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思い出の内側で

「安い飲み屋でしか生まれない思い出ってのがあんだよ」

若い笑い声が響くなか、目の前の男はそう諭してきた。私は特に返事もせず、醤油のかかりすぎたホッケをつまむ。
先程まで不機嫌な様子を出したつもりはなかった。それなのにこんなことを言うのは、やはり後ろめたさがあるのだろう。

和樹とは付き合ってもう3年になる。アパートの内見案内をしている途中、突然「ここに君と住みたい」と告白されて、私は面食らってしまった。契約書に記入されたフリーターの文字を見て、あんな勇気があるから不安定なままでいれるのだろうと感じた。年齢の欄の「32」という数字もまた、不安定な線で書かれていた。

契約が終わると「鍵は君が持ってて」と言って、彼はそのまま帰っていった。そして翌日、荷物を詰め込んだ軽自動車で会社までやってきたのだ。あの時、呆れて笑ってしまったのだから私もどうかしている。

「すいませーん!」

どれだけ騒がしい店内でも、和樹の声はよく通る。店員がやってくると、彼は半分ほど残った生ビールを音をたてて飲み干した。済ましてから頼めばいいのに。この男はいつも小さな迷惑を気にしない。彼は追加の生ビールをふたつに、唐揚げと枝豆を頼んだ。追加したひとつは私のぶんだろう。

「ごめんなさい、ひとつは生ビールじゃなくてハイボールをお願いします」

注文を訂正するついでに、まとめた空いた皿を店員に寄せる。すると、和樹はまだ身の余ったホッケもそこに乗せた。
止めようか迷う。パサパサの身とかかりすぎの醤油に嫌気がさしていた私は、仕方ないと決めて目を瞑った。

「ふたつとも、俺が飲むつもりだったんだけどな」

そう言いながら煙草を取り出し火をつける。煙を吐くとき顔を横に向けたのは、きっと配慮ではない。キャスターの甘い香りが仄かに漂う。店の空気と混じって、妙に重たい。

ー彼は非を認めない。

私は別に洒落た店で誕生日を過ごしたかったわけじゃないし、もっと言えばあなたと居たかったわけでもない。
誕生日を忘れていたことなんて、本当はどうだっていいのだ。それを知らず、急遽予約した近所の安い飲み屋を「ここじゃなきゃいけない」となどと言う。

この関係を続けている意味はなんだろう。またひとつ若さを失ったというのに、好きでもない男と暮らしている。

「そういえば、こないだはじめてギターを触らせてもらったんだけどさ。すげぇ楽しくって、買おうか悩んでるんだよ。」

頬を赤くして彼が言う。本当にくだらなくて笑ってしまう。これはもうすぐ来る和樹の誕生日プレゼントの催促だ。2LDKの一室は、趣味の墓場になっている。

「何色がいいの?」

そう聞くと、ただでさえ赤い顔がぱぁっと明るくなる。追加のビールを一気に呑んでスマホを取り出した彼は、客のなかで一番嬉しそうな顔をしている。
今日の会計を支払う金もない男の、この幼稚さを気に入っていた。無邪気な笑顔を見るたびに覚える優越感だけが、私に必要だった。

安い居酒屋でしか生まれない思い出。和樹はその最中だろうか。外から見たら私もそう見えているのだろうか。愛想の悪い店員がもってきた唐揚げは、いまやってきたのに冷めているけど。

「そうだ、ケーキを頼もうぜ」

彼は戻っていく店員を呼び止め、ケーキを注文した。私の誕生日と歳まで伝えて。
満足そうにして唐揚げをつまみ、大きな声で「いい日だな!」と言った。

ハイボールを呑む。質の悪い油が流されていく。
私はあの日と同じくらい呆れて、やっぱり同じように笑った。



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ぴぴぷる
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