置き換わっただけ。
私はどうやら自分がやりたいと思ったことが実現する瞬間が好きだ。
だから旅行が好き。やりたいこと・食べたいもの・見たいと思った景色をみるために計画をたてて、友人といく。
観劇も好き。観たいと思った公演のチケットをとって、現地に向う。
純粋にそのものが好きという気持ちよりは、自分の意思のもと行動できていることが何よりも嬉しいのだと思う。
中学2年生の頃より自分日記をつけて10年。自分のことを考え、向き合ってきた時間が長すぎるせいか、心の関心事は気がつけばいつも自分中心にまわっていた。大学生までは「なりたい自分」になれているかがもっぱらの関心事で「やりたいこと」なんてよくわからなかった、というのが正直なところである。でも、大学生になって、「やりたいこと」がふいにできて、そのための生活するようになったら少しずつだけど人生が楽しくなってしまった。「やりたいこと」のために頑張る自分がいた。今考えると不思議な心境の変化だったように思う。
中学生の頃よりも自分日記が減ったのは、この心境の変化が大きいのかもしれない。もう考えることが減ったのではなく、「なりたい自分」について考えるより「やりたいこと」について考える割合が増えただけなのかもしれない。
「やりたいこと」とかいってもそんなに高尚なものなんてない。ただ俳優の○○くんに会いたい、とかこの人の歌を生で聴きたいとかそんなんだけど、そんなんを一個づつ叶えていくのがいいんだよな。自信がついていくのかも。楽しいと思える毎日は、誰にも叶えてもらえないけど、ある程度まで自分で作り上げられるなら壊れても怖くない、なんていつか思ってみたいな。
実際そんなに強い女じゃないけれど、「やりたいこと」を叶えられる自分は「なりたい自分」を目指す自分よりもずっといい。バランスがとれていて私は好きだ。
だから、私の人生は「やりたいこと」を思って叶えていく人生が向いているのかもしれない。