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自分という生き物を作ってきた好きな音楽たち

今現在、20代前半。

決して数は多くはないけれど、自分なりに、色々な音楽を聴いて過ごしてきたつもりである。

その日その時の好きな音楽によって、生き方の角度とか考え方の方向性は少しずつ変わっていって、じわじわと今の自分を作り上げていった。

ふと後ろを振り返ってみると、今まで好きになった音楽たちは、なんだか一貫しているように思えるところもあるし、妙にチグハグでバラバラな印象もある。

そんな自分もいたな〜とハッとさせられることもあれば、これに関しては変わらない自分が今もいるなとか思えることもある。

こういう作業は、自分の本質を探るような気持ちになれてなんだか楽しい。

頭の中では覚えているものの、書き出してしっかり振り返ったことは無かったので、なんとなくここで細かめに書き残しておくことにしてみた。

今の自分とやらを構成していった音楽たちである。
いや〜生きてきた世代が出るな〜。



●幼児期

とにもかくにも歌うのが大好きな子どもで、ところかまわず大声で歌いまくる、とんだリサイタルキッズであった。

それゆえに、この頃は特定のアーティストが好きというよりも、とにかく新しく覚えた歌が大好きという感じだったようである。(まあちびっことはそんなものだろう)

ただ、保育園児の頃の自己紹介ポスターみたいなのものに「しょうらいのゆめはこうだくみ」と書いてあったので、たぶんあの頃の私は、倖田來未さんが好きだったと言って間違いはないだろうと思える。

しかし残念ながら、その夢は1ミクロンも叶わなかったのは、言うまでもない。


●幼児期後半〜小学生前半

この頃から、好きな音楽への自我も徐々に目覚めたらしく、特定の好きなアーティストができるようになった。

私が人生で一番最初に好きになったアーティストは、大塚愛さん。

さすがに古い記憶なので好きになったきっかけまでしっかりとは覚えていないけれど、たぶん音楽番組とかテレビドラマで聴いたりして、純粋に「可愛い!」と思ったりしたことが始まりなんだろう。

その頃、母にねだって中古のフルアルバムを何枚か買ってもらった記憶がある。(そのアルバムはまだちゃんと家にある)

大塚愛さんはそこから結構長めに好きだったので、小学3年生くらいまで一番好きなアーティストは彼女だったような気がする。

自分が成長するにつれて、最初は可愛いなくらいでぽやんと聴いていた曲も、少しずつ意味を捉えられるようになっていったのが嬉しかった。

ちなみにその頃に1番好きだった曲は、
「黒毛和牛上塩タン焼680円」

曲の中身がちゃんと好きだったというよりも、とにかくすごく印象的だったのが大きい。
他にないような斬新な着眼点が面白いと感じていておきにいりだった。

今になって考えると、なかなかにセクシーな選曲であるが、たぶんこの頃はそこまで深い意味は分かってはいなかったと思える。

しかしながらこの曲は、昔よりは意味を捉えられるようになった今でも、私が大塚愛さんの曲の中で一番好きなものであることに変わりはないというのがちょっと面白い。


●小学生後半〜中学生後半

この辺で自分の好きな大きな音楽ジャンルを、ひとつ見つけることになる。

それが、テクノポップ

小学4年生くらいのときに、テレビか何かでPerfumeさんの「ポリリズム」を初めて聴いて、この軽快で規則的かつ実に不思議な音楽が存在するということを知った。

その独特な浮遊感と巧みなパフォーマンスに当時の私はめちゃくちゃ惹かれて、学校から帰ると、録画した音楽番組でのダンスを見ながら1人部屋で踊り狂う……という実に楽しい日々を送っていた。

無機質な機械音と、なんとも言えない心地よさ。
テクノポップは、感情論では片付かない軽快さと楽しさがあって、なんか本能的に好きだった。

感情のあまりこもっていない音だからこそ、余計な要素が無い、なのでこちらの都合で感情を捉えられる……この独自の解釈の余地みたいなものが好きだった。

それで言うと、ボーカロイドとかも自分の中ではその類だったのでよく聴いていた気がする。


それから小学6年生のときに、私は1人の特別なアーティストと出会う。

それが、きゃりーぱみゅぱみゅさん。

「つけまつける」で一躍有名になったエキセントリックな彼女の存在をテレビで初めて目にし、当時の私はとんでもない衝撃を受けた。

「こんなに新しくて自分をまっすぐ表現できる強い女の子がいるんだ!」と子どもながらにとても感動して、釘付けになったのをよく覚えている。

奇抜なファッションを身にまとって「原宿カワイイ」というネオな文化を取り入れた鋭いポップさと、そこにギャップを見出すような彼女の上品なお話の仕方やパフォーマンスに対する真摯な姿勢に、ものすごく惹かれた。

楽曲もさながら新たな目線のものばかりで、初めて聴いた時には「つけまつけるて!なんや!」と思ったもんな。

”つけまつげをつける〃という一点にフォーカスして、ここまでの曲にしてしまうナカタヤスタカ先生の女の子に対しての解像度の角度と感覚は、何年も経った今でも感動が冷めやらない。

きゃりーぱみゅぱみゅさんの世界はテクノポップの特有の無機質さと、可愛いけどちょっとダークな世界が混ざり合っていて、終始ふわふわした感覚になる。
でも歌詞をよく見ると、基本的にそこには嘘のない、素直な自分へのアプローチが詰まっているところにすごく胸を打たれるのだ。

ハマってハマってハマりまくりお小遣いで何枚もアルバムを買った。
私はこの時期に初めて、自分のお小遣いで好きなアーティストのCDを買うという特別な喜びを知った。

とにかく小学生後半から中学生前半のほとんどは、下校時間も家でも休日でも毎日きゃりーぱみゅぱみゅさんの曲を聴いて、1人、家で踊っていた。

あまりに1人でのめり込みすぎていたので、当時の友だちには「私といえばきゃりーぱみゅぱみゅ」と思われていたらしい。(後から聞いた話)

しかしあの時ハマりまくった熱は結局いつまでも冷めることを知らず、これから色々な音楽にハマるものの……彼女の存在は、今も揺るがなく私の最大の憧れであり特別なままだ。

ちなみに1番好きな曲は「シリアスひとみ」
これは今もなお、変わっていない。


●中学生後半〜高校生前半

この辺から色んなアーティストを好きになった時期が少しずつ被ってはくるのだが、まずもって私は、ここで「バンド」という概念に出会う。

中学2年生の後半くらいから、周りの友だちがいわゆる「バンド」の音楽を聴くようになっていった。

それまで私が聴いていたジャンルとはちょっと違う、より詩的で熱い「バンド」という概念の音楽。
これをじっくりと味わえている友だちの感性がとてもかっこよくて羨ましくて、私も「自分の好きなバンド」という輝く存在が欲しくてたまらなくなった。

なのでこの頃は、地元のCD屋さんで、名前を聞いたことのあるバンドのCDをとにかく色々かき集めて聴きながら好みを探っていた時期である。

そうやってよく聴くようになったのが、キュウソネコカミさんとか[Alexandros]さんとか。

試し聴きした中でも、特にそれぞれのスタイルの違う尖りとか個性が強くて、とっても惹かれた。

その頃の好きな曲は、
キュウソネコカミさんは「キャベツ」で、
[Alexandros]さんは「Kick & Spin」だったかな。

そしてこの頃の私で決して忘れてはいけないのが、UNISON SQUARE GARDEN さんの「シュガーソングとビターステップ」という大いなる1曲の存在だ。

この曲は友だちがカラオケで歌っていたのを聴いて初めて知った。

初めて聴く、その奇怪さと凄まじさに一瞬でグッと惹かれて、その一曲だけ限定してハマる謎の時期が中学2年生の冬くらいに来る。

しかしあろうことか、私はなぜかその一曲だけでこのバンドを通り過ぎてしまった。
(この大きな過ちにむせび泣くのはもう少しあとの話)

それから何よりも大事なのは、私がこれから一生好きであろう心から大切なバンドに出会えたこと。

それが、SHISHAMOさん。

SHISHAMOさんも、当時の私の“名前聞いたことあるバンドのCD漁り時期″に初めて聴いて知れた。

若者に流行っているし好きになれたらいいな〜くらいのミーハー思考で聴き始めたのだが、私はこのバンドの音楽を聴いて初めて、「曲を聴いて心から泣く」ということを知った。

その曲が、今でもこのバンドの曲の中でも大好きなツートップである「サブギターの歌」「あの子のバラード」だ。

真っ直ぐはいられないような複雑な心の機微をとても繊細に描くSHISHAMOさん特有の曲の物語に、聴けば聴くほど、深く惹き込まれていった。

色々とパーソナルな悩みも多かった思春期の多感な時期にSHISHAMOさんの言葉と音楽は、すごく隣にいてくれた。
無闇に明るいことを言わない「分かっている優しさ」にひたすら支えてもらったし、自分自身を強くもしてもらった。

当時はライブに行くという思考回路もないようなただの田舎のアホな中学生だったので、そういう類の楽しみは知らなかったけれど、とにかく部屋で1人で擦り切れるほどSHISHAMOさんの曲を聴いていた記憶がある。
歌詞カードあるのに、なぜか歌詞をノートにガリガリ泣きながら書いて、噛み締めたりしていた。(怖い)

この頃出会えたSHISHAMOさんは、大人になった今でも、変わらずこの世で1番大好きなバンドのままである。ありがたい。

私にとってこの時期は、今の自分を作りあげた大きな要素になる大事な出会いの時期であったので、大変感慨深い。


●高校生後半〜20歳くらい

ここでまた私は、自分の概念と生活をガラッと変えてくれたバンドに出会うことになる。

それが、Official髭男dismさんだ。

私が高校3年生のときくらいに「Pretender」が大ヒットして、その名を世間にしらしめた髭男さん。

結局は私もその曲からこのバンドの存在を知ることになるのだが、ヒットし始めた当初は全く興味を持っていなかった。

あの頃は特に自分の考え方が捻じ曲がっていた時期だったので、「音楽とは1人で聴き込めるからこそ良い」みたいな思想を強く持っていたように思う。

だからなのか、みんなが知っているヒットした曲ってものに対して謎の抵抗感があって、あれだけ流れていた「Pretender」も天邪鬼精神だけで一回も聴かずに過ごしていた。

しかしながら、その当時一番仲良しだった友だちがたまたま髭男さんのファンであったのだ。
ある日のお昼休みに好きな音楽の話になったときに、たまたまその曲の話題に触れて、おすすめされたのをきっかけに私はついに「Pretender」を聴くことになる。

そしてとんだ天邪鬼な私は、この曲を聴いて初めて「音楽を聴いて腰を抜かす」って経験をしたのだ。

いや、あれはかなり忘れられない衝撃だった。
なんだこれはと思って開いた口が閉じられなかったのを、ついこの間のことのように思い出せる。

印象的で緻密に組み込まれた音たちと、文学的で国語的な日本語の麗しさが詰まった歌詞。
どれをとっても不純物がなくてロマンチックだった。
「なんて美しいんだ」というあまりにもストレートな感想を持ったのは、髭男さんの曲が初めてだと思う。

髭男さんは、この世のものを曇りなく美しく彩ってくれる丁寧な歌詞が特に大好きだった。
その頃の私は、この世というものは実に淀んだものだと思って生きていたけれど、髭男さんはそこに対して、忘れてはいけない毎日の美しさと光を見出してくれたんだよな。
それがね、歪んだ自分にとってなんだかとても救いであったのだよ。

更に大好きになった要素で大きかったのは、その音楽の広さ。
当時私は吹奏楽部だったこともあって、髭男さんの楽曲の演奏楽器の豊富さとか、ホーンセクションの豪華さ、メロディージャンルの豊かさにかなり魅了された。
ブラックミュージックとかジャズとか色んな音楽を基盤としつつ、独自のレトロさと新しさをうまく混ぜ合わせたみたいな感じが実にツボだった。

それに加えて、妙にほんわりとしたメンバーのやさしい雰囲気にもすごく惹かれて、気がついたらなんかちょっとおかしいくらい好きになっていた。
(最初、謎に遠ざけていたアホはどこにいったのやら)

抑えきれない好きの気持ちとバイトを始められる時期で資金源があったことも重なって、私は人生で初めて、大好きなバンドのファンクラブに入る。

そして高校卒業して少しして、勇気と知識を獲得し、初めて好きなバンドのライブに足を運んだのだ。

サポートもあれだけ豪華だから、いわゆる基本のバンドのライブと比べると大分特別なところはあるのだけど……。
ただあの時、髭男さんに初めて魅せてもらえた景色は、これから先何があろうとたぶん一生忘れないと思う。
初めての経験とは得てしてそういうものである。

Official髭男dismという存在は、とにかく私に色んな初めての景色と経験と喜びを与えてくれた。

音楽に流行りとか偏見を見出すことほどもったいないことはないこと、何事も一聴にしかずなこと、そもそもにおいての音楽というものの深さと素直な面白さ。
それまでの自分の歪んだ考えを大いに見直す、特大のきっかけとなってくれた。

髭男さんのおかげで私は、生の音楽というものの尊さをちゃんと知ることができたし、「もっと色々な音楽を生で聴いてみたい!」という気持ちにどんどん駆り立てられていくようになった。

このでっかいでっかいバンドには、感謝しかない。
本当にありがとう。

ちなみに、髭男さんの1番好きな曲は、今もずっと変わらず「始発が導く幸福論」である。
なんとも愛しくて等身大の、私の好きな髭男らしい名曲だと思う。


●21歳頃〜今現在

こうしてやっと、現在の自分の中で一番ホットな音楽に繋がっていく。

髭男さんを好きになれたことをきっかけに「バンドのライブ」「生の音楽体験」というものの素晴らしさを知ることとなり、私はとにかく色んなライブに行ってみたくなる。

他のアーティストたちは一体生でどんな世界を作るのだろうという興味がどんどん増していって、色んな経験を積みたくてたまらなくなっていたのだ。

なので行きたいライブを常に探してはいくのだが、この頃は何を隠そういわゆるコロナ禍で。

その影響で、やっと行くことを決めていた大好きなSHISHAMOさんのライブも中止になってしまい、私の膨らむ気持ちとは裏腹に、全く踏み出せない日々を過ごしていた。

だが落ち込んでいたそんな時に、母から「近場で行けそうなライブがあるよ」という嬉しい情報を得ることとなる。

それが、UNISON SQUARE GARDEN さんのライブツアーだった。

会場は地元から車で行ける距離。
そしてとても行きやすい日程と時間。

何より、知識の乏しい私でも知っている、
大変有名なロックバンド!
(中学生の時の私の奇行でたった一曲だけだけれど)

生の音に飢えていた私にとってこれほどまでに嬉しいことはなく、すぐに行くことを決めて、チケットを得た。
(今はそんなことないかもだけど、その時は当時の情勢も重なって、チケットがギリギリの最終先着まで残ってくれていたのだ)

それから、来たる初めてのライブへの予習のために、ユニゾンさんの曲を聴く日々が始まる。

毎日聴けば聴くほど、
「私という愚か者は、なぜあの時たった一曲だけで通り過ぎてしまったんだろう」
というとめどない後悔が押し寄せてきた。

だって、実に理想的でロマンに溢れた唯一無二の世界がユニゾンさんの音楽には詰まっていたから。

歌詞の高度な遊びに誰も真似できない圧倒的なセンス。
なのに恋というものへの永遠のロマンチックさみたいなものは忘れていない妙にピュアなところ。
そっぽ向きながら救ってくれるあの不意の優しさ。
とにかくどれもこれも聴いていて窮屈じゃないのが、心地が良かった。

こちらから彼らに求めるものはあれど、彼らからこちらに求めすぎるものはないという、自然体で聴ける心地良さ。

おこがましいけど「私がずっと探し求めていた理想はこのバンドにこそあったのかもしれない」と思い始めてしまうくらいだった。

そうやって気持ちをどんどん高めていき、もうだいぶユニゾンさんに取り憑かれた状態で迎えた初めてのライブ当日。
私はそれまで自分の中に描いていた「バンド像」というものを全てひっくり返されることになる。

目の前で繰り広げられる怒涛のステージには「これこそが真のロックバンドである」いう確固たる信念と電撃があって、当時の自分の中で抱いていた常識は何もかも塗り替えられた。
その凄まじさと圧倒的実力と、3人で作り上げる曇りなき空間に完全に屈服してしまったのだ。

知らない夜にこんなに踊り狂ったのは初めてだった。
今まで部屋で1人、幾度となく踊り狂っては来たけれど、全くもって別次元の、気づいたら踊らせられるという新しい喜びだったな。

両足の太ももくらいまで浸かっていたユニゾンさんの沼に、ここで一気に頭まで溺れ……ライブ行きたさにあれよあれよとファンクラブに入会し……いつの間にか、新曲もアルバムもツアーも追わずにいられないほどとんでもなく大好きな存在になってしまっていた。
このバンドを大好きになったスピード感には、私が1番びっくりしている。

数年前、たった1曲だけにハマり、通り過ぎたバンドに、今となってここまで急速に溺れるとは。
すごい嬉しいけど悔しい。面白いけど悔しすぎる。
非常にもったいないことをしたけれど、また会えて良かったなと思う。

こうしてユニゾンさんを好きになれたことを機に、自分の中の好きな音楽のスタイルとかスタンスはガラッと変わったような気がする。

それまで好んでいた壮大な美しさとはまた味の違う、どちらかと言えばタイトなロックナンバーに惹かれるようになった。限られたもので作り上げる美徳的なものに魅了されるようになる。

それに伴ってか最近は、積極的にa flood of circleさんとかを聴いている。すごい楽しい。

お名前を知って、初めて曲を聴いたときから、今のこの世にこの歌声とハングリーさが存在することにすごく感動した。
忘れられないし忘れたくない魂を揺さぶる唯一無二の歌声。
許されるなら、この歌声は文化遺産にしたい。
ロックとはここにあるぞみたいな、無くなっちゃいけない存在だと思って勝手に見つめている。


そういえば、
UNISON SQUARE GARDEN さんの1番好きな曲。
これに関しては、私、決められない。

このバンドの曲は、その日の気持ちとかその日の天気とかなんなら温度とかでも、聴きたい曲と沁みる曲がぐるぐる変わるのでなんかひとつに定められないのだ。

ただありがたいことに本当に全部好きだし、膨大な数の曲があるので、その日の自分に合わせて色々チョイスができる。めっちゃありがたい。

最近とても好きなのは、これ。


●まとめ

さて、さすがに長くなりすぎました。
平成に生まれ令和を生きる人の、好きな音楽年表もどきでした。

こうして文字にして振り返ってみると、あまりにもありきたりな文言にはなるのだが……音楽との出会いは実に一期一会だなと思い直す。

衝撃的な出会いがあったり、一回通り過ぎたところとまた出会い直したり、何の気なしに聴いた音楽にこれから先ずっと救われることになったり。

色んな偶然偶然の先に、運命がある。
音楽との出会いは恋に似ている。
というかまあ恋だよなあ、一種の。

今までも色んな音楽に助けられてきたし、きっとこれから先もこの好きな音楽たちに抱きしめてもらうんだと思う。そんで時々離れてみたりもして、やっぱり好きだって思い直して、また会いにいったりもするんだと思う。

そうやって楽しい夜も泣く夜も踊る夜も何にも考えていない夜にも、なんだかんだいつも横には好きな音楽がいた。

これからも隣にいると思う。

さて、これを機に、あの頃好きだったアーティストたちのアルバムを久しぶりに開けてみて、聴いてみようかなと思う。

時が経って自分は老いれど、世の中がどんだけ腐ろうと、好きな音楽と思い出はいつまでも褪せないと思うから。

というか、そうであってほしい。

これからも、人生は音楽と共にありけりでいられますように。

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