
"鬱病を治す"より"やりたいことをやる"人生がいい
私は、鬱病だ。長いこと患っている。
でも、ひとりの人間として、人生を送っている。
時間は有限。
だからこそ焦る。
やりたいこと、したいことがどんどんでてくるし、進みたい。
それで治療に遅れが出てしまうこともあるのだと思う。
あれこれやっては具合が悪くなり、仕事探そう、そしてなんとか働けることになったとしても、長く続けられず。
社会にどうしたら出ていけるのか、今は出ていけないのか。
出ていけないなら、これをやってみよう。
その繰り返し。
どうしても、何かをするために、がんばってしまう。
そういう性分のようで。
がんばらない、ということが、できないまま13年。
がんばってはいけない病気なのに、どうしても”何もしないでゆっくり”ができない。
せかせかしていること(焦燥感)がひどいときは、さすがに調子が悪いときなので気を付けるけれど、とにかく今はやりたいことがたくさん出てきて、止まらないのだ。
私のそのような生き方って、間違っているのか?
と考えたとき。
”鬱病の治し方”ではなく、
”私の生き方” ”ひとつの人生”として考えたとき、
間違っているわけではないよね?
ということに、気づいたのだ。
例えば。
『夢をかなえるゾウ』という本がある。(水野敬也 著)
とあるサラリーマンの家に、ゾウの姿をしたぐうたらな神様ガネーシャが現れるお話。
その中で、
漫画家の手塚治虫は亡くなる前、入院先の病院のベッドでも漫画を描いていた、というエピソードが出てくる。
彼が死ぬ間際になっても漫画を描いていたのは、努力家だからとか、我慢して頑張るとかいうのではなく、単純に「やりたかったから」なのではないか、と。漫画を描くことが”やりたいこと”だったからこそ、病床においてもつい描いてしまう、たのしくて頑張ってしまったのではないかと、ガネーシャが語る。努力そのものを目標とするのでなく、がんばったり成長したりすることがたのしいことだということを自分に教えるため、「その日頑張れた自分をを褒める」習慣をつけることを主人公への課題にする。
また。
かの有名な、伝説のROCKバンド『X JAPAN』のYOSHIKIさん。
1990年代から激しいドラムプレイ、ピアノ、作詞作曲でバンドをけん引してきたが、激しいプレイがたたって首の手術を繰り返している。
今年3度目の手術をしている。1度目の手術の段階でもうドラムが叩けなくなるかも、という話になっていたが、いくらドクターに言われても、彼はドラマー、ピアニスト、アーティストとして音楽人生を歩んできた。それをできなくなる、やめてしまうことは、彼にとって絶望なのだろうと思う。
幼い頃に父親を亡くし、ストレスを抱えている中で母親が与えてくれたのがドラムだった。そこから今までの人生なのだから、彼からきっとドラムを奪うことはできないのだ。
両親がすきなX JAPANを聴いて育った私だが、詳細はきっともっと詳しいファンの方々がいると思うので調べてみてほしい。
その、YOSHIKIさんの人生と、ドラムをたたかずにいられない理由。
なんだか、今の状況なら、私にもわかる気がしてきたのだ。
私は最近思った。
鬱病でも、
やりたいことをやらずに休む人生より、
やりたいことには向かいたい。
目標に向かって努力することがよくなくても、
欲を我慢して何もしない、という人生がストレスになる。
薬を調整するには今は、という時期ばかりになってしまう。
長くなるのはそれのせいかもしれないけど、
今の薬を例えのみながらでも、
できることはやっていいよね?
だって、
人生一度きりだから。
鬱病を治すというのが人生の目標なら徹底的に向き合って、ゆっくりしなさいと言われたらゆっくりするかもしれない。
でも、そういう環境が整っている状況のひとって実際、結構少ないと思う。
もし、今、次々と出てくるやりたいことを我慢してまで鬱病を治しなさいといわれたら、
”やりたいことの我慢”が、今の私のストレスになる。
ストレスは鬱病の治療を遅らせるので結局、それは治療にはならない。
今の自分のままで、いまできることややりたいこと、
やってもいいよね?
私は、記事を書くときに、鬱病治療中の同志の方々に共感を得られるかもしれないとか、情報源になれば、など自分なりの意図があるときに”鬱病pizza”という表記をすることがある。
でも、
私の人生の主人公は、鬱病の私ではない。
本名は書けないけれど、
いろいろ抱えている、その他諸々を含む、
『私』なのだ。
だから、私がやりたいことは、私がやりたい。
鬱病の治療をしながらというのは、生活の中の大前提であり生活の中に組み込まれている一部で、
病気による、メンタルコントロールのできなさとか社会性に難ありとか、制限はもちろん嫌というほど受ける、
その今の自分でもできること、やりたいことをしたい。
薬を調整するためにやめておこうとか、鬱病で難しいからと最初から制限してしまうとか、それはしたくないなと。
もちろん、疲れたら休む。
無理は絶対ダメ。
これも嫌というほど痛感した。何度も。
病気のせいで、自分に、自分で制限をかけたくないなと、思ったので書いてみた。
自分自身が、”鬱病だから○○できない”、と卑屈になる考えをしてばかりだったので。
必要な治療はちゃんと受けつつ、何かあったときに治療法があってるのか、この薬がダメなのかと考えすぎず、
”今やりたいことをできることで自分は充実して過ごせる”
”私はがんばりたい人間なんだ”
と自分をちゃんと理解して、たのしい方向へ考えたい。軽やかに。
がんばりたくたって、いいじゃない。
そういうタチなんだから。
そう、思っていてもいいかな?
どうか、明るく考えることで未来が開けますように。
いいなと思ったら応援しよう!
