見出し画像

私が精神科に入院するまで①

48歳の時、私は猛烈にパワフルに週8日で動き回っていた。
パート、ダンス、父の見舞い、家事、(育児は手が離れて来ていた)で3ヶ月先まで予定がギッシリ。

10年来の整体の先生からは、自律神経が弱いんだから夜はスマホも運動もダメだからね、と忠告されていたにも関わらず、調子がいいし、ダンスがようやく自分らしく表現できてきたところだったので、夕食の後、夜9時から10時半までのレッスンにもたまに出ていた。

その日も、パートで疲れたけど、やっぱりあの先生のは受けたい!との思いに負け、夜レッスンに行ったところ、準備運動で目眩。

なんとか治ったが、翌朝激しい目眩で起きれない。トイレに行くのもやっと。発表会を2本前にして、気持ちばかり焦る。


結局、目眩が治ったのは2ヶ月後くらいだった。その間色々な病院で診てもらうが、異常なし。

発表会には間に合わず、大好きなナンバーだったから今でも思い出すと胸が苦しい。

目眩が治まった頃、腕のほてり(更年期症状と思われる)と不眠がやってきた。ほてりは整体で治してもらったが、不眠は悪化する一方。

やっぱり心療内科でお薬をもらうしかないな、と30代で自律神経失調症でお世話になった病院に駆け込んだ。

その先生は話を聞いてはくれるが、合う薬に出会うまでバンバン処方してくれるだけ。まぁ、薬頼みだからいいんだけど、気付けば結構な量を飲んでいる。

車で通うのもしんどくなって、近くの心療内科に変えた。
しかし先生には「こんなに飲んでるのに眠れないのなら、うちでも無理です」とハッキリ断られた。

その時の私は1、2時間睡眠くらいで、年中フラフラして、家では午前中の2時間くらいしか稼動出来ず、寝たきり状態。
主人は単身赴任中だったので、息子と娘が料理を作ってくれていた。


そう、面倒くさがりの息子が料理をしてくれたのは、学校に行ってなかったからであろう😑

私はひがな布団の中でラジオを聞いて、外がしらんだり、暮れていくのをずっと見るしかなかった。
何か用事がある時は、ボートゲームの小道具のベルをチン!と鳴らし子供に用事を頼んだ。


部屋に夕飯を持ってきてもらったり、夜リビングに行ける時はサングラス🕶️をかけて行った。電気がまぶしくて。あれはウケてたな。

とにかく寝たい。でも寝れない。
朝だけは血圧が落ち着いているが、夜になると230くらいになるので動悸もするし、静かに布団にいる毎日。


もう本当につらくて、
「お母さん、入院したいんだけど…」と子供達に話し、入院する気満々で入院セットも作り、どこで入院できるのか分からなかったので、救急車を呼ぶことに。

一刻を争う症状でもないから、救急車を呼んでいいのか分からなかったので、どうしようどうしよう、と迷っていたら、高校生だった娘が「とりあえず7119に相談するよ」と平然と電話してくれた。
こういう時娘はビビらない。

私はいいのかな、いいのかな、と返事を待った。
すると救急案件とみなされ、救急車があっという間に来た!

ちょうど息子がいたので(今思えば、学校に行ってなかったんだな?)息子が入院セットを持って付き添い。

救急車に寝かされるが、なかなか病院が決まらない。症状を話す。それだけでも動悸がして疲れる。血圧が230を超えていた。


なんとか総合病院に繋がり、ここ心療内科がないけどどこかに入院させてもらえるだろう、と思っていたのは甘かった。

「寝てないんです。どこか寝れる所はないですか」と聞くと

「とりあえず点滴します。寝れる病院なんてないですよ」と呆れ顔で去って行った😣

感じわるぅ〜!二度とここには来ないから!


そしてレントゲンと点滴(少し復活する)で帰された。

入院計画失敗‼️

長くなってしまったので、今日はこの辺で。
読んでくださった方、ごめんなさい🙇‍♂️


いいなと思ったら応援しよう!