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信用する人しない人
褒め言葉を素直に受け入れる事が難しくなってきている。
というか、純粋なモノへの違和感を感じている。
世の中のモノ・考えがこんなに真っ直ぐで純粋な訳がなかろう!
という考えと共に、
自己分析をし続けている自分が納得していない部分を褒められると、自分のハカリとの矛盾に納得できずに混乱する。
「この言葉には裏があるのかもしれない。」
「全て嘘かもしれない、もう少し見抜こうか。」
と思ってもイマイチ掴めなくて、
「え、ほんとうだったのかな?」
って思って、いやいや、あれがほんとうな訳ないでしょ…の繰り返し。
とんでもなく優しい人とか、人間として出来ている人、愛想がすごく良い人など、好印象と呼ばれる人。
良いところしか見えてない人からの褒め言葉は信用できない。
「こんなに人間は綺麗じゃ無い」と思う。
だから、世の中ではクズだと言われる部分を持っている人の方が私は良い。
クズは言い過ぎか笑
でも、ダメなところを知っている人の言葉は嘘だとは思いにくい。
怒りっぽいだとか、自由奔放だとか、自己中だとかなんでも良い。
その人の“良く無い”が見えたところで私の信用ゲージは始まる。
そこまでは何を言われてもただの赤の他人だと思っている。
知ってからも、その人の状態とか言葉の経緯とかで信用しないけどね。
クズな部分って初対面の人にはまず見せないから、私は人を信用するのに多くの時間が必要なのかもしれない。
…いや、これが大人の当たり前なのか?
うーん、そうかもしれない。多分そうだ。
まあ、危機管理能力が上がったって事で、よろ〜