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憧れたコンピュータは冷暖房完備のVIPルームに鎮座する教祖様でした

電気科電気工学Ⅲ情報処理にのめり込む

1976年、希望していた市内の工業高校電気科へ入学しました。
憧れていたコンピュータの城です。
工業高校電気科の専門教科は3つあります。

①電気工学Ⅰ(電気理論)
電流、電圧、抵抗、フレミングの左手の法則、オームの法則・・・
②電気工学Ⅱ(電動機関連)
三相交流、電動機・・・
③電気工学Ⅲ(情報処理)
これが待ちに待った情報処理技術、コンピュータの科目でした。

電気科に進学してコレだけにしか興味が無かった私は
英語、数学・・・には目もくれず
他の教科の授業中も電気工学Ⅲの勉強をするほどでした。
教科書で防備して早弁をするクラスメイトの横で
私は教科書で隠して情報処理の勉強をしていました。

勉強は苦手な私は、情報処理以外の教科ああまり勉強しませんでした。
でも、昭和のこの頃は色々緩いところもあって
今の学生さんは信じられないかもしれませんが
数学で-5点を取ったこともあります。(あり得ます?)
全く無勉で臨んだ試験で白紙の答案用紙の裏側に
マンガを書いていたら0点から5点を引いてもらいました。(笑)

打って変わって電気工学Ⅲは自信がありました。
そりゃそうです、他の授業もコレを勉強していたのですから。
この時の点数が110点
100点満点で回答がよかったからと10点を頂きました(笑)
この教科だけはクラスでトップになれました。
まあ、私の中では電気科ではなく情報処理科のつもりでしたから(笑)

コンピュータ室に教祖様を発見!

そんな学校生活の中で、やっとコンピュータ様に出会う日が
やって来たのでした!
それは、真中の校舎の奥にある「コンピュータ室」とやらに
ありました。当時、校長室にも職員室にも、教室にも無かった
冷暖房が完備されていて、もうそれは超VIPルームです。

コンピュータが一般にまだ知られていない時代ですから
もう腫れ物に触るような「コンピュータ様」だったのです。
私は彼が教祖様に思えました。

それは、ちょうど小型冷蔵庫位の大きさで、今から考えると
かなりの大きさでした。
周辺機器は紙テープ入出力装置紙カード入出力装置
プリンターディスプレイが並んでいます。

フロッピーディスクやCD-ROMなどはまだ登場していなくて
データの入力は紙テープ(昔のSF映画に出てくる穴の開いた紙テープ)
と、紙カード(マークシート)の2つです。

OSは無く、Fortran(フォートラン)という科学技術用のプログラム言語
を使用していました。つまり、現在の様にOS(オペレーティングシステム)
が無いため誰でも簡単に操作することができませんでした。
何をさせるにもプログラミングという作業が必要なのです。
この言葉を使わないとコンピュータと会話できなかったのです。

プログラムはステートメント(命令文)の数だけ紙カードが必要で
100行あれば100枚の紙カードにマーキングする必要がありました。
使用者が分かりやすくとか簡単にとかいった気遣いは全く無い教祖様でした

情報処理部はボランティア活動が必須

部活動に「情報処理部」があったのですぐに入部しようとしましたが
なんと、「インターアクト」とかいうボランティア活動に入らないと
入部させないという強力な敷居の高さを示してきました。
それだけ入りたい部員が多くいたのでしょう。
夢のコンピュータに触れる事ができるのですから無理もないですね。

入部してみると、プログラミングの作業として紙カードにマーキング
したものを読み込み出力(プリントアウト)してみてプログラムの
不具合を修正して紙カードを描き直し、また読み込む。
この繰り返しで、時間のかかる作業のため、結果的に
部活は紙カードを読み込ませてプリントアウトさせる作業で終始しました。

わたしが目指していたプログラミングのテーマ
星図を作る事で星雲や星団まで表現しようと高校の3年間、ずっと
プログラミングと紙カードの読み込みを繰り返し
結果、完成しませんでした(笑)

VIPルームの教祖様は私の言う事など聞いてくれなかったのです




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