大嫌いなマザーと「モルモット」を食べて「ミサ」に行ったことが、一度ある。
「留学ってキラキラしてる」?
……そんなの幻想ですよ。
私は大学生の時にスペイン語を学んでいた。
「いつか自分もスペインに行ってみたい!!」と思いながら勉強に励んでいた。
そして、大学3年生の時、1年間交換留学に行くことが晴れて決定した。
行き先は南米。
私は別にエクアドルなんか行きたくなかった。
いくらエクアドルのスペイン語が母国語だっていっても南米の中でも町がつくほどマイナーだし、バナナくらいしかイメージが湧かない。
ウィキペディアによるとエクアドルの経済規模は広島県よりやや小さいくらいらしい。めちゃくちゃちっちゃい。プロ野球リーグを作ったとしても広島東洋カープを抱えるだけで精一杯な国。
あぁ。スペインに行きたかった。ギラギラの太陽の下で、みんなで踊り疲れたらシエスタでお昼寝。バルでフラメンコを見たり、タパスをつまみワインを飲みながらサッカーを見て一喜一憂したかった。普段は「そんなの興味ありませんよ。」みたいな素振りを見せつつも、スペインに行ってキラキラな日常生活をInstagramにアップしたかった……。
しかし、「スペイン行きの交換留学試験」を受けるつもりが、間違えて「南米行きの交換留学試験」を受験してしまった私は、今もなお、スペインに行ったことがない。
だが、エクアドルという国は、予想に反してチョー楽しい国であった。
エクアドル人はスペイン人に負けず劣らず情熱的で、気候も穏やかで景色も最高だし、アンデス山脈で発展した料理はとても美味しかった。祭りもたくさんあって楽しい。通っていた大学でエクアドル人の友だちもできた。
しかし、そんな楽園エクアドルに対して私は一つ不満を抱いていた。
ホストマザーが大っ嫌い!!
私は、エクアドルに滞在中、大学で選出されたホストファミリーのお宅にお邪魔していた。
私がエクアドルに到着した当日、ホストファミリーは、めちゃくちゃでかい七面鳥の丸焼きで私を迎えてくれた。
ホストマザーもファザーも1人息子のホナスくん(10歳)もとってもいい人で、長旅で疲れた私をねぎらってくれた。
うまい七面鳥を食いながら「楽しい1年になりそうだな。」と思ったのもつかの間、私はだんだんとホストマザーのことを嫌いになっていった。
共に過ごし始めて1周間も立たないうちに、ホストマザーが、
だということが判明したのだ。
普段はニコニコしているのに、急にブチ切れる。
さっきまでファミリーで談笑してたと思ったら、トイレの中で泣きながら発狂している。
しかし、ファザーもホナスも良く出来た人間で、ホストマザーがヒステリーを起こすたびに本気で心配してあげていた。
ところが、私にはホストマザーのヒステリーが耐え難がった。
それもそうでしょう。右も左もわからん国で、いきなりブチ切れたネイティブにスペイン語でギャーギャーとまくし立てられるのは苦痛でしかなかったのです。
・・・・・・が、それもだんだんと慣れていき、私は、ホストマザーがヒステリーを起こしても適当にあしらえるようになった。
マザーは、機嫌がいい時は機嫌がいいのだ。
機嫌が良い時は私に「あなたが日本に帰ったら私と貿易しない?」などとニッコニコで交渉してきたりする。
しかし、私には、ホストマザーが嫌いな理由がもう一つあった。
マザーは、
のだ。
ホストマザーは、「自称ヴィーガン」であった。
なのに、肉も卵もメチャクチャ食う。
私は、何度か、マザーに対して「あなたはヴィーガンではない。」と伝えたが、そのたびにホストマザーはヒステリ気味に「私はヴィーガンなの!」と自称しながら、ダイエット中のホストマザーはお手製のゼリーを貪っていた。もちろんゼラチンは動物由来。
いや、お前は思想が強いだけなんだ。
ヴィーガンなら日本食レストランでマグロの寿司をうまいうまいと言いながら食うな。
大嫌いなマザーと「モルモット」を食べた話。
エクアドルで過ごして何回目かの土曜日の昼、私がキッチンに行くと、台所にマザーと毛がフッサフサのモルモットがいた。
マザー曰く、このモルモットはスペイン語で「クイ(Cuy)」というらしい。
マザーは、言った。
……えぇ。まじかこいつ。
モルモット食うんか……。
でも、自分がなんかヤベーものを食う運命を避けられないことは、留学先がエクアドルに決まったときから想像はできていた。
でも、モルモットかー。
こんなモルカーみたいに可愛いやつ食べるのか……。
私は、マザーにダメ元で「可愛そうだから食べるのは遠慮しとくよ。」と伝えたが、マザーは、「私の好意をなんだと思ってるの!!」とやっぱりヒスってしまった。
……しゃあねぇ。食うか。
私が「クイ」を食うことを決心して間もなく、マザーはえっぐいことを放言した。
いやいやいやいや!!!!ムリムリムリムリ!!!!!!!
虫を殺すのも抵抗あるくらいなのに、こんな愛玩動物殺せませんよ!!
何言ってんだあんた!!!
私は、愕然として黙りこくっていると、マザーは再び、先ほどと一言一句変わらずに、
「このクイを絞めるのはあなたよ。」
と繰り返した。
いや「その鐘を鳴らすのはあなた」みたいに言われても。
私が「いや、ちょっとそれは出来ない。」と反論するも、
マザーは、「なんで出来ないの!」、「あなたが普段食べている豚や牛は誰が締めていると思ってるの!」、「あなたは自分の手を汚したくないだけでしょ!!卑怯よ!!」、「丸焼きにしたらパリパリで美味しいのよ!」などと私を罵倒する。
いや、もうそのつよつよ思想いらんて。
ほんで自称ヴィーガンのくせに丸焼きモルモットをパリパリ食うなて。
私はもちろん粘って反論したが押し問答。焼け石に水であった。
クソが。お前日本来たら絶対京都の伏見稲荷連れてって「雀の丸焼き」食わしたるからな。もちろん雀絞めるのはお前な。
結局、お昼に行われる私の歓迎会に供されるクイについては私が絞める事になった。
実は、これまでに私は、街の商店街でブタの丸焼きと共にクイの丸焼きが売られているのを遠目から見たことが何度かあった。
正直、「あれ?あの丸焼きちょっとうまそうじゃね?」と好奇心が湧いていた自分もいた。丸焼きならどんな物でもパリパリのクリスピーでうまいでしょ、きっと。
しかし、締めることについては引き受けたものの、そもそも私はクイの締め方なんて知らない。
私はクイの締め方をマザーに尋ねた。
あら簡単。
親指を首にかけて、ボキッとするだけらしい。
留学なんて来るんじゃなかった。
しかし、私が締めねば家族みんなのお昼ごはんがなくなってしまう。
私は、モルモットを手に取った。
温かい。命の暖かさだ。
そんな目で私を見つめないでくれ。
そんなに可愛く口をモヒモヒしないでくれ。
私は、モルモットの顔を向こうに向けて体を両手でしっかりとつかんだ。
両手の指の隙間からからフサフサの毛があふれている。
嫌なことはすぐ済ませてしまおうッ!!!
私は、親指に力を込めたッ!!!
骨の折れ始めと折れ終わりの間に、クイは断末魔をあげて死んだ。
私の両手の中で、クイがピクピクと動いている。
私はクイを殺ったのだ。
マザーは、「ほら!首を折った時に「クイッ!!」って鳴いたでしょ!だからこの動物を「クイ」って呼ぶのよ!!」と、東大王・伊沢も知らないであろう豆知識を披露してくれた。
……いや、動物を首をへし折った時の断末魔で呼ぶんは意味わからんすぎやろ。
じゃあ、お前は人間のことを「ギャー」とか「グァー」とか呼ぶんかいな。
マザーは、ごきげんに鼻歌を歌いながらクイ料理を作ってくれた。
「みんなー!ご飯できたわよー!!」
マザーが食卓に集まるように皆に号令を掛ける。
……おい、聞いてた話と違うぞ。
クイは、顔、右前足、左前足、右後ろ足、左後ろ足にバラバラにされ、胴体は真っ二つとなって、でかい鍋に煮込まれていた。
テーブルに、「クイのスープ」が配膳された。
おい!!!!丸焼きわい!!!!!!
聞いてた話とちゃうやんけ!!!!!
どこがパリパリやねん!!!!!!!
皮が分厚くてぐにゅぐにゅやないか!
クリスピークイを出さんかい!!!!
私のスープは左後ろ足のスープだ。
後ろ足は、前足より肉がついていて美味しいらしい。
だが、体毛の処理が甘く、お椀から飛び出た右足には、まだところどころ毛が生えたまんまで、そのルックスが私によりいっそう嫌悪感を抱かせる。
バラバラになったクイを見た10歳のホナスは、興奮気味に「食べる前にパーツごとにくっつけて完全体クイの写真撮りたい!」と言い出した。
「ホナスよ。クイでエクゾディアみたいなことすな。」
と言ってやりたかったが、ホナスが封印されしエクゾディアのことを知っているわけもないので私は何も言わなかった。
もちろんマザーは、「食べ物で遊んじゃいけません!」とブチ切れてた。
まあ、食べ物で遊んだらあかんわな。それはどこの国に行っても一緒だと思うよ、ホナスくん。
「クイの味は鶏肉に似ているのよ。」
とマザーは言う。
その言葉を信じ、私は嗚咽を抑えながらスープを完食したが鶏どころか何の味もしなかった。
多分、いろんなストレスが原因で私の味蕾は壊死していたのだろう。
......。
まぁ、珍しい経験をしたし良しとするか。
食後、ホナスは楽しそうにクイの残骸を元の形に戻そうとつなげていた。
私が10歳って無邪気でいいなと思っていると、ホナスが完全体となったクイの残骸を私に見せながら、「ねぇ、"Cementerio de Mamuts"みたいでしょ?」と尋ねてきた。
私が、(いきなり何いってんだ?お前。)という表情をしていると、ホナスはポケットから何か見たことがある物を取り出し私に見せた。
「日本人なら皆知ってるでしょ?」と目をキラキラさせながらホナスは言った。
ホナスが手に持っていたのはスペイン語版の「マンモスの墓場」だった。
ホナスの学校では、遊戯王が空前の大ブームらしい。
ホナスの友達はみんな、どこかの誰かが勝手にスペイン語字幕をつけて違法アップロードした「遊☆戯☆王デュエルモンスターズ」(「決闘者の王国編」までしかアップロードされていないらしい。)をYouTubeで見ているとのこと。
「はやく、本物の遊戯王カードがほしいんだ!そうだ!日本に帰ったら遊戯王カードを僕に送ってよ!!」と私にねだってくるホナスくん。
いや、お前が持ってる「マンモスの墓場」ニセモノやったんかい。
どうせなら「ブルーアイズホワイトドラゴン」とかのニセモノ持っとけよ。
なお、ホナスが遊戯王で
一番好きなモンスターは、
「”Dragón Negro de Ojos Rojos”(ドラゴン・ネグロ・デ・オホス・ロホス)。
嫌いな奴は、
「”Bandido”(バンディド)」。
ちなみに、ホナスくんはエクゾディアは嫌いらしい。理由は顔が怖いから。
閑話休題。
結局、私は食後から一週間ほど謎の下痢に見舞われた。
私は大学で出来たエクアドル人の友だちに「クイ食べたことある?クイ締めたことある?」と聞くと、「食べたことあるけど締めたことはないよ。だって、わざわざ生きたクイ買わなくても、マーケットに捌かれたクイ売ってるじゃん。」と、(何言ってんだお前?)といった表情で返答された。
クソマザーが。
なんで生きてるの買ってきたんじゃ。
私はその友達と別れたその足で大学の職員室に行き、ホストファミリーを変える方法はないか尋ねたがホストファミリーを変える方法はないとのことであった。
んー、ホスガチャ失敗!!😠😠
大嫌いなマザーと「ミサ」に言った話。
ある日、私は、ホストマザーに誘われてキリスト教カトリック協会における「ミサ」に一度だけ参加した。
別に私はキリスト教徒でもなければ、特に何かの宗教を信仰していたわけでもない上、私はこのホストマザーが大嫌いだったので、「ミサ行くのやめとくよ。」と伝えた。
しかし、ホストマザーは、「エクアドルに来たからにはエクアドルの文化を知ってほしいし、この国の風習や習慣を通して価値観を養ってほしい。」と、「郷に入れば郷に従え。」の意味を丸パクリした論調で半ギレてきたので、私は仕方なくミサに行くことにした。
そこで、私は「ミサってどんな事するの?」とマザーに聞くとマザーは「行ったら分かるから!!!」と予測不能なヒステリーを起こしたからそれ以上質問するのをやめた。
とはいうものの、何の知識もなくミサに行っても得られる経験値が少なくなるだけであるため、せっかくなのでグーグルででミサのことを調べると、ミサは協会で行われるメチャクチャ厳かなカトリックの儀式ということを知り、私はミサに行く前からビビり散らかしててしまい、前日の晩はよく眠れなかった。
ミサは、中学校の体育館で行われた。
ん、ミサって教会ちゃうんや。
体育館でもいいんや。
その日の儀式は「中1の子たちがキリスト教徒となるための契約の儀式」であったのだが、
中学生たちが綺麗な弓なりに並んでるなって思ったらバスケの3ポイントライン利用して並んでるやん。
体育館で契約を行うメリット享受しすぎやろ。
契約てそんな感じなん?
式の終盤、みんなで讃美歌を歌うことになり、歌詞カードが配られた。
歌詞はスペイン語で書かれていて、日本語に訳すと、
こんな感じ。
ホストマザーは、歌詞カードを読んでいる私に
と、耳打ちする。
なんで賛美歌ファーストテイクしなあかんねん。
この歌詞所見なんですけど?
曲も全く知らないんですけど?
「魂込めたら間違ってても問題ない。」ってどういう理屈?
逆に想像してみろよ。
日本の高校の卒業式でたった1人のエクアドル人留学生が
君が代を
「キィィイミィィイグァァァジョッッパァァァァ!!!!!チジョォォォオニィイィイジャアアアチィイイジョォオオオニィィィイイイイ!!!!!」
(スペイン語には「やゆよ」の発音がないんで大体みんな「じゃじゅじょ」と発音してしまいます。)
って間違いながら大声で歌ってたら、周り大爆笑やけど最悪の場合えぐヒステリック教師に怒号浴びせられるからな。
しかも、ミサ中は常に牧師がうにゃうにゃと喋って休憩とかもないため、YouTubeでメロディを確認することもできず、「全く初聞の曲を魂を込めて歌う。」という無理難題に私は困り果てた。
とは言いつつも、歌わなければ、ホストマザーにヒステリーで責め立てられることは目に見えている(そんなだからあんたのこと嫌いだったんだ。)。
だから歌の前半は口パクで誤魔化し、
そして、歌の後半で三連続で登場する
「栄光あれ、神に栄光あれ!」
の部分のメロディを1回目で覚え、
残り2回の「栄光あれ!」を魂を込めて歌う作戦を打ち出した(その部分はどうせメロディ繰り返しだろうし)。
牧師がパイプオルガンの前に座った。
牧師が鍵盤に指を置いた。
ポロロン・・・
・・・え
え、え。ちょっと待って。
イントロおかしない?
え、待って。
ちょ、ほんまええって(笑)。
ちょピアノ止めて。まじで(笑)。
ヨドバシカメラの歌じゃーーーん!!!!!!!!
え、何怖い怖い。いや、空耳?たまたま???
地方によって違いはあれど、日本人には、
「まあるい緑の山手線〜まんなかとおるは中央線〜新宿西口駅の前〜カメラはヨドバシカメラ」
にしか聞こえんのやけど?????
私は歯を食いしばった。そして私の顔はこわばり、体は震えた。
まさか、
「栄光あれ、神に栄光あれ!栄光あれ、神に栄光あれ!」
が
「まあるい緑の山手線 まんなかとおるは中央線」
に化けるとは思わんやん?
まさか、「栄光あれ、神に栄光あれ!」って意味だと思ってた、
「¡Gloria, gloria, aleluya!¡Gloria, gloria, aleluya!」
が
「まあるい緑の山手線 まんなかとおるは中央線」
と訳すとは思わんやん?
ほんで周りは、お受験私立中学校の合唱コンクールに出場してる生徒ばりに口を大きく開けて顔を変形させながら、魂を込めて真剣にスペイン語版ヨドバシカメラの歌を歌ってるから余計におかしい。
私は笑い怒らえるのに必死で、結局、一節も歌うことができなかった。
そんなこんなでミサは終了した。
私は、周りのみんなの前でホストマザーにどやされてはかなわんと、終了後すぐさまマザーに「トイレ!」とだけつげて、そそくさと会場の出口に向かった。
すると、出口に立っていた牧師が、プラスチックのケースに入った「ロザリオ」を私にくれた。
金色のボールチェーンの先っちょにちっちゃなキリストが付いていた。
箱に入ってて乾燥剤で乾かされてた。
私はもう、それすらもおかしかった。
キリストなんでちょっと濡れてんねん。ええて。
神の扱い雑いて。
私は、笑うのを我慢して牧師にお礼を告げると、試飲用サイズのちっちゃな紙コップに入ったワインとちっちゃな硬いパンをくれたので、再びお礼をつげて駐車場に向かった。
しばらくして駐車場にたどり着いたホストマザーの顔は、案の定、真っ赤っ赤を超えてどす黒く変わりつつあった。
「なんて恥ずかしい!!賛美歌中にくすくす笑って一体何が面白いっていうの!!」
反論しても仕方ないことは分かっていたが、例の賛美歌のメロディが日本の電気屋さんのCMに用いられていることを伝えたが、
「だから、何!」
と一蹴されてしまった。
いや、日本からすっごく遠い国エクアドルで、すごく厳かだと思って臨んだ「ミサ」中に急に「ヨドバシカメラの歌」が流れ、それをエクアドル人たちが大真面目に歌っている姿は、私にとってはたまらなくおかしく感じたんだよ、マザー。
と、説明しようとしたが、火に油を注ぐだけなのでやめた。
すると、マザーが「あっ!」と声を上げる。
「なんでワインとパンを貰ったの!!」
マザーがまたブチギレている。
マザー曰く、ミサへの出席は誰でも自由なのだが、正式な契約を行ったキリスト教徒しかミサで貰ったワインとパンは食べ飲みしてはいけないらしい。
「いや、牧師が...」と私が言い始めたところ
「もういい!帰るわよ!!」
と私を怒鳴るマザー。
とも思ったが、まぁ、マザーの気持ちも分からなくはない。
想像してみよう。
仮に将来、世帯を持った私がエクアドルからの留学生を自分の家に受け入れたとしよう。
良かれと思ってそのエクアドル人留学生をお盆のお寺に連れて行ったとき、
そいつがスタスタと仏前に歩いてゆき、絶対に食べてはならないキュウリやナスで作った精霊馬をポリポリ食べだしたとすると、きっと私もブチ切れるだろうし、お寺に連れて行く前にわざわざ「精霊馬は食べちゃダメだよ。」と説明しないだろう。
だって日本人にとってそれは常識だから。
多分マザーもそんな感覚だったのだろう。
帰りの車内、先ほどとは打って変わってクールダウンしたマザーに「そもそもあなたはキリスト様やマリア様のことを知っているのか。」と聞かれた。
私は、「知ってるよ。私のおじいちゃんは、マリア様の絵を家に飾ってたよ。」と答えた。
「え、じゃああなたのおじいちゃんはキリスト教徒なの?」と聞かれたが、
私は違うと答えた。
「じゃあ、あなたのおじいちゃんは何教徒なの。」とイライラしていたが、実際のところおじいちゃんが何教徒なのか私にはよく分からない。
だっておじいちゃんの家にはマリア様の絵の他に、仏壇も神棚もあったのだから。
そのことを私がマザーに伝えると、
マザーは、「欲張りね。理解できない。」と私を蔑んだ。
うるせぇ、バーカ。
今日は7月30日。
マザー、
56歳の誕生日、おめでとう。
いっぱい喧嘩もしたけれど、あの時は一年間もどうもありがとう。
だいたい留学行った子って太って帰ってくるのに、私だけ15kgやせて帰ってきたのはいい思い出です。
でも、なんだかんだ、また機会があれば帰りたいなぁと思える国、エクアドル。
マザー!!
エクアドルで過ごした毎日は、私の人生の中で最も楽しい一年でした。
栄光あれ、マザーに栄光あれ!
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