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レールを外れてみた②

 学生時代、社会科の授業が好きだった。なぜ好きだったかというと、先生の話が面白かったからだ。何が面白かったかというと、時折先生が話してくれる、豆知識的な話である。教科書や資料集には載っていない、歴史上の人物のちょっとしたエピソードだったり、時事ネタだったり。そんな、ちょっとした話を聞くのが好きだったのだ。ノートを書いたり、教科書を読んだりする時間に比べたら、ほんの一瞬だったが、そんな時間が好きだった。
 そんな時、よく先生は「少し脱線しましたが」といって、授業に戻る。そう、私は、「脱線する」時間が好きだったのである。脱線することによって、新しい発見や気休めができたのである。
 前回、「脱線(レールを外れること)」を「事故」になぞらえた。「レールを外れる」ことは悲惨だと言ったが、そうではないのかも?

レールを外れることって悪いことなの?

 もう一度、「レールを外れる」ということについて、考えてみよう。確かに、「電車がレールを踏み外すようなの」と捉えれば、人生の中でかなり悲惨な出来事である。ところが、社会の先生みたいな感じで、「豆知識的なことを話して、生徒を惹き付ける」ようなものだと捉えると、案外悪くないかも?つまり、授業という、真面目なシチュエーションの中で、少し遊んでみる。それは、先生にとっての「遊び心」だと思える。
 これらより、「レールを外れる」ことについて、私は2つの観点で捉えてみる。

①電車がレールを踏み外し、事故が起きるような悲惨な出来事
②真面目なシチュエーションの中で、少し遊んでみること

 「レールを外れる」ことに対する解釈は、こればかりではないと思う。ただ、私の経験を通して、「レールを外れるとは、こういうことかな?」と捉えただけだ。前者のように、捉えるとネガティブな事象に思えるが、後者のような捉え方もできる。
 ②について、学生時代に受けた、社会の授業を例に考えた。他にも、「お堅い雰囲気の会議の中、ちょっと退屈になってきたところで、軽いジョークを交えてみる」といったことも当てはまるのではないか?

今は、「真面目なシチュエーションの中で少し遊ぶ」時間なのかもしれない。

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