『はーぼろぼろ』の思い出
小学生の頃、私は作文を書いて、先生に褒められた事がある。
『はーぼろぼろ』の話だった。
今で言う、花マル◎をもらった原稿用紙を、私は大事にしていて、実家で私の部屋の引き出しに入れていた。何十年も。
それが、今では行方不明だ。
20歳の頃に、電力会社主催のエッセイ募集に応募した。
私の記憶が正しければ、入選した。
応募する前に、手元に置いておきたくて、コピーをした。それも、作文と一緒に引き出しに入れていた、はず。でも、やっぱり無い。
さては…と、ある人物の顔が浮かぶ。勝手に捨てられた?
知らない間に、私の引き出しには、その人物の物がぎっしりと入っていた。
ありえない。
そう言えば、中学生の時に美術の時間に描いた静物画。
気が合わない美術の先生が、珍しく私の作品に高評価を付けてくれた大事な絵。
題材は教室にある物で、誰かのスポーツバッグや体育館シューズなど。
私は、淡いピンクを基調として描いた。
先生に返してもらって、喜んで家に持ち帰って、どこに置いていたんだろう。
気が付いたら、その絵の角が切り取られていた。
「 えっ?どうして。」
尋ねた私に、その人物は、こう言った。
「 ちょうどいいメモ用紙が無くって。」
つい、思い出すままに書いてしまったが、私がココで本当に書きたかったのは、その人物の事では無い。
小学生の時に書いた作文『はーぼろぼろ』に出てくる、祖母の話。
筑後の田舎に暮らしていた祖母が話す方言は、今でも思い出すと『ほっこり』する。その地域独特のイントネーションが、優しい。
残念ながら、私自身は再現できないが、出かけた先で、そこの方言を聞くと、その地域の方々だと確信できる。そして、懐かしい気持ちになる。
子供の頃、祖母の田舎に帰るのは、年に3回。
盆・正月と10月の花火大会だった。
田んぼに打ち上がる花火は、立派で美しかった。
その地域では、花火が作られていた。
いとこ達と一緒に、祖母に連れられて、庭で楽しむ為の花火を買いに行った。
そこは一見ふつうの民家で、玄関先に並べられた沢山の花火から、
各自が好きな物を選んだ。迷いながら。そして、ワクワクしながら。
自分が選んだ花火を、新聞紙で包んでもらって、抱えて帰った。
小さい子も、喜んで抱えていた。
会計は、祖母が払っていた。孫8人分、いくらだったんだろう。
夕方になると、近くの神社には露店が出た。
その準備を見ていると、いつもの神社が、『特別な場所』に変わっていった。
お気に入りは、べっこう飴屋さんだった。いろんな形から選べた。
黄金の色をした飴は、甘くて、間違いなく美味しかった。
そんな神社の周りには、大きな木が立ち並んでいて、その下には、見慣れた
小さな花が、たくさん咲いていた。
私は衝動に駆られて、その花を摘んだ。
片手で持てる位の花束にして、祖母の家に持ち帰った。
一番に、祖母に見せた。誇らしげに。
すると、祖母の顔色が変わって、私は叱られたのだ。
「その花は、はーぼろぼろ と言って、摘んだらいかん。」
そう言って、捨てるように促された。
私には、意味がわからなかった。
でも、祖母の様子で、何かいけない事をしたという理解はできた。
私は、祖母の言うとおりにした。
どうして『はーぼろぼろ』の花を摘んだらいけなかったのか、
今でもわからない。その花の名前の由来も、わからない。
そんな思い出の花が、近くの駐車場に咲いているのを見つけた。
とても、懐かしかった。
半世紀の時を超えて、小学生の私と祖母の思い出が、色鮮やかによみがえった。
小学生の時に書いた作文は、失われてしまったが、記憶は残っていたという事がほんとうに嬉しかった。
もう、祖母には会えないけれど、思い出は残っている。
その時には、何気ない日常での出来事。
それが、宝物になるんだという事を、祖母に教わった気がした。