今日のお題:マウントという醜態の露見について。
お題が鋭利で不審すぎるが、まぁしょうがない。考えてることの一つだから。
マウント行為とは、そもそも本来動物的行為であるとのこと。
動物が弱い立場に馬乗りになり自分の優位性をアピールする行為らしい。
なるほど・・・?
人間に置き換えると格闘技などでマウントポジションを取れば優位っていうのは何となく分かる。なので恐らく、そもそもマウントって肉体的な状態にしか当て嵌まらいのかな?と疑問。
心理学だと知識や立場でマウンティングする行為は「ディスカウント/値引き」と表すとのこと。価値を値引きする、そういう状態みたいです。
すごいと思った、純粋に。マウンティングする人は相手の価値をはかり「勝った」と勝手になり、本来の相手の価値を勝手に値引きするってこと?
しかもわざわざその感情を相手に知らしめて悦に浸ってるってことなわけだ。どんなプレイだよ・・・。完全自己満オ●ニープレイ・・・。
でも視点を変えれば確かに「己の価値をマウンティングによってディスカウントしてる」という事にもなるので心理学でそう呼ばれるのは当然だ。
勝手に優劣決めつけ、自分が上だよって宣言することで、己の価値を値引きしてる。
マウンティング行為って結局何になるんやろ?と。何が得られるのか、何がしたいのかよくわからん。
単純に高級バッグや良い生活を自慢されても「すげーね」って思うし、その経緯がどうあれ、マウンティングというか自慢されても、結果良いバッグ持ったり良い生活してるのはその人自身の努力の成果だから、わざわざ周りにアピールしなくとも「すごい事」なのではないのか?わざわざアピールすることに多分意味があるんだと更に深掘り。私的に今心は満たせれてるし身体的にも色々治って幸せだし、十分自分にとっては良い生活だからー・・・と。いきなり宝くじ当たって高級マンションとかに住めるようになっても不満はあるだろうだろうし、身の丈に合わなすぎてビックリしてしまう。「仕事もしてないの?自分は給料いくらもらってる」「いい年して独り身なの?」と言われても、多分ピンとこない。良いスペックの機材持ってるとかでもそう。向上心みたいなのが欠けてるのか?しらんが自慢というマウンティングされても傷ついたりキレたりしない自分が想像できる。
自分に自信が無い人がよくマウンティングするって言うが、果たしてそれだけか?マウンティング/ディスカウントして、得るのはおそらく優越感だと思うんだけど、それで何が満たされるのかと疑問。自分は相手より上なんだって確認する行為なのだと思うが、そうしないと自信を持てないってことなのか?
暴言かもだが愚かすぎではないだろう。それって自分にしか意味のない行為だし、そんなことをしないと自分に価値を見いだせないってことになる。自己肯定感低すぎモンスター。哀しきモンスター・・・。
※自信・・・自分の価値/能力を信じること。自己を信頼する心。
なるほど。
マウント行為は自分の能力と価値を疑っているので、他者と比較し、自信を持ちたいということらしい。なんてはた迷惑で残念な思考だろう。マウントによって傷つく人も居るので、正当化というかなんかこう・・・もっと深い意味があるのかと思った。自分を信じれない、自身を持てないことを相手のせいにしてる他責思考な人の自虐行為らしい。
自信がないのは自己責任で、自分自身で確立させるから相乗効果で自己肯定感にも繋がるんじゃないんかい?と意図せず前々回記事に繋がった。
スポーツや勉強もそう。なんでみんな嫌いな勉強や辛いトレーニングを頑張るんだって、自分の努力でしか能力と価値を上げることが出来ないからではなかろうか。
他者によって比較や選別はされるが、残ってくために頑張る。選んでほしい、そのジャンルでトップになりたいなどなど。
脱落しても頑張る。自分のために。頑張れなかったら頑張れるところを探す。生き生きできるところを。人生はその繰り返し。
マウンティングという行為で他者より優位に立ちたい人は、頑張れるジャンルというか居場所が自分になくて、自力で探せないのに他者の方が自分より劣ってると思い込んでる心と頭が貧しい人なのかと分析してみた。
ここで伏線回収です。それを醜態と呼ばず、なんと呼ぶ。
きっと生き辛いだろうと思う。常に誰かにマウンティングして、本来の自分と乖離してくんだから。気持ちを楽に、気楽に生きればいいのに大変だねーと趣味特技:マウンティングって人に思いを馳せる。
気楽、ストレスフリーに生きたい自分には真似できない、難儀な生き方とも言える。
読んでくれて、サンキューです。
※醜態・・・みっともない、恥ずべき様子。
※相乗効果・・・ある要素と他の要素が合わさることにより、単体で得られる以上の結果を上げること。