看護師だけど採血はキライ😗
そうです、看護師だけど採血がキライなわたしです。
採血「する」のは全然いいの。ちょっとやそっとの血管では失敗なんかしないし。見えない血管でも場所くらいわかるし、最初の穿刺で血管外したとしても微調整できるよ。むしろ、難しい人の採血とか燃えるし、ルート確保とかも超好き✌️入った時の快感よ🥳
キライなのは、採血「される」の方。
だってさ、怖くない?針で体の中ちくっと刺して、見えないのにほぼ勘で血管探し当ててるようなもんでしょ?組織が針でウネウネされてるんだよ?…考えるだけで迷走神経反射…🐏🐏🐏
いつも絶対失敗しないでよね!って思いながら極限状態で採血してもらってるし、新人Nsの練習台には絶対ならないし😂
不妊治療中はほぼ毎度の採血が恐怖でしょうがなかったヨ🧘♂️
🐤🐥🐣
さて。
同じ「採血」でも、「する」方と「される方」の両方になる、わたし。
「する」ときは余裕余裕🥳って穿刺するくせに、「される」ときはその全てにビビる。
これってさ、笑えるし変だなって自分でも思うんだけど、意外と生きていく中で大事なことな気もして🗝
人に何かするときとか助言する時って、もちろん本気で考えてはいるけど、良くも悪くも楽観的なのかも。客観的で楽観的だからこそ、肩の力抜いてクリアな視点で物事を見れるよね。
同じことで自分が悩むと、ほんとはとってもシンプルでイージーなのに複雑に考えて、恐れちゃったりして踏み込めなかったり…不安の渦に巻き込まれちゃったり…
するよね。するする。なるなる。
自分の人生だから、思う存分悩んで苦しむのはいいことだし、不安の渦から出てこれた時は絶対に何か得られるものがあると思う。
でも、大切な人が渦に飲み込まれて出てこれなくなってるのを見るのって、辛いよね。
自分自身が渦に飲み込まれて溺れかけちゃうときもあるし。
そういうときは、渦の中で目が回ってるから、周りの景色が見えなくなっててアドバイスや助けの手もうまく使えないって時が多いだろうね。
自分で「あ、これ採血の現象だわ🤭」って気付いて、単純にその事象だけを捉えて考えられたらさ、
生きていくのが少しだけ楽に、楽しくならないかしら。
なーんてポヤポヤ考えてるけど🌝
やっぱり採血「される」のはこわーい。🤪🤪🤪