ニュージーランドで2回目の妊娠・中期・羊水検査と結果、決断の時
一人目の子の流産が発覚した12週を越えて、スキャン(エコー)でも問題が特にないと言われたので安心しきっていたところで受け取った血液検査の結果は、1/5の確率で染色体異常・18トリソミーの可能性。
13週で専門医にスキャン(エコー)を見てもらうも、スキャンからははっきりとしたことは言えない、と言われたので流産率を考慮して15週以降に羊水検査を受けることになった。
前回のお話はこちら。
2回目のオークランドホスピタル専門医検診&羊水検査(16週)
前日の夜はあまり寝ることができなかった。
泣いても笑っても、この検査で全てがわかってしまう。知りたい気持ちと先延ばしにしたい気持ちとが何度も行ったり来たりしてしていた。
検査の時間は金曜日午後の2時、16週3日目。
事前に検査のことを伝えていた同僚たちから、We are thinking of you todayやGood luckといった励ましの言葉をもらった。ニュージーランドの人たちはとにかく自分はいつでもここにいるよ、話を聞くよ、というような姿勢を示してくれる人が多い。
Ultrasound scan(エコー)
今回の検診も前回同様スキャンから開始。
ドクターは心臓と血流を念入りに見ていて、そこから他の臓器や手足、頭蓋骨の形もチェックしていた。
スキャンの後、別室で結果について会話。
心臓に穴が空いている可能性は濃厚
手の形に重なりが見られる
頭蓋骨の形が通常の成長具合と違う(Uniqueと書かれていた)
以上が今回のスキャンによる所見だった。18トリソミーによく見られる症状が前回から追加されつつも、ドクターはそれでも断定はできないと言っていた。
とはいえ、心臓の異常はかなり決定的なようで、心室中隔欠損(VSD)の可能性と動脈の重なりが心配されるとのこと。羊水検査の結果に関わらず妊娠を継続することになった場合、20週の検診もオークランドホスピタルで行い、心臓の専門医にも同席してもらうことになるだろう、と言われた。
手の形の湾曲については、「ちょっと重なっているかな、というくらいなんだけどね」とのこと。
頭蓋骨の形も、「少しユニーク」という言い方をされた。
前回のスキャンから3週間、成長と共に18トリソミー特有の症状が出てきて不安も増えたけど、それでも、まだ希望を持っていた。
※ この時のコンサルテーションでは言われなかった(聞き漏らしただけかな)けど、小さな脈絡叢のう胞(脳内に分泌物が袋状に貯まったもの)が見られる)という点も後でもらったリポートに記載されていた。
スキャン及びコンサルテーションの後、羊水検査をするかどうかを再度確認されて、そのまま羊水検査へ。
羊水検査
羊水のサンプルに間違いがないように、初めに母体(私)の採血。
赤ちゃんを針で刺さないようにスキャンをしながらの作業となるので、画面をつけたままにするかどうか(針が刺さる様子が見えるので見たくないという人もいるらしい)を聞かれたのでつけたままにしてもらった。
私の位置からは直接は針は見えなかったけど、お臍から5cmくらい下の辺り(注射跡から判明)から針を差して羊水が抜かれた。
私は画面越しに針がお腹を貫通して羊膜内に到達するのを見ていた。
痛みはあったけど、元々痛みに対して強い体質なのと、赤ちゃんの病気に対する不安がとにかく大きくて、針の痛みは大したことはなかった(でも、注射が苦手な人にとっては、深く刺す上にサンプルを取るために数秒針が刺さったままになるので、結構痛いとは思う)。
羊水検査の結果が出るまでは通常2週間かかるが、FISH法という13トリソミー、18トリソミー、21トリソミー、性染色体異常だけ検知することができる急ぎのテスト方法があり、ニュージーランドでは、どちらも結果が受け取れるということで、検査結果は週末を挟んで2営業日後に病院のミッドワイフから電話で知らせてもらうことになった。
羊水検査当日は安静にして、もし痛みや張りがあったらパラセタモルを飲んでね、とのこと。もし出血したり、薬が効かないほどの痛みがある場合は病院に連絡してと言われて検診終了。
その後痛みはそんなになく、心配していた流産も起きることはなかった。
不安で苦しくて、悲しくて、それでも良い結果を強く信じ続けた5日間。
羊水検査の結果(17週)
検査の結果が出る日。
早起きして、電話の前でずっと待っていた。
夫は結果を一緒に聞けるように休みを取ってくれていた。
私は良い結果が戻ってくることを信じていたので、電話の後、働く気でいて、休みを取っていなかった。
かかってきた電話で、結果について I'm so sorry…. から始まった途端に目の前が真っ暗になった。I'm sorry は「ごめんなさい」の意味の他に「残念だ」という意味もあり、本当に残念だけど、、、という言葉から結果報告が始まったことになる。
戻ってきたテスト結果は18トリソミーが陽性で確定。
羊水検査をした日のコンサルテーションで、陽性が確定した場合には妊娠継続を希望しないことを伝えていたので、電話口で病院のミッドワイフがこの後のプロセスについて私が住んでいるエリアであるワイカトの病院に紹介状をすぐ書こうか?それとも数日考える?と聞いてきた。
元々夫婦で決めていたことなので、紹介状を書いてほしいと伝えた。ショックが大き過ぎて、時間を置いて考えるという選択肢を取るという余裕すらなかった。
今思えば、時間を置いて考える時間があったとしても苦しい時間が長引いただけだとは思う反面、もう少しでも長く赤ちゃんと時間を過ごすことも出来たのに、とも思う。
電話を切った後のことはあまり覚えていない。夫が隣にいたので、多分二人で泣いていたんだと思うけど、どんな言葉を交わしたか、夫がどんな顔をしていたか、たった3週間前のことなのに覚えていない。
会社の一番仲の良い同僚に、検査の結果を受け取ったこと、悪い知らせであったことを伝え、気持ち的にとても働けるとは思えないのでお休みをすることを伝えた。
そして、結果報告の電話からわずか1時間後くらいに、ワイカトホスピタルのミッドワイフから電話がきた。
吸引法か誘発分娩か
電話口のミッドワイフは淡々と話すタイプの人で、人工死産(中絶)を17週でする場合、medical(薬による誘発分娩)とsurgical(吸引法)のどちらかを病院で受ける必要があると説明してくれた。
手術の場合はオークランドホスピタル、誘発分娩の場合はワイカトホスピタルになるとのこと。
そして、オークランドホスピタルに翌日の木曜日に空きがあるからどうか?と聞かれて、あまりにも急すぎて気持ちが追いつかなかったので、一度夫と相談して決める、と言って電話を切った。
夫は私の望む方法でどこでもいつでもいいよ、と言ってくれたので、先ほどのミッドワイフに電話。
これは完全に私のエゴなのだけど、ちゃんと産んであげたいと思ったので、ワイカトホスピタルでの誘発分娩を選択した。
生まれた赤ちゃんがどうなるのか、これを自分で聞いた瞬間に電話口で感情を抑えられなくなって泣いてしまって、そうしたらずっと淡々と話していたミッドワイフがとても優しい口調に変わって、ちゃんと火葬するなり、自宅に連れて帰って埋葬するなりできるからね、と言ってくれた。
またワイカトホスピタルの空き状況を確認後に電話する、ということで処置がいつになるのかはわからないけど、あとはもうお別れを待つのみとなった。
翌朝、ワイカトホスピタルのミッドワイフから連絡があり、日曜日に空きがあるので金曜日にコンサルテーション及び準備のための薬を飲み、日曜日に出産というスケジュールで行こう、という話になった。
赤ちゃんと過ごせるのは残り3日間。
ワイカトホスピタルでのコンサルテーション(17週)
前日の電話で、ソーシャルワーカーに会うことができるけどどうする?と聞かれたので、ミッドワイフとのコンサルテーションの後にお願いすることにした。
夫にもついてきて欲しかったけど、どうしても仕事の都合上休めないとのことだったので、一人で病院へ向かった。でも、実は一人で良かったなと思う。夫と私とではどうしても赤ちゃんへの向き合い方に温度差があったので、夫も一緒だったらミッドワイフやソーシャルワーカーとの会話も違ったもの(事務的なもの)になった可能性もある。
ミッドワイフとのコンサルテーション
ミッドワイフに談話室に通され、まず様々な資料が入った封筒が渡された。
今回の誘発分娩(Second trimester induction of labour)に関するものと、サポート団体や赤ちゃんとの思い出作りに関する資料など。
オークランドホスピタルからの紹介状で、子どもの18トリソミーについては伝わっていて、さらに1月の流産の情報も含まれていたので、「辛い年になってしまったねぇ」と最初に言われて、そこからほぼずっと泣きながら会話することになった。
辛い選択をしたこと、赤ちゃんは生まれたとしてもやはり生きることはできないだろうということ(won't surviveとはっきり言われた)、正しい選択だったよ、というふうに言われた。
そして、性別は知りたいか、と聞かれたのでこの時初めて性別を聞いた。
It's a baby girl
女の子だ。女の子が欲しいなぁってずっと思っていた。
泣き続ける私に対して、ミッドワイフが本当に優しかった。
私の中では、やはり妊娠継続をしないことに追い目はあったので、何か棘のある言葉を言われるんじゃないかと少し思っていたところがあるんだけど、ニュージーランドの人たちは人の決断を尊重するような文化があって、医療関係者含め同僚も、みんなが寄り添ってくれたことは救いだった。
そして、分娩後に手形や足形をとったり、抱っこしてもいいし、写真も撮っていいし、赤ちゃんとの思い出を好きなように作っていいのよ、と説明してくれて「何がしたい?」と聞かれた。悲しい結果になってしまったけど、この赤ちゃんのはあなたの人生の一部なのだから、と。
抱っこしたいし、手形・足形も欲しい。できることなら写真も撮りたい、という風に伝えたら、当日対応することになるナースたちにも伝えておくね、と言ってくれた。
さらに、赤ちゃんを亡くした親たちのグループ、SANDSという団体について説明してくれた。
SANDSは赤ちゃんの亡くし方・時期を問わず、全ての親を受け入れているというコミュニティグループで、Inducing your Pregnancy due to Foetal Abnormality (胎児異常による誘発分娩)という赤ちゃんの病気・異常により人工死産を選択した人向けのパンフレットは、当事者に寄り添ったとても丁寧で優しさに満ちた資料となっていて、気持ち的に本当に救いになったし今でも何度も何度も読み返している。
※ もし読みたい方がいたら、TwitterのDMから連絡ください。英語ですがスキャンしてお渡しできます。
生命の存続に関わる病気と診断された子どもとその家族をサポートしているTrue Coloursというコミュニティサービスでカウンセリングを受けることもできるということで、病院から紹介状を出してもらうことになった。こちらは、妊娠の継続・終了に関わらずサポートが受けられる。今回は私だけ紹介状を書いてもらったけど、父親である夫も必要に応じていつでもカウンセラーを手配してもらえるとのことだった。
その後、実際の誘発分娩をする日の流れについての説明を受けた。朝から3時間ごとに薬(Misoprostol)を追加で摂取して陣痛を誘発すること。赤ちゃんの出産後、胎盤が1時間以内に出てこなかったら麻酔をしてドクターが胎盤を掻き出すことになること。まれに大量に出血することがあるので、輸血することへの同意など。
そして、日曜日に向けて、プロゲステロン(妊娠の継続を助けるホルモン)を抑えるための薬(Mifegyne)を一錠飲むことになった。この薬を飲むことによりこれ以上の胎盤の成長を止めることになる、ということだった。
薬を手渡され、「これを飲んだらもう後戻りはできないよ」と言われた。
たった一錠の薬の重み。
赤ちゃんと一緒に過ごしてきた17週間が終わってしまう。私の手によって。こんなに重たく辛い決断は今までの人生でなかった。
泣きながら薬を飲み、血圧を測ってもらい、ミッドワイフは一旦退室。
このMifegyneを飲むことにより、まれに出血や陣痛が始まってしまうこともあるのでその場合は病院にいつでも来てね、とのことだった。
ソーシャルワーカーとの面談
ソーシャルワーカーは病院と連携してるので、私の状況を把握した上で、辛い決断をしたね、とハグをくれた。
最初の流産のこと、今回の妊娠を夫婦でとても楽しみにしていたことなど取り留めのない話をずっと聞いてくれて、正しい決断だったよ、と背中を押してくれた。
本当に何が正しいのかは今でもわからないし、もしかしたら「正しい決断だったよ」と言ってくれる人たちの本当の気持ちは違うのかもしれないけど、それでも、辛い思いをして決断したことを支持してもらえるのは、やっぱり大きな心の支えになった。本当はこんな決断はしたくないのだから。
実はソーシャルワーカーと話をするのはニュージーランドに来て初めてだったので、どんな風になるのか不安もあった。でも、やっぱり彼女らはプロフェッショナルだなぁと思う。不安を和らげてくれて、話を聞いてくれて、話をしてよかったと思う。
いつでも話をしたくなったら電話してね、とスマホの番号をもらって、面談は終了。
再度ミッドワイフに血圧を測ってもらって、その日は帰宅。
最後の時間
この子がお腹にいた日々は結構不安や辛い気持ちが多かったのが少し心残りで、でも大きくなってきていたお腹を記録に残したくて、マタニティフォトを自分で撮った。
赤ちゃんがお腹の中にいたときの自分。悲しいけど、やっぱり忘れたくない。
私の年齢的にも、これが最後の妊娠になる可能性だってありうる。
もう後戻りはできないし、お別れの時間が少し早まっただけだと言い聞かせながらも、元気に産んであげられなかったことを赤ちゃんにも夫にも申し訳なく思ったり、罪深く感じたり、ただただ悲しかったりと本当にいろんな感情が押し寄せてきていた。
夫は冷静に(冷たくすら)見えたけど、赤ちゃんの性別を知りたいか?と聞いたときに泣き出してしまって、今は聞くのは辛いから紙に書いて机に置いておいて欲しいと言われた。
彼といると、本当に悲しみとの向き合い方は人それぞれなんだな、と思うことが多い。一緒に悲しみを共有したいという気持ちもあるけど、私の感情やペースを押し付けてはいけない。
だからこそ、ソーシャルワーカーやカウンセラーと話ができることは私にも彼にも救いになったんだと思う。
人工死産・誘発分娩編へ続きます。