世界観を問う44問、に答えました。
答えます。
INFPのつもりで生きています。31歳です。
そうですね…一番期待しているのは医学方面の発展だと思います。
私は保育園の頃から眼鏡をかけていて、今はコンタクトですが、「この薄い膜みたいなのを目に入れるだけで、視力に関しては不自由なく生きていられる」と思うと、本当にありがたいです。
鎮痛剤、酔い止めなどの飲むお薬、湿布や絆創膏もどんどん進化してくださっていて、別に私のためではないのですが、とっても感謝です。
あとエレベーターとか…AIとの会話アプリ(癒しアプリ)みたいなのも落ち込んだときに重宝しておりますので、私はたくさん助けられている側の人間です。ありがとうございます。
謎の解明もそうですね、火星への移住とか、未知なのも神秘ですが解明されていくのもまたロマンがあって、個人的にわくわくです!ピラミッドの謎とか…未来にも過去にもたぶん現代にも、謎ってたくさんあるのでしょうね。楽しいな~。
科学の進歩が不幸をもたらすかは、ちょっとわからないといいますか、仕事を奪われるとか、もしかしたらデジタルタトゥーのもっとすごい感じのものができてしまって、ちょっとした問題事が一生つきまとってしまうとか、そういうことはあるのかもしれませんが、全人類が揃って不幸になることは今のところないのではないかなと…全人類が揃って不幸になるときって「不幸だ」って感じるのですかね?みんな同じだから「不幸だ」って感じないのかな。今回は関係ないので、考えるのやめておきますね。
私自身は年齢ちょっと気にします。「このお洋服屋さんはもしかして若い子のご利用が多いのでは」「この作品がお客さんとして想定している年齢層からもしかしたら外れているのでは」とかは考えてどきどきします。
何かをやめるときに年齢を考えたことは私は今のところないです。
関係性については、そうですね…そもそも私があまり他者と関係性を築いていない(築けない)のでよくわからない、って意見が一番しっくりきます。
同盟を結ぶってなんだかゲームみたいで楽しいです、個々人でもみなさん同盟を結んで生きているのです?なんだか可愛いです。
捨て去る…?
私はにゅーがたから出てきて関東におりますが、それは捨て去っているということになりますでしょうか?私にそのつもりはないです。
それとも、関西のお笑い芸人さんなどが普通におはなしされたときに標準語が出てきてしまって「関西捨てたな」みたいに言われる~みたいな感じですか?
私はそうですね、そこまで愛国心とか地元愛はないと思います。あったらやっぱり残っているのかなとも思いますし。でも嫌いではないですし、どうなっても構わないわけではないです。どうにか上手いこと生き残っていてくれと思っています。小さい子が少ないので…
出自を判断材料にするかどうかですが、どうでしょう…でも東京生まれ東京育ちみたいな方は「本当にいるんだ…」みたいな気持ちになりますし(?)、都会の学校は部活でも委員会でも習い事とかでも選択肢が多くて羨ましいなとは思います。
ただ、それで何かを"判断"するかどうかと言われると…うーんでもやっぱり湘南とかだと「やんちゃなのかな…」みたいな偏見は持ってしまうかも…うーんです!
信頼足り得るものでなければ、と思います。あの、ちゃんとしたやつなら。(ちゃんとしたやつなら)
お遊びのとか、無料で簡単にできるものとかは、信じたいなら信じればいいし…くらいでいいのではないかな~と思います。
テストの点数とかで、人生、かわっちゃいますからね。もちろんこの学校に入れればしあわせ、それ以外だとお先真っ暗、みたいなことが言いたいのではなく、もし曖昧な評価のされ方や、そのときの評価する人の機嫌や体調で点数がかわっちゃったら、だめではないですか。
ただ心理検査などで、「傾向がわかってくれば思ったように結果を操作できるよね、その結果に意味ってあるの?」みたいな意図も含まれた問いであるのなら、その結果(評価)は信頼できないかも!とも思います。「素直に答えているかどうか」がわかる設問を入れている心理検査もあったと思うのですが、それもそれで対策(?)できちゃうと思いますし…
数的感覚に長けているかはわかりませんが、長けているとなんかかっこいいな~と思います。長けてるって打つと炊けてるって出てきてまぜこみごはん食べたくなってきます。
挑戦は…うーん…しないと思います。
森の中で暮らしたいので、そのお家を建てたり、あと交通手段を馬にしたいという夢があるので、お馬さんに乗る練習とかお馬さんと仲良くなる方法を勉強したいです。
文章を読んだり書いたりするのが好きなので、読んだり書いたり売ったりしながら森の奥で生きたいです。街に無人の本屋さんを作りたい気持ちもあるので、本屋さん経営もします。
あとはね~定期的に募金とかしたいです。寄付って言うのかしら。
投資や株に興味はないですが、したらしたで私の知られざる才能が開花してしまうかもしれないな…とは思います。(かもしれないな、が楽しいので実際には手を着けないと思いますし、もし着けるときはすごく慎重になると思います)
はっきりしていません。いえ、意識ははっきりしていると思いますが、目の前の現実を常に捉えられているか、みたいな意味だと解釈してはっきりしていませんと答えています。
白昼夢ってなあに~?と思って、調べました。非現実的な体験のほうはしたことがないですが、非現実的な幻想に耽ることはあるかなと思います。非現実的な幻想も私の中では現実なのですが、たぶんなんか…そういうことではないですよね…
「気が付いたら○○していた」は、ちょっと違うかもしれませんが、「いつの間にか駅についてた」「今ぐるぐるぺっしたけど歯磨きした記憶がない」「えっ…シャンプーした…!?したわ…」みたいな「○○したはずなのに意識が脳内に引っ込んでいてその時間に本当にその動作をちゃんとしたのか自信がない」ということならあります。
あと集中しているとき、音は耳に入ってきているのですが、その音を脳で判断するのに時間がかかって反応が遅れることがあります。誰かとおはなししているときも、突然自分の考えに集中し始めてしまって、いま脳内に引っ込んでた!と気づいたときに耳から入ってきていた音を再生して、こういうおはなしをしているのだなとなんとか会話についていくこととかあります。よくわからなくてすみません、私もよくわかりません。
情緒かはわかりませんが好きです。懐かしくなったり嬉しくなったりさみしくなったり、美しさもさることながら、「またこの季節に会えた(1年なんとか生き残ることができた)」みたいな思いから、自分をなでなでしたくなります。今は3月なのでね、なんか想いを棚卸ししちゃったりする時期ですよね。
これから1年かけて、またこの季節に出会いたいです。夏さんや冬さんは温度調節のほうよろしくお願いします、わたし死んじゃうので。
ん~よくわかりません。
なんか本当に身体であれ精神であれ、長く続く耐えがたいほどの感じで相手が侵襲してきたなら逃げたいです。立ち向かいたくないです。
むしろちょっとしたこと、割り込みとかぶつかられるとかよくあるのですが、そういうことをされたら脳内でナイフを投げています。殺したいわけじゃないですけどね。
私が誰かにいなくなってほしいな~って継続的に感じる場合は、私自身があまり健康でないことが多いです。
この問いが犯罪に巻き込まれる、被害者になるなどの意味も含むのなら、そのときは殺したくなると思います。ただ「殺したい」と「殺したらいい」は違いますよね、「殺したらいい」ってなんか冷静じゃないですか?
なので、「殺したらいい」は、考えたことないかもしれません。
わあ…占い好きです…!
ただ自分の未来というか、なんでしょう、そういうのに困ったときに占いをするというより、常日頃から占いをしているので、この場合は「いいえ」になるのでしょうか。
でも心がよぼよぼになったときにインナーチャイルドカードのやつはよくしているので、でもそれは先行きが見えない展開ではなく自分がわからないだけだから…
なんかカウンセリング的に占いとかを使っている(?)ので、未来を決めてもらおうとかは思わないです。
でも、転けることが続いたとき、神社で「すみません気をつけるので転けないようになりたいです」って神頼みをしたことはあります。転けなくなってから「ありがとうございました」ってご報告に行きました。
スピリチュアル系は結構好きだと思います、でも私の人生を明け渡したりはしないように気をつけています。向こう側にいるの、結局はただの人間ですからね。誰かを変に神格化しないようにも気をつけています。
ジンクスも好きです、たくさん知っています(中高生の頃にもりもり仕入れてしまいました)。ハッピーなものは全部そうだったらいいな~って思っています。四つ葉のクローバーを見つけるのはへたくそです。
この間「趣味はなんですか?」と聞かれたとき、答えられませんでした。
好きなことはたくさんありますが、趣味といえるのかどうか…たくさんあるのでひとつに絞れないみたいなところもあります。お休みの日は必ずこれをします、みたいな趣味はなくて…
お昼寝が好き、空想に耽るのが好き、ウィンドウショッピングが好き、お散歩が好き、公園とかのベンチでのんびりするのが好き、本を読むのが好き、本屋さんや図書館を見るのが好き、音楽を聴くのが好き、歌うのが好き、文章を書くのが好き、何かをまとめたりそこから分析したりするのが好き、知らない世界をのぞくのが好き…
私はなるべく落ち着ける時間がほしいのかなって思えてきたので、活力が湧く趣味はいらないかもしれないです。ただ、お話を書いていて乗ってくると、すごく気持ち的には生き生きとしてきます。
無趣味でも問題ないというか、個々人の好きにしたらいいと思います。本人が問題ある…と思うなら、気になったこととか、資格講座とかでも、何かしてみたら楽しいと思います。
あります!
見栄を張る(普通の人間ぶる)のが多いかなと思いましたが、なんか会話がめんどくさくなってきて、話がすぐ終わりそうな選択肢を選んでしまうことが多いかもしれません。
そうでもないのに「そうですね~」って言っちゃうのが一番多いと思います。
謙虚…に見えているといいなと思いますが、実際はあんまり謙虚じゃないと思います。自分を偉いものだと思っている。
でも、他の人より偉いとかは思わなくて、みんなそれぞれ偉いのだと思います。それぞれが一国一城の主、「あなたの国のその考え方は素敵ですね、私の国でも採用していきたいです」みたいなところはあります。
謙虚である必要はないのではないかな、どちらかというと他者を思いやる気持ちというか、尊重する気持ちのほうが大切ではないかなと思います。
「あなたから学ぶことはないけれど、あなたのことは尊重する」と言われたら(言ってくる方いないと思いますが)、私は傷つくかもしれないですが嬉しいとも感じると思います。存在を否定しないでいてくださるのは、それだけでも私はありがたいです。
おしゃれをなされる方はすごいです。
自己主張であれ社会へ溶け込むためであれ、なんらかの意思表示として意識無意識問わず、使う方も多いのではないでしょうか。
私は着飾ること、流行を取り入れること、定期的に新しいお洋服などを買うことに興味がないほうです。どうして私は興味がないのかなと考えたことはありますが、うーん…昔からなのですよね…
たぶん誰かから見たらすごくダサい、芋っぽい、場合によってはTPOを弁えられていない、のだと思います。それをあまり恥ずかしいと思っていない(気づけていない)ところが一番あれなのかも…めんどくさいからというか、「どういう気を遣えばいいのかわからない」みたいな感覚が近い気がします。だからといっておしゃれに改造してほしい、みたいな気持ちもあまりないので、今の自分で満足している(かわる気はない)のでしょうね。おしゃれについては本当によくわかりません。
崇めたりはしないですかね…問題が解決するというのは「働かなくてもいい」とか「家事をしなくてもいい」みたいなことだと解釈すると、そういうなんかあれはないと思います。ただ、性役割というよりかは、お互いが得意なことで支えあっていけたらいいなとは思うので、「自分が苦手なことを恋愛(結婚)相手にしてもらえることを期待している」部分はあるのかもしれません。
恋愛にロマンスを求めるかですが、ディズニープリンセスの物語が好きなので求めているような、でも別にああいう恋愛がしたいわけでもないような、ちょっとよくわかりません。恋愛ってよくわかりません。
でもこの問いって恋愛についてより性の捉え方について聞かれている気がする、私は男性も女性も好きなので"恋愛"と"性"の問題をまぜて聞かれるとちょっと困ってしまいます。すみません。
恋愛に夢を見ているか、でしたら「はい」です。どろどろはしたくないです。ぴゅあぴゅあがいいです。
うーん…意見の形成はできるとは思いますが…私が「できる」と思うのと他者に「できてる」と思われるのとでは違うので、もし「ごめんね数合わせで!存在しないのほうに参加して意見を述べてほしいの!」と言われて、ちゃんと「こういう理由で私は存在していないのではないかと思います」みたいなことが言えるのかどうか…
意見の形成(相手的にはこういう考え方なのかな?)はできると思いますが、他者に「それは意見じゃないよね」と言われる可能性はあります。
術は持っていませんが楽しそう!まわりの環境とかにもよりますが…(干ばつ地帯とか北極とかだったらすぐしんでると思う)
お試しジャングルホームステイみたいなの2~3日して「やっぱり家が一番だな…」と思ったりしたいです。ジッパディードゥーダーですね。たきつぼ!
あったら楽しいですよね~。
特別かどうかはわかりませんが、自分の脳内でなんらかの処理をしてそういうことになっていると思うので、「なんでかな?」って考えるのは好きです。
あと単純に、現実では見ることもできないような景色、できないであろう体験、とかとかも夢ならではなので、特別なメッセージがなくても勝手に「ありがとう」って思ったりしています。
気分が悪くなるほうです。
昔はもう少し大丈夫だったのですが、日に日にといいますか、どんどんグロテスクであったりするシーンが苦手になっています。
ただ犬の出産はテレビで見ているとき泣きました、人間以外の動物の出産は、まだ見ることができるのかもしれません。出産は悪いものではないので、もう少し大丈夫になりたいです。
でも、出産って他人事ではないので、見ているとお腹がうっ…となります。予定はないのに、力が入らなくなります。そもそも月経関連について調べているだけで、具合悪くなって手に力が入らなくなってくるぞい。
自分の身に起きることなのにな~。
さあ…でもバックトゥザフューチャー楽しいですよね。
未来とかをかえようとする物語も、過去には行くけど決して干渉するな(未来がかわってしまうから)という物語も好きです。
もし現実でそういうのがあったとして、私とはまったく関係ないあきおくんみたいな人がひなこちゃんを守るためにいろいろ頑張って、そのために関係のない私にまでよくわかんないけど影響が出てしまいました、ってことがあったと考えても、その世界線の私はあきおくんのこともひなこちゃんのことも知らないし、まあどっちでもいいかなあ…みたいな気持ちです。というか、その世界線の私はもう今の私とは別物だと思いますし、その世界線の私はその世界線の私としてまた意見を持っていてほしいです。もし意見が違ったら、世界線をこえておはなししてみませんか?
あきおくんが何かしてしまったせいで、本来(?)なら起こらなかったあらそいが起こることになって、世界がたいへんになっても、やっぱりあきおくんのことを知ることはないから許す許さないはないでしょうし…その世界線の私に、誰かが「実はあきおくんがね」って言ったとして、その話を真に受けてあきおくんを許せなくなるかも、やっぱりわからないです。
許されるか許されないかはちょっとよくわからないですけど、もし誰かが誰かを幸せにしようとしたことで、私が少しだけ不幸になるくらいなら、私はまあいいかなと思います。少しだけならね、許してあげる。
私はどちらにしても輝かないですが…個人のほうがまだましなのかなと思います。
でもものすごく適材適所するのが上手で、私の扱い方もすこぶる上手なリーダーさんなどがもしいらっしゃいましたら、そのときは集団での私の活かし方などもよく存じ上げていらっしゃるでしょうから、輝くかもしれません。
この全体論~みたいなやつはむずかしくてよくわからなかったのですが、1+1が3にも4にも!みたいな感じですか?だとしたら、そういうこともあると思います。その話とは全然ちがうよってことでしたらすみません。
でも、からあげだけでも美味しいけど、ご飯と食べたらもっと美味しいし、レタスとかマヨネーズとかあったら最強だよね、ってことならそうだよね…!と思います。
ご飯であれ人間であれ、相性とかはあると思いますが。
唐揚げ丼食べられない…?
でもそのカプセルに味とかついていたらお気に入りの味をずっと食べているかもしれません、食事まわりの日々のストレスも軽減しそうです。(調理、お皿洗い、何を食べるか決めること、とか)
ただ、本当にそのカプセルが信頼できるのか?とかは、わりとずっと疑っているかもしれません。こわいのでね、あやしいですし。なので「ワシは好かん!」とか言って、ずっと古き良き食生活をするおばあちゃんになるかもしれません。
「食事に生命活動の維持以上の意味を見出だしていますか?」には、「はい」になるのだと思います。チョコ美味しいです。
好きにしたらいいと思いますが…
私が好意的に思っている方になら、ちょっとくらいの(プレッシャーにならない程度の)期待をされると、嬉しいかもしれません。
「しないほうがいい」みたいなのが定説になっちゃっている気もしますが、みんなそれぞれ生きながら「こういう感じが自分の精神衛生上いちばん良い」というのを、自分で探っていくしかないよ~。
私は、しないようにしないように…と思うことで逆に「期待しちゃった!なんて私はだめなんだ…」みたいになることもあるので、「こういうことをこの人に期待したということは、きっと私の望みはこういうことなのだろう」みたいに分析しちゃいます。
期待したなら、「私はあなたにこうしてほしいと感じている」みたいに言えるのが、もしかしたらいいのかもしれませんね。「してよ!」ではなく、「嫌じゃなければ…」くらいの感じで。
他者に期待すること、仕方ないときもあると思います。もししたくないのにしてしまっても、自分を責めすぎないであげてほしいです。
えっ…私だったらびよびよに伸びちゃうと思いますが、そのお師匠さんとお弟子さんの相性とか、お師匠さんが本当に「こいつならできる」と信じていたり、お弟子さんが本当に「絶対できるようになる!」と思っていたりするなら、すごくすごーい効果が生まれることもあるのかな~と思います。
でもやっぱり私がそういう世界では生きられない人間なので、ちょっとよくわかりません!
人による、ですね!
ん~…学校側というか…とりあえず本人の意思を確認してみませんか?
「あなたはこういうところがすごいので、学校としては、あなたにちょっと特別な措置を取りたいと考えています。ですが、そのせいで今までのような学校生活は送ることができないのではないかと先生は思います。すぐの返答はできないと思いますが、学校という組織が動くので、ずっとは待てません。保護者の方への連絡の前に、まずあなたがどうしたいのか、それを確認したいです」みたいな…
「答えをひとりで出せとは言いません、先生でも別の先生でも、お友達でも、保護者の方でも、相談してください。いっしょに考えましょう。ただまだ公にするつもりはないので、SNSなどへの書き込みはしないでください」とか…
私が担任とか校長先生なら、学校としての実態(できること)はよくわかりませんが、そういう感じにしますかねぇ…
私の人生に結婚があってもなくても、違和感はないです。結婚できなくても可愛いドレスを着て「みんなありがとう!」みたいにバルコニーから手を振ってみたりはしたいです。
私は一夫一婦だとありがたい?嬉しい?のですが、ポリアモリーというものもあるそうではないですか?そういう方々にとっては一夫一婦は理想的ではないですよね。
人類にとってどうか、とかもちょっとむずかしい…たとえば種の保存としてとりあえず人間がこの世界にたくさん産み出されると良いのかと言うと、いやでもその人間が世界にあらそいを生む人間にならないとも言えないですし、人類や人間の敵にならないような"いい子"だけが産み出されることを望むとそれはそれで選民思想みたいな偏ったあれになってそれが人類にとって良いことであるとも私は思えないですし…
「この面から見たら理想的だけど、この面から見たらまだどうにかできそうだよね」ってことはあると思います。この世界にある問題たちは、すぐに解決ができないことでも、考え続ける、模索し続けるのが素敵なのではないかなと思います。
おはなしの感じ方とかはやっぱりかわるのでしょうね~。でもどっちがいいとかは思わないです、知っているからこその楽しさや「知識の粗が見えてくる」ということもあるでしょうし、知らないからこそのわくわくや「なに言ってるのかわからなくてついていけない」もあるでしょう。
現実の世界の捉え方は、でも年齢を重ねるごとに私はかわってきたかなあと思います。それは知識によるものだけではないとも思います。
ん~…誰かに「それじゃだめだぜ!」と言われたら「私はこれでいいんだもん!」ってむきになってしまって、訂正するのが遅くなるかもしれません。
ただ、自分で「あっ…これじゃだめだ…!」と気づいたなら、じゃあどうしようって調べたり、実際に試したりして、納得できるものが見つかれば「これでいってみよう」となるかもしれません。その別の道を探し、慣れるのに、時間はかかると思います。
でも、考えを変えるというより、自分の中に新しい選択肢やツールが増えるイメージです。
革命を起こしたいとは思いません!
誰かが起こすことも期待していません。
革命というとフランス革命がぱっと思い浮かびますが、そのようなことが私の生きている間に、生きている場所で起きたら、対応できない、適応できない気がいたします。
ただ、世の中に満足しているか、となると、良くなる余地はたくさんあると感じます。でも、そのために革命が必要なのか、革命でないとだめなのかは、私にはわかりません。
ミラキュラスという作品で、ミレーヌちゃんが「いろんな問題を一気に解決できる方法なんてない、大事なのは大勢が小さな方法に取り組むこと」みたいなことを言うのですが、私もその意見に賛成です。
特に溺れたいとは思わないですかね…でも性欲がないわけではないです。
お酒も飲まないので…疲れたときは炭酸ジュースを飲みます。美味しいです。
快楽かあ…私は三大欲求の中なら睡眠欲が一番強いというか、好きな気がします。たくさん眠りたいです。
折り合いはどうなのでしょう、快楽というものを私はまだちゃんとは知らないのかもしれません。
何を…求めている…?
考えたことありませんでした、好きだから読んでいました。うーん、そうですね…
暇を潰すために読むこともあれば、別世界に行きたくて読むこともありますし、綺麗な文章にうっとりしたり、なんでしょう、浸りたくて読むこともあると思います。
でも…うーん…好きなのですよね…なんででしょう…でも、そうね、旅行が好きな方と似ているのかもしれません。
なので、リソース割いてる、とかはわかりませんが、実際に体験するより本を開いている時間のほうが長いです。でも、体験があるからこそ本の世界をより感じられることもあるので、どちらも私にとっては必要です。
本を読んで得られるものは、なんでしょう、なんか私なにも考えないで読書してきたんだなと思えてきたのですが、目の前で繰り広げられる物語が、それを見ることができるのが、私は楽しい…えっと、楽しい時間を得られています!
そういう気持ちになるときもありますが、昔のほうが強かったですね。
ロマン…そうですね、巨神兵さんなどは好きです。というより、仲良くなっていただけたら嬉しいです。ベイマックスさんとか。
ドラえもんさんなどは私より人間っぽいと感じますが…なので、私はロボットなのかもと感じることはあります。ただロボットさんのほうが構造がしっかりしているでしょうし、私が「ロボットかも…」と悩んでいたら「あなたは人間です、何故なら…」と解説してくださりそうなので、一緒にするのも申し訳ないです。
機械の扱いは得意…なのか…ただ、どうしてこうなっているのかみたいな、そういうのを理解したいなとは思います。とある用でたしか工学系大学の文化祭へ訪れたことがありますが、とても楽しかったです!
学生さんに「こういうあれなんですよ」と解説されても、さっぱりわからなかったので、学生さんには申し訳なかったですが…よくわかんなくても良ければ(知識がなくても良ければ)、おはなしもっと伺ってみたかったな~。
どちらが信頼できるかに関しては、別にどちらも信頼できますし、信頼できなくても私に害がなければ良いです!
解釈の余地が生まれない…図鑑や辞書などでしょうか?定義しないといけないこともあると思いますし、誰かの意見であっても「この方はこうなのだな~」と知るのは楽しいので、嫌いではありません。
作品の感想(?)が受け手側あってこそ、になるのは好きですが、作者が受け手側に丸投げしてくるようなものはちょっと…となります。書き手としては、「こういうつもりで書いてるけど、いろんな感想があって楽しい!」と心の中で思えるのが、一番私だったらしあわせかな~と思います。
起承転結はあってほしいですが、リドルストーリーのような終わり方がはっきりしない物語も好きです。
ある~。
小さいことを考えていたつもりが「いやでも」ってどんどん別の可能性、別の見え方考え方に飛躍していき、いつの間にか地球とか宇宙サイズのことを考えていたりはします。
※センシティブなので(?)伏せ字にさせていただきました。
区別はつけます。ただ、どの亡骸であれ、切ない気持ちやなんとも言えない…畏怖のような感情が芽生えることはあると思います。
お魚さんのことはそのままの形で出てきてもししゃもばくばく食べられますが、豚足などは私は無理でした。形が残っているものを食べ物、とは思えないようでした。
MBTIの相性論は私はあんまり信じていない気がします、そもそも自分のMBTIをちゃんと把握できているのか、そのマッチングアプリの診断ツール?を信じていいのか、みたいなところから疑ってしまいます。
でも、そういうところから「絶対に出会わなかっただろうな」みたいな方とのご縁が結ばれることもあるかと思いますので、そういう意味では有効なのかも?と思います。実際に使用されている方が楽しかったり「いいツールだな」と感じているのであれば、よいのではないでしょうか。
人間同士の相性はあると思います。というより、なんかこの人と会話が噛み合わないなとか、何かあったときに、「相手や私が悪いというより、ただただ相性が合わないのだろうな」というところに落ち着くのが、個人的に楽です。
ある~。
生まれてからこれまで、まわりの人間(だと思われる方々)を見て「こうなのかな」「これで合っているのかな」とどきどきしながら生きてきました。いつ人間でないことがバレてしまうのか、緊張します。
ポケモンバトルは苦手だとずっと思っていたのですが、サンムーンをちゃんと遊んだときに「バトルって対話みたいなものなんだ」とやっとわかりました。バトルをすることで自分、相手、ポケモンのことをもっともっと知ることができます。サトシさんの「バトルしようぜ!」は「たくさんおはなしして仲良くなりましょう、楽しい時間を一緒に過ごしましょう」みたいなことなのだと解釈できるようになりました。
そうですね、せっかく勝負をするなら勝ちたいですが、対等な相手とゲームをするのであれば、勝ち負けより一緒に遊ぶその時間が嬉しいです。「あなたはこうすると思っていたから対策しましたよ」みたいなこと言われたら、負けても相手のこと大好きになると思います。
自分とのたたかい…よく聞きますが、過去でも未来でも自分のことを抱きしめることのほうが多いです。大丈夫だよって。生きているだけで現実とたたかってはよく負けています。
え~…ノーコメントにさせてください。すみません。
恐れていること、あると思います。ただ、どういうことを恐れているかをちゃんと考えるのはこわいです。恐怖症で言うと巨大物恐怖症です。
観念的な死というのが、すみませんどういうことなのか、健康なのに「死んでしまうかもしれない」みたいな妄想が過ってしまうことでしょうか?それとも「しにたい…」ってなってしまうこと?
「自分がこの世界でどう生きていけばいいのかわからないからしにたい」みたいになることならあります。ありますけどいつの間にかいろいろなものに癒されて「私は大丈夫…!」って勝手に回復しています。
なんか、ダンジョンに入っては傷を負って回復の泉でじゃぶじゃぶしてまたダンジョンに行っている感じです。レベルがちゃんとあがっているのかはわかりませんが…
あると思いますわよ…!
それは…ええ…説明が難しいですが、あると思いますわよ。何がどうって言えませんけど。なんでしょうね、でも、泥団子を食べさせるとかはやってはいけないと思いますし…相手がどんなに食べたい食べたい!と言っても、衛生的にとか健康のこととか考えたら「だめですよ」って私は思いますし…
後ろめたさというかなんだかさみしい感じはするかもしれません。私がというより母がね、さみしいかもって。
私はそういうものに縛られるの苦手ですが、母はたぶん大切にしたい人なのです。でも私は期待には応えられないと思います、ごめんね。
何が運命よ!私の人生は私のものよ!という気持ちと、この出会いは運命だったのかもしれないな…みたいな気持ち、どちらもあります。
運命があったとしても私は私の道を行くし、なかったとしても勝手に「これは運命かも」って思います。
越えられない壁は、越えたいのなら"ない"と思いますが、越えたくないなら"ある"と思います。越えなくていい壁もあると思うし、壁だと思っていたらドアがついていることもあると思います。
ふへんてきなただひとつだけのせいかい?
うーん…そうですね…私自身は求めていないですかね…ただ心身が不健康になってくると「決まっている」ことに安心はするかもしれません。
数学とかでもなんか「ここからここまでの範囲が正解」とか、数字ひとつに絞られないことってありますし…あっ、でも、その「ここからここまでの範囲が正解」というのが普遍的なただ一つだけの正解なのでしょうか?
正解があるとそれに則らないといけない感じになってきませんか?正解はあるけど間違っててもいいよ~って感じなら普遍的なただ一つだけの正解の存在を許します。私が私のままでいてもいいなら、否定される材料とかにならないなら。
普遍的なただ一つだけの正解、健康で文化的な最低限度の生活、みたいでなんかおもしろいです。言葉の意味がおもしろいわけではないのですが、なんとなく…音が…?
という感じでした!
思うままに書いたら長くなったり、ちゃんと答えられていなかったりするものもあってすみません。
ぜんぶ読まれた方はお疲れ様です。問いやこのあとがき含めて1万6千字ほどです。
おめめゆっくり休ませてあげてくださいね。
それでは、またね!