啓発をすることについて考える
piraです。
ここ1か月くらいははてなブログの方で「人生を変えたジャンル」と称して自分の好きなものを書き続ける日々だったりするのですが、
コロナ自粛の疲れから「そろそろ普通の記事を書きたいよなぁ……」と思いつつ、今回多くの人に見てもらいたいと思い、noteに書くことにしました。
世界自閉症啓発デー
さて、4月2日は世界自閉症啓発デーです。
毎年この時期になると「自閉症についてもっと知ってもらおう」だの「発達障害について理解してもらおう」と思ってあらゆるところでイベントが行われたり、ブルーライトアップと称してランドマークを青く光らせたりといったことが行われます。
発達障害について毎年こうやって取り上げられる機会があることは当事者として嬉しい事なのですが、その反面疑問に思う事もあります。
それは「毎年こういった啓発をしていていいのだろうか?」ということです。
と言ってしまうと、「え?発達障害について知ってもらうのは大事なことでしょ?」と感じるかもしれませんが、その啓発というのも毎年毎年同じようなことをしていて、しかもちょっとしたお祭り感覚になっていて本来の趣旨からだんだんかけ離れているのではないかなと思うところがあるわけです。
啓発とは
ここで改めて啓発という言葉を調べてみると
啓発:人々の気がつかないような物事について教えわからせること。(大辞林第三版より)
つまり知らない人に向けて「自閉症や発達障害を知ってもらおう!」ということでこういったことを行っているということが分かります。
しかし、啓発週間とは言っても知らない人、興味の無い人はそっぽを向くわけで、
そういったそっぽを向く人達は――振り向いてはくれたりする人もいたりはするのですが、啓発週間が過ぎれば何事もなかったかのように日常を過ごしてしまいます。
しかも一部の人達は発達障害に対して知ったかぶったかのような態度を取っているのが実情です。(昨年NHKが発達障害特集をしていた頃にチュートリアル徳井が物忘れが激しいという理由でADHDではないかと医者でもないのに認定したってのが記憶に新しい。)
さらに啓発をしたからと言ってこの1年何か変わったことはあったかと言われたらそんな事は無く、私のような発達障害者は障害と常に向き合いつつ辛くも生活をしているのに、健常者はイベントで何となく障害者について理解ありますよみたいな態度を取りながら祭り上げているような事態になっているわけです。(24時間テレビもそうですし、バリバラについても24時間テレビのときしか裏番組として見ているような印象を感じており残念に思っていたりします。)
結局啓発は感動ポルノ?
そう思って啓発週間や世界自閉症啓発デーでやっているイベントについて考えてみると、「これってやってること24時間テレビの感動ポルノと同じなんじゃね?」という結論に辿り着きました。
何故感動ポルノと言えるのかというと、ブルーライトアップとか啓発のためにポスターを書くとかそういったもので周知をするという事が結果として発達障害者を利用して利得を得ようという考えから動いているんじゃないかなと思うからです。
ブルーライトアップについて啓発週間だということを知らない人、興味が無い人からしたら「青く光っている」という認識しか得られないわけで、
「どうして青く光っているんだろう。」という認識にはいかないと思いますし、「自閉症や発達障害ってなんだろう?」「どうして彼らは困っているんだろう」という気付きに繋がらないと思うんです。
そうだとしたら本来の啓発の目的である「知らない人に対して理解してもらう」というところまで行くのは厳しいと思います。
結局啓発といって障害者を利用するだけで、発達障害について分かってますよって感覚の人がイベントを行っているような感じがして「それって24時間テレビとやってること変わんないよね?」というのがこういった啓発活動に対して思うわけです。
啓発と言いながらお祭り感覚になっていてそういったところが見えなくなっているのだとしたら少し考えて欲しいです。
障害は社会の側にある
もちろん私は啓発をするという事自体が良くないとは思わないです。取り上げないよりかは取り上げてくれることは嬉しいですし、
しかし、障害者を取り上げたところで社会がそれを受け入れる環境にはないということが障害当事者にとって大きな問題となっているのだと私は思います。
感動ポルノと定義したステラ・ヤングさんがTEDカンファレンスで述べていましたが、「障害は障害自身ではなく、社会の側にある」と述べています。
もちろん障害があることで生活が上手くできない部分はありますが、そういった困りごとというのを社会がどれだけ受け入れてもらうかというか大事な要素なのだと思います。
そういった意味では啓発をするという事は大事なのですが、「障害について理解してもらおう。」と啓発週間と称して一時的に祭りあげたり、特集を組んだりと紹介をします。
しかし、紹介をしたっきりで、社会はちゃんと受け入れる環境を作ってはくれない。むしろ「障害について分かってますよ。」という目で啓発活動を行ってそれだけということがある。(障害者は常に障害と向き合いながら生活しているというのに)
そうした社会が受け入れる体制を作らず、何かに取りつかれたかのようにランドマークを青く光らせているだけでは何の成果も得られないと私は強く言いたいです。