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親愛なる名前をつけるほどでもない日常へ

インスタにのせた秋のちょっとした日記を3本ほど

 10月某日、広島カフェの旅をして大収穫を収めて帰路につくことができた。そもそものきっかけはwacciのホールツアーが広島で開催されたことを発端としてライブ前日くらいにせっかくなのでカフェ巡りしようと思いつき、当日の朝にせっかくだし泊まっちゃおうかって思って荷物詰めて、広島市内のkiki coffeeさんにいた頃にホテル押さえて、と本当に思いつきでプランがどんどん変わっていくような旅だった。気分の転がり方に関して言えば、自分の右に出る人はいないと思う。自信ある。気分が変わりすぎて買い物しに家出たのに30分くらいして帰ってくることだってこれまで何度もあった。
 そういえば、2年前に大阪へもカフェ旅をした。そのときは予定をきちっと立てて、次はどこのエリアに行き、どんな順番でどのカフェに行くかを決めてから挑んだ。もちろん泊まる宿も事前に選定して、おしゃれホテルに泊まった。その時はその時で楽しかったし大阪カフェの魅力も堪能できたものの、予定通りにカフェを巡っているうちに腹がコーヒーの海状態になった上、夏だったのもあって浅煎りのアイスコーヒーばかり頂いていたらむつごくなってしまった。今より「コーヒー好きならやっぱブラックっしょ!!」思考が強かったのもある。そしてしばらくコーヒー要らないやってなったという残念な結末に終わる。まあそれでもカフェ好きは変わらなかったしコーヒーも毎日飲むけど。

kiki coffeeで食べたビクトリアケーキ
ちょうど数日前に存在を知り、食べてみたいと思っていたところだった


 対照的に、広島へは行きたいところの目星はつけつつ順番や時間などは決めることなくその場その場で次はどこに行こうかな?というスタイルでカフェ巡りをした。この2つのカフェ巡りのスタイルを試してみると、自分にはフリースタイルプランの方が性に合う。計画を練るにしてもアバウトな性格が祟って、お腹のキャパシティとかコーヒーメインかフードメインかも考えずに連続でケーキ食べることになったりとかしてしまう上に、予定決めちゃったらそれ通りに遂行せずにいられない変なところでマメな性格がアダとなりがちだからだ。かと言って、完全なノープランで遊びにいくとわりとすぐに家に帰りたくなるので旅を楽しめないこともあった。10年くらい前にほぼほぼ予定も決めず東京に行った時は、今ほどインスタやXを使いこなすことができていなかったために、中野ブロードウェイでテンガだらけのお店を眺めて何したらいいか分からなくなったこともあった。
 夏の台湾旅行で感じたけど、やはり人にはそれぞれ合うスタイルがあって、それを見つけるには何度かの失敗は必要な経験のようだ。やってみないと自分に合うかどうかさえ分からない。大阪や台湾だけでなく、そのほかにもこれまでに経験したあれこれのおかげでその後の成功があるということだし、振り返りたくないような自分の惨めな過去にだって背を向ける必要はないはずなのだ。が…、が…。

まだ無理。もう少し時間ください。
恥の多い人生なのだ。


うちのおやつ という店名さえかわいいお店でいただいたシュークリーム。クリームが夢みたいにたくさん詰まってた。

 さてwacciのライブ。その前に参戦したライブとやらは10年も前のbacknumber。そのときは何とも言えない気恥ずかしさを伴っての参戦だったことから、飛んだりタオルまわしたりするなどとてもできず、微妙に楽しめないまま自分を無意味に俯瞰してしまったライブとなった。だからまた行こうとかならずにいたのかも。10年も。wacciはもともとちょこちょこ聴いていたとはいえ、アーティストとしてめちゃくちゃ好きだというわけでもなかった。だけど、夏の終わりころにたまたまYouTubeで流れてきた「そういう好き」が自らの直近半年の出来事と見事に被ってしまうことで前頭葉にクリーンヒット。あやうく職場で涙腺が破壊されてしまうところだった。職場でYouTube聴くなよって話は置いといて。そのまま「この歌を生で聴きたいなあ」と思い、そんなこんなで広島でのツアーのチケット押さえてたというものだった。

 この街で私が見つけた居場所は
 195×50センチ
 無印のベッドを二人分け合うから
 また持ち帰る 背中の痛み

「そういう好き」 wacci

 さて、ライブでは無事に涙腺破壊されて涙流すアラサー男性が爆誕した。いいのいいの、誰も見てないし。とは言え、当該曲の途中までは余裕だったのに最後4文字「サヨナラ」で涙腺に日々が入り、すぐに繰り返された2回目の「サヨナラ」で決壊。全部wacciのせい。橋口さんのせい。大好きよ。多分、橋口さんとほぼ同い年な気がする。MCで喋る橋口さんが可愛かったや。あんなに可愛い30代男性ってこの世に存在したんだね。ぐうかわ。まあそんなこんなで泣いたり叫んだり飛んだりタオルまわしたりして楽しんだ。

「いいのいいの、誰も見てないし気にしてないし。」

こんな思考が得られたのも10年間、特にこの3年間でいろんな呪いを解いてきたから会得できた考え方なんだろうな。我ながら大人になりました。いろんな人に支えられたり励まされたりもあったし、もう会うことのない人だってその一助になってるわけなら感謝なのだ。中には中指突き立ててやりたい人もいるけど、そんな人よりゃ好きな人がたくさんいるので良いのです良いのです。オレの知らないところで巨大な口内炎を作って噛んだり、でっかいニキビでもできて誤って潰しててください。
 そう言えばwacciの端口さんが言ってた。この世にはいろんな形の愛があるって。そんな愛を送っている人への関わり方に正解はないよって。多分……そんなことを言ってたはず。MCであんなに感動したのに一晩でこんだけ忘れる鳥頭よ。なんかうまくまとまらないけどとりあえず寝ようかな。

 あなたの好きはね そういうんじゃないよね
 分かってたのに 見ないふりしてた私が悪いの
 だからお願い ちゃんと分からせて
 ねぇ サヨナラ

「そういう好き」 wacci
いろんな愛があるからIROAIツアーなんだって。


 さて、wacciの広島公演から2週間後の先週の日曜日。高知へ行って友達と朝ごはんを食べ、そのままひろめ市場でお昼を食べた。この季節の午前中は少し遅くに外に出ても夏場の7時頃に感じられる日差しのため、早起きしてないのにできた気持ちになる。何だか得した気分。道中一瞬、雨かなと思いながら高速を車で走らせつつも、トンネルを越えて太平洋を望むエリアに出ると一気に晴れ渡り、本当に心地よいドライブだった。


無機質と有機物の調和ってなんて心地いいのだろう

 今回はGrayge Cafeというお店へ向かった。コンクリの無機質さと、木製の椅子や店内中央の植栽の対比が本当に心地よい空間を作り上げていた。また大きく開いたテラスへの戸や横長い窓から陽がたっぷりと差し込んでくる作りにもなっており、採光も最高だった(うわ)
 竹炭パウダーの入ったブラックラテに看板メニューのクロワッサン、マカダミアナッツの入った抹茶スコーン。お互いがお互いを引き立てるような味わいで朝から贅沢な気分にさせてくれた。
 先週の真ん中あたり、ちょうど一週間くらい前から風邪をひいてしまい、熱などの症状こそ治っているが少し残った咳と妙なだるさに不快感を覚えつつ働いている。舌が黄色いのも気になる。ググってみるところ、体調不良等のサインらしい。そんなところ、今日気づいてしまった。職場にいる時が特に体調が良くない。帰ったら良くなる。または、しんどすぎて家に帰った瞬間に爆睡している。これを今週繰り返している。これは自分の心が結構本気で発している今の職場への嫌悪なのではないか。とはいいつつ、次の移動まであと半年。耐えるしかないのは分かっているけど、早くその時が来て欲しいと願うばかり。

黒いラテがスタイリッシュ!


 さらにその一週間後のこと。多分いい感じに寛解。先々週の平日後半戦、自然の中に3日間放り込まれるというこの世の地獄みたいな業務をしていたときから鳴り止まぬ咳and関節痛、発熱を感じていたのだけど、金曜に帰宅して検温すれば見事に38°台をマーク。土曜はめちゃくちゃ寝ていて日曜には復活
とか思ってたら月曜日から木曜日までえも言われぬ不調。微熱キープしていたようだった。風邪にしてはしつこいので時間休を取り内科へ行ってみたところ、マイコプラズマとのことでした。職場のせいにしてとぅいまてん。マイコプラズマは最近は大人にも流行っているようで、潜伏期間は二週間前後と聞いた。広島でのライブでゲットしたかな…と思いながら、お医者さんの話を聞いた。
 もらった薬がよく効いて、翌日にはそこそこ元気になって、その翌日には午前中から元気にカフェを堪能しに、久々に推しカフェに行ってモーニングを食べるなんていう最高な朝のスタートを迎えることができたのだった。やっぱり健康は大切!

美容室に併設されたカフェ。たっぷりのチーズトーストが美味しすぎて笑顔になってしまう。


 そういえば最近またひさびさにカメラをいじるようになった。3年くらい前に買ったフジフィルムのミラーレスだ。僕は何をするにしてもかなりムラというか波というか、ずっと同じことをしていることができないので、カメラに対する熱も上がったり下がったりを繰り返している。カメラ→カフェ→筋トレ→メイク→料理→旅行→コーヒー→インテリア→観葉植物→読書→…。思い出して見ると、かつては無趣味で休日はスマホいじってテレビ見て終わるタイプの人間だったけど、自分で開拓した趣味もあれば、誰かの影響を受けて取り入れた趣味だってある。一夏で終わったけど、サウナにハマって週3で通い詰めこともあった。隙間だらけだった人生を埋めてくれるものが増えたことは本当に喜ばしいものだ。これからも趣味は増やしながら生きていきたいし、既存の趣味を深化させたいとも思う。


 カメラの話だが、買った時についてきたレンズキットからそろそろもう一つレンズが欲しいななんて思うようになった。そんなことを考えながら、SDカードに入ってた写真を見返していたところ、見つけてしまった。昨年の春に撮った桜と一緒に写っているのは2年ほど片思いしていた人の写真を。いや、有るのを忘れていたわけでない。見ないようにしていたというのが正しい。
 結論から言えば2年間の頑張りは水泡あわあわアリエル🧜って感じで終わり(明言は避ける手法)、残ったのはスカイツリー並みに高くなってしまった理想像だけなのだ。SDカードに残ってたのはそんなちょっとしたエモ写真なんだけど、発熱はいつか微熱から平熱へと解熱していくように、あれほど好きだったって気持ちはなんだか今は嘘みたいになってる。
寧ろどうしてこんな歯医者のスリッパみたいな顔の人を好きになったんだろう?とか思って一曲書ける

 まあなんて言いながらもし何かの間違いで会ったりなんてすれば蓋をしていた気持ちがまた暴れ出すかもしれない。ただあの時みたいな気持ちにはなれないんだろうなとも思える。もし毎年同じ桜を見ていたとしても去年咲いていた花とは違うものであるように、同じ熱は出せないようになっているのかもしれない。人間は賢いから一回みた痛い目は二回目がないように学習してる。好きだななんて思いながら遠くに感じるのがいいのかもしれない。そう思えばあれから随分遠くに来たものだな。
 今は好きな人()なんていないし本当に日々が平凡すぎる形で流れているのを肌で感じる。思えば、ジェットコースターみたいな2年間も悪くなったし、自分の生きてきた中でも特に世界が鮮やかに見えた時期だったけど、正直言えば今の平穏が続くことを願っている方が強いかな。自分軸で生きれるようになるまでは、人のことを好きになっている暇などない。

とはいえ、その人にDVDを貸したままにすることによって、連絡の口実を残している僕はやはり

2022年の桜。もう見れない。

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