【3日目】ファンタスティック・プラネット
こんばんは。意外な勤勉な人間・リターンズです。
誰から頼まれたわけでもないのに、毎日書く方向でがんばります。そう考えるとHIKAKINってすっげえ。
さて、3日目はSFアニメの金字塔、ファンタスティック・プラネットを観ました。
ディストピア×異世界な感じのSFで、異様な建築物、生物群、気象現象などからヒエロニムス・ボッシュの「快楽の園」をまず最初に想起しました。
特に「快楽の園」の3連祭壇画の一番右、地獄をテーマにしたパネルからインスピレーションされた造形が、印象的でしたね。次に思い出したのは、アイデスとそこに生きる少年少女を描いた傑作、リチャード・ブローティガン「西瓜糖の日々」。
他にも天空の城ラピュタも思い出したりして。最後に印象に残ったセリフでも挙げるけども、ドラーグ族が人間を飼い始め、名前をつけるシーンがある。ここで思い出したのは、甲本ヒロトの「天国うまれ」のこの歌詞。
へんな名前をつけて 呼び合ってみよう
笑えて泣ける 変な名前
例えば、反町と書いてポイズンと読ませてみたり、猛毒と書いてソリマチと読ませることも可能なわけだ。他にも、
・ちゃんみなと書いて、バタクサイと読む
・太郎と書いて、ウサンクサイと読む
・岸田と書いて、カイライと読む
・佐々木希と書いて、ヒゴシャと読む
など、枚挙に暇がない。ないじゃないか。暇が。
ここからさらに連想で、当て字の文学についても思いを巡らせた。例えば、夏目漱石はオリジナルの熟語にルビをふることで、異様な文体を獲得したし、最近で言えば、酉島伝法が当て字(親父ギャグ?)を用いることで、変な世界観を成立させている。そういえば、ナンバーガール/ザゼンボーイズの向井秀徳も“俺コード”を使って、独特の音世界を獲得した。
この「ファンタスティック・プラネット」が素晴らしいのは、変な方向へ、変な方向へと意識的に考えなくても、思ってもみないもの同士がシナプス経由で勝手に繋がって、無意識の存在を嫌というほど確認させられる点にあるんじゃないだろうか。フロイトは無意識に対して、意識の側からアプローチを取ったが、本作は無意識から意識を逆照射するような側面があるように感じる。アッ、アッ、アーン。感じた。
こうした脳の働きによって、本作をみ終えた後は脳がもんやりとしてくる。それはさながら遅効性の毒のようだ。そう、毒のようだが、用法用量を守れば、薬に転じることを我々は知っている。近代化、および、理性の勝利を掲げて猛進してきた現代の病に効く薬になりえる1本だ。
では、ここらでお別れです。1000文字くらいがサクッと書けて、読めるしちょうどいいですな。
「名前は何に?」
「私と同じティバ」
「その名は合わない。“忠実”か“疾風”がいい」
「……名前はテールにするわ」