タイ・バンコクでの妊娠・出産体験記【中編】~無痛分娩レポ@バムルンラード病院~
2024年6月3日、タイ・バンコクにて第一子となる男の子を出産しました。
本記事は、私たちがお世話になったバムルンラード病院における無痛分娩レポです。出産直前から直後までの経緯について、自身の備忘録として綴りました。
あくまで個人の経験談ですが、タイで出産を控えている方や、無痛分娩に興味がある方にとって、なにか参考になるものがあれば幸いです。
「前編」は下記リンクからどうぞ。
出産予定日(5月29日)を超過
出産予定日の5月29日を迎えても、産気づく気配はまったくなし。
予定日を超過し、半休を取得してくれた夫と40週1日目の検診へ。内診では「子宮収縮が少なく子宮頸管長も長い。子宮口はほぼ開いていない」とのことだった。
予定日以降は胎盤機能が少しずつ低下してしまうため、「リミットは6月5日です」と告げられる。それまでに陣痛がこなければ、陣痛促進剤を使用して生むか、もしくは帝王切開になるという。
分娩方法に強いこだわりはないけど、できれば痛みを緩和したいと無痛分娩を希望していた私。どんなお産になるか予測できず、少し不安になった。壮絶な難産だけは勘弁してほしいなぁ……。
だが、いくらそう願ったとて、私たちにできるのは、赤ちゃんが「I’m ready!」と思い立ってくれるのを待つことだけ。
つわりによる体調不良が続いていたので、無理ない範囲でルンピニ公園を散歩したり、雑巾がけをしたり、気になっていたレストランやカフェを開拓したりと、比較的のんびり楽しく過ごした。
一方、育児サポートでバンコクに1ヵ月滞在してくれる母のタイ渡航が6月2日に迫っており、「一体いつ生まれるんだろう……」と焦る気持ちもあった。
出産前日(2024年6月2日)
4時30分 生理痛のような痛み
母がタイに渡航する当日を迎えた。
明け方4時半。目が覚めると、母から「順調に空港に向かっている」という報告LINEがあり、ホッとした。
同時に、生理痛のような痛みを感じ始める。これは陣痛の予兆なのだろうか……。鈍痛と不安で寝付けない。
6時30分 おしるし
トイレに行くと薄ピンク色に濡れていて、ギョッとした。破水かもしれない。
慌てて夫を起こし、「破水したかも!」と伝えると、「えぇ!」と彼が飛び起きた。
すぐに病院の日本語対応窓口に電話。「破水したかもしれません」と伝えると、「すぐに病院に来てください」とのこと。
真っ先に思ったのは、「母の渡航日と出産日が重なっちゃったらどうしよう」だった。私たち夫婦が出産でドタバタしていたら、母のフォローができない。
不安になりつつ、用意していた入院バッグにメイク道具や充電器、下着などを詰め込んで、急いで車で病院に向かった。車内で「ついにその時がきたのかもね」とソワソワしながら夫婦で話をした。
あぁ、出産怖いよう……。
7時30分 病院で内診
病院に到着し、産婦人科の窓口で状況を伝えると、私はそのまま車椅子で運ばれてベッドに寝かされた。
「1~10でいうと、どのくらいのレベルの痛みですか?」とナースさん。その時はさほど痛くなかったので「1くらいです」と答えた。
早朝にもかかわらず、ラシック先生が来てくださるとのこと。ありがたや……
無事にフライトのチェックインを済ませた母に、「実は破水したかもしれなくて、いま病院なの」とLINEをした。
ところが、ナースさんに詳しく状況を伝えたところ、「破水であれば、もっとドバっと水が出るんですよ。今回は おしるしかもしれません」とのこと。
なんと、おしるし……。
破水だと思い込んでいたから、拍子抜けしたような、でも正直ホッとしたような気持ち。
9時10分、ラシック先生が到着。普段と変わらない先生の穏やかな笑顔にめちゃくちゃ救われる。
日本語通訳さんを介して内診してもらうと、やはり破水ではなく、おしるしだった。
通訳さんから次のように伝えられた。
どうしよう。朝食を食べておらず腹ペコだ。このままだと体力が持たない気がする。母のことも心配だし……。
というわけで、いったん帰宅することにした。
「5分間隔で陣痛がきたら、病院にきてください」とのこと。リミットの5日になっても陣痛がこなければ、荷物をまとめて入院する段取りになる。
自宅までの帰り道、プルンチットのカフェでエッグベネディクトを食べた。あぁ、おいしい……!
「産前に夫婦でカフェモーニングがしたい」という願望が、思わぬ形で叶って嬉しい。赤ちゃんがくれたボーナスタイムだな。
私も母を空港で出迎えたかったが、いつ陣痛がきてもおかしくない。ピックアップは夫に任せ、私は自宅で安静にすることにした。
17時 母がバンコクに到着
母が無事に、私たちのレジデンスに到着した。
部屋の設備や生活用品についてひととおり説明をした後、夜は夫と母と3人でゆっくりと外食を楽しんだ。
帰り際に、近所のスーパーに立ち寄ったり、BTSの切符の買い方を伝えたりもできて、ひと安心。ベビーよ、貴重な時間をくれてありがとう。
しかしその間も、およそ15分間隔で強い腹痛に襲われていた。「うぅ……」とうめき、うずくまってしまう場面も。いま振り返ると、この時すでに「本陣痛」が始まっていたのかもしれない。
とりあえず自宅に戻り、シャワーを浴びたり、母のお土産の岡山名物きびだんごや「むらすずめ」を頬張ったり。
「前駆陣痛がきているから、今日か明日あたりにお産になるかもな~」と考えながら、割とのんびり過ごしていた。このころまでは……。
出産当日(2024年6月3日)
2時30分 病院に電話
22時半。入院バッグを整えてから、ベッドに入った。しかし、お腹が痛くて寝付けない。
午前0時が過ぎて日付が変わった。腹部の痛みはどんどん増していく。これは本当に「前駆陣痛」なのだろうか?
布団のなかでスマホを握り、「前駆陣痛 本陣痛 違い」と何度も検索をした。
「本陣痛は腰が砕けるような痛み」という記述も目にし、「そこまでではないかな。まだ耐えられる気がするし……」と悩むなど、本陣痛の確証が得られない。
「どうしよう、どうしよう……」
ひとりで悶々としていた。
そうしているあいだに、深夜1時、2時と夜が更けていく。
気付けば、痛みは数分に一度の頻度になっていた。陣痛タイマーに記録している余裕もない。息を吸うと痛みが増し、呼吸が乱れる。
「ふぅーーー、ふぅーーーーーー」
YouTubeで予習した呼吸法を思い出し、できるだけ長く息を吐き続けた。たしかに痛みが和らぐ気がする。
しばらくすると、お尻の奥からなにかが突き上げられるような猛烈な痛みが、1、2分間隔で訪れるように。
(もう無理だ!)
夫を起こし、息も絶え絶えに「本陣痛が始まったかも」と伝えると、「マジか!」と彼が飛び起きた。
病院の分娩室直通の番号に電話して、「日本語通訳をお願いします」と伝えた。ところがすぐに繋げてもらえず、1、2分が経過。そのあいだも、寄せては返す波のように、一定間隔で激痛に襲われた。
「うぅぅぅぅぅうう」と四つん這いになり、のたうちまわる私。
ただごとではないと判断した夫が、「今すぐ病院にいこう!」と準備をし始める。私も、陣痛の波が落ち着いたわずかな時間で、服を着替えて入院バッグを整えた。
「ふぅーーー、ふぅーーー、ふぅーーーーーーーーー」
必死に息を吐き続ける。「肛門を圧迫するとよい」と聞いたことがあったので、手を握りしめて拳をつくり、お尻の穴あたりを必死でギュゥっと圧迫してみた。その瞬間は、少し痛みが和らぐ感じがする。
でも、もう限界。死にそう。
というか、マジで生まれそう!!通訳さん、はよーーーーー!!!!!
ようやく日本語通訳と繋がり、息も絶え絶えに状況を伝えた。
この期に及んでも、前駆陣痛か本陣痛か迷っていた私に、「はっきり伝えた方がいいぞ!」と夫。
ハッとして、「もう耐えられそうにありません!」とうめきながら答えた。
夫が急いでgrabタクシーを手配してくれた。
2時50分 自宅を出発
出発前に、隣の部屋にいる母に、「本陣痛が始まったっぽい。病院に行ってくるね!」と伝えた。
心配そうな顔で「わかった!」という母。
(ちなみに立ち合い出産は夫のみが許可されている)
夫とエレベーターに乗り、1階のボタンを押す。
ところが7階で止まり、女性が数名乗り込んできた。その間も、陣痛の波は容赦なく訪れる。
立っていられないほど痛くて、手すりを掴んで必死に体を支えた。冷や汗が止まらない。
1階に到着するも、あまりの激痛で動けず。へっぴり腰でうめきながら、しばらくエレベーターの中に立たずんだ。
(後に夫に聞くと、周囲は「なにごと!?」と騒然となっていたらしい)
なんとか痛みがおさまり、夫に支えられながらヨタヨタと外へ。
ところが、grabタクシーのドライバーが道に迷ってしまったようで、なかなか合流できない。なんでまたこんなときに……
痛みで気が遠くなりそうになるなか、たかだか1分ほどの待ち時間が、永遠に長く感じた。
車が到着して乗り込むと、「急いで病院に向かってください!」と夫。状況を察知したドライバーが、「わかりました!」とビュンビュン飛ばしてくれた。
車内でも陣痛が続き、さらに車の振動がお尻に響いて死にかける。だが、飛ばしてくれたおかげで、5分ほどで病院に到着した。
もしこれが真夜中ではなく、「日中の大渋滞に巻き込まれていたら……」と思うと震える。
3時 病院の救急センターへ
病院に到着し、救急センターに向かう。
車から降り、車椅子で窓口へ。受け付けを済ませると、そのまま担架で運ばれた。
LDRに移動するあいだも、およそ1分間隔で陣痛に襲われ、「うぅぅぅぅぅううう」と腰を曲げて悶えていた。
ナースさんから「日本語通訳と繋がっています」と、トランシーバーのようなものを渡された。
受話器から「日本語通訳です」という女性の声が聞こえ、安心感がグッと増す。
タイ人通訳さんのゆるくて穏やかな声に、なんだか救われた。
その後、ナースさんによる内診。無痛分娩の麻酔を打てるのは、「子宮口が3.4センチ開いたとき」と聞いていた。
果たしてどのくらい開いているのだろうか?
えぇ!!!!
思わず目を見開いた。は、8センチ……
もう少し長く自宅で我慢していたら、一体どうなっていたんだろう。
それにしても、8センチ開くまでよく耐えたな、私(笑)。当初の希望通り、無痛分娩でお産が進められそうで、心底ホッとした。
「もう少ししたら、ラシック先生が来てくれますよ」とナースさん。まさか、こんな時間にも出勤してくださるなんて。
「ラシック先生には頭が上がらないね」と夫。ほんとそれ。ありがたや……。
3時10分 硬膜外麻酔
無痛分娩に伴う硬膜外麻酔の準備が始まった。夫は別室で待機。
承諾書にサインした後、麻酔科の男性ドクターが登場した。40代くらいの優しそうな方。まずは、背中から腰の脊髄近く(硬膜外腔)にカテーテルを入れていく。
私はベッドの上で横向きになり、両手で膝をおなかに抱え、背中をエビのように丸める格好をとった。
その間も、陣痛の波は容赦ない。痛みに襲われるたび、「じ、陣痛です……」と顔を歪めながら伝え、作業を止めてもらう。
ドクターやナースさんが「安心して。ゆっくりとで大丈夫ですよ」と優しく声をかけてくれて、安心する。
私は「ふぅーーー、ふぅーーーーーー」と息を吐き続けた。は、早く、ワタシに麻酔を打ってくだせぇ……
局所麻酔の注射を打った瞬間、若干のピリっとした感覚があった。でも、ほとんど痛くない。私もグゥーと腰を曲げて、渾身の力でエビのポーズをとる。
麻酔が注入された瞬間、背中に冷たいものがスーっと流れる感覚があった。痛みはまったく感じず。
もうダメ、死にそう。麻酔よたのむ、早く効いてくれ……!
「腰が重たい感じがしますか?」と聞かれたが、その感覚がいまひとつわからなかったので、「よくわかりません」と答えた。
しばらくすると、お腹の痛み、腰の痛み、お尻の痛みが次第に弱くなり、陣痛の頻度も減っていった。そしてついに……
それまでの激痛が、嘘みたいにスゥーっと消え去った。
地獄のような痛みから解放された私。でも、分娩監視装置のモニターを見ると、明らかに陣痛の波は続いている。
麻酔の力ってマジですごい。
神だよ、神…!!!!!!!!
4時10分 ラシック先生の内診
「サワディーカー(こんにちは)」
4時過ぎに、主治医のラシック先生が来てくださった。その穏やかな笑顔を目にしたときの安心感たるや(涙)。
さ、30分以内?? ひぇーー、もうすぐじゃん!
この時の私はすべての痛みから解放され、夫とゆったり話したり、写真を撮ったり、LDRの室内の様子を観察したり、そんな余裕すらあった。
夫婦で穏やかに談笑しながら、その時を待った。
4時50分 お産開始
子宮口が全開大になった。いよいよお産が始まる。
ラシック先生とナースさん2名が、分娩監視装置のモニターを見ながら、呼吸のタイミングを指示してくれる。それを通訳さんが訳し、トランシーバー経由で伝えてくれるのだ。
「吸って~、吐いて~、吸って~!」
お腹を圧迫してもらいながら、掛け声に合わせて息を込め、お腹に力を入れてみる。
ただ、麻酔の効果で陣痛を感じないため、どのくらいの加減で力を入れるべきなのかわからない。
以前に「必要以上にいきみすぎると会陰が裂ける」という恐ろしい情報を目にしたことがあり、会陰裂傷が怖すぎて、8割くらいの力にとどめてしまった。
ナースさんのひとりは、姉御肌な40代くらいの女性。満面の笑みで、「いいですよ、上手です!」と褒めてくれる。
もうひとりのナースさんは、笑顔が優しく癒し系な50代くらいの女性。ふたりとも優しく励ましてくれて、女神のよう。
「せーの!」という掛け声と同時に、「うーーーーーーんんんんん」といきんでみる。しかし、ふんばりが足りていない模様。
私のいきみ方が下手くそなのかもしれない。
不安になって、「こんな感じで大丈夫でしょうか……?」と尋ねると、ラシック先生が「大丈夫、すべて順調に進んでいますよ」と笑ってくれて安堵した。
ちなみに、いきんでいる最中も痛みはまったくなし。掛け声に合わせて、さらに数回いきみを繰り返した。
5時7分 息子が誕生!
お産開始から約15分が経過した。
えぇ!! マジで!?
下半身の感覚がないながらも、できる限りの力を入れてふんばる。
「うぅーーーーーんんん!!!!!」
股になにかが挟まっている感覚がある。
そして、ついに……
・・・・・・。
「ふえぇーーん! ふえぇーーーん!」
う、生まれた……………
赤ちゃんが出てきた瞬間、へその緒が首に巻きついてしまったよう。でもすぐに産声を聞くことができた。
ナースさんが薄いグリーンの布に包まれた赤ちゃんを抱え、私の枕元に運んでくれた。
うそやん。この小さな生命体が、10か月間も私のお腹で育っていたなんて。いまこの瞬間、この子を私が産み落としたなんて。
ちゃんと人のかたちをしていて、ちゃんと生きている。
ナースさんにスマホを渡して、家族3人で初めての記念撮影。
「赤ちゃんにキスしてみて」と促され、夫と赤ちゃんの方を向いて撮ってもらった写真がこちら。
病院に到着後からベビー誕生までにかかった時間は、わずか2時間。
あまりの急展開ぶりに心が追いついていない。
ただ、ものすごい達成感があった。
私たちが赤ちゃんと初対面を果たしている間に、ラシック先生が産後の処置をしてくれた。胎盤を排出したり、会陰切開をした部分の縫合をしたり。
「へその緒はいりますか?」と聞かれ、一応保管をしてもらうことに。ちなみに、タイはへその緒を取っておく習慣はないよう。
「赤ちゃんの体をチェックしますね」とのことで、息子は別室に運ばれていき、夫もそのあとをついていった。
私が気にかかっていたのは、会陰切開のことだった。
「会陰切開」というワードが怖すぎるのだが、ラシック先生が丁寧に縫ってくださったようなので、きっと大丈夫だろう。
しばらくすると夫が戻ってきた。
時計の針は6時半を指している。
激動の夜を乗り越え、朝日を浴びた。
7時30分 病室に移動
一通りの処置が終わり、LDRから病室のシングルルームに運んでもらった。
大きな窓からは緑が見える。室内はホテルのようにきれいで、とても過ごしやすそうだ。
「やっと終わったんだ……」
心地よい疲労感と脱力感がある。怒涛の数時間が、夢の中の出来事だったように思えた。
それにしても、私の母がタイに来るまで待ち、タイの3連休の最終日にスピード出産で生まれてきてくれた我が子。
なんて親孝行なんだろう。
息子はしばらく別室で検査があるとのこと。私はベッドで、夫はソファで横になった。彼もサポートでおつかれだろう。
でも、ふたりとも気分は高ぶっている。昨夜は完徹だったのに、産後ハイなのかぜんぜん寝られない。
なんとなくテレビをつけて、「とりあえず実写版のリトルマーメイドでも観ようか」という話をした(さすがに観なかった)。
こうして、私の出産劇は幕を下ろした。
出産を終えて思うこと
出産から1ヶ月が経った今、当時を振り返りながら、出産レポを書きました。
明け方なのに出勤してくださった大好きなドクターや、笑顔で力強くサポートしてくださったナースのみなさんをはじめ、素晴らしい医療チームに心から感謝しています。
バムルンラード病院で出産できて、本当によかった!!!
そして、10ヶ月超に及ぶしんどい妊婦生活に寄り添い、一貫してサポートし続けてくれた夫に、改めて「ありがとう」を伝えたいです。
現在、頻回授乳による寝不足が続いていますが、出産直前まで及んだ9か月超のつわり生活に比べると、「ぜんぜんマシ!」だと感じています(笑)。
また、母のサポートのおかげで、この1か月は心も体もゆっくりと休めることができました。体力もかなり回復してきており、「無痛分娩で負担が少なかったことも大きいのでは?」と推測しています。
リスクやデメリットがないとは言えない無痛分娩ですが、私は結果的にこの分娩方法を選択して良かったです。
子宮口が数センチ開いてからでなければ麻酔は打てないため、それまでは普通に超痛い。「無痛」ではまったくありません(笑)。
ただ、これだけは言わせて。
麻酔は神。文明の利器に、感謝の思いがやみません。
超絶長い出産レポになってしまいましたが、どなたかにとってなにか参考になるものがあれば幸いです。
次回は、ラストとなる「後編」をお届けします。