生き物の死にざま
『生き物の死にざま』という本を読んだ。
さまざまな生き物の死にざま=生きざまが、エモいエッセイ調で綴られている。
一生成虫になることなく命を全うするもの、生殖機能以外は目も内臓も退化しているもの、
そもそも単細胞生物であるが故に死の概念がないもの。
人間は進化の過程で老化することをえらび、産まれた瞬間から死ぬようにプログラミングされている。
後世を残さない道を自ら選び、100年をも生き死ぬ多くの人間は、他の生き物からすると理解も遠く及ばない。
朝マックでコーヒーを飲みながら
『生き物の死にざま』を読了した帰り道、
オレンジ色の秋桜畑に出会した。
ふっくらしたミツバチ達がせっせと蜜を吸っていた。働きバチの彼らは恋も繁殖行動もしない。産まれて死ぬまで、女王蜂のために働き、そして死ぬ。その蜜をたっぷり飲んで育った幼虫たちもまた、死ぬまでただ働く。
わたしの頭上をふらふらと舞う蛾がいた。
花はそこにあるのに、ふらふら飛んで壁にぶつかったりしていた。弱っていたのかな。卵を抱えていたのかな。
その真相は分からないけれども、ただ目的もなく花の周りをうろうろしている私のほうがよほど生命としておかしい。
人間という生き物として産まれた私は、きっと後世を残すために産まれたはずだが、それを拒んだり他のことに興味惹かれたり、子孫繁栄を遮るような思考がたくさんはたらく。
そして、子孫を残すという任務は二の次どころか五の次な恋もする。
会いたい人がたくさん居るのに、死んでしまいたいと強く思う時も周期的に訪れる。
無駄に身体を酷使する日々もある。
どこをとっても不自然な生命活動だ。
そう思うと笑えてくる。
悩むことも必死に働くことも飲み疲れることも。生命活動としてはなんの意味も持たないのではないか。
ていうかそもそも意味とはなんぞやと。
お昼寝の時間ですのでこのへんで。