1時間とか平気でかかる速度で、ホームページも重い画像が張り付けいると
1枚の画像が下から少しずつ出てきて表示し終わるのに数分とか
かかる驚愕の遅さでした。
私のインターネット漂流はこの超遅い海流を流れていくところから
始まるのでした。
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