愛について ver.1
友人曰く、「ポルノ断ちをしてから、すこぶる調子が良いんよ」と。
私は主張したい。恋愛は麻薬だ。
もっと言うと、ドーパミンは麻薬だ。
物心がついた頃に恋愛を覚えた私は、かれこれ永遠と恋愛をしていた。
高校生と大学生の頃に隆盛期を迎えるが、気分を上げてくれるのは決まって恋愛だった。
ただ、その頃には「精子バンクの所でお世話になるから大丈夫」と頻繁に口にしていた気がする。
サンタがいなかったように、この世に運命の人は“いない”と思ったときに、早々と愛を諦めてしまっていた。
いくつも恋愛を始めては、味がしなくなると吐き捨てていた。噛み始めたときのガムは美味しいのだから仕方がない・・・
と、見えない中毒症状が診えたのは最近のことで、それはまさに「ポルノ断ち」が功を奏したためである。
幼稚園の頃から初めて恋愛を断った。
そう、恋愛断ちをして早5ヶ月、すこぶる調子が良いのだから、ヒントを与えてくれた友人には感謝申し上げたい。
この空いた時間で、運命の人という概念と再び対峙した。
色々と考え、結論、どう考えるかって自分次第じゃない??
人との関係は、水をやるも、枯らすも、熟す前に食べてしまうも自由だから。
可能な限り繁殖するでもなく、ルールに従って、一生を一人と共にするのは、ヒトの高度な社会性なのか、参画してみたいと冷静になった。
恋愛という刺激の過剰摂取から離れると、脳は静かで、過ごしやすかった。今なら、ミニマリストの気持ちが分かる気がする。
精神愛なくして性器愛なし。
これまでの恋愛は、わざと間違え続けていたので、判断基準が顔やタトゥーやファッションのセンスという外面のみで、中には親しい友人、親に会わせにくい相手もいた。
人間として好きなのは、知性から来るユーモアのセンスがある人という一方、真逆ばかりを求めた。
自ら精神愛の育てにくい相手と、性器愛の先に精神愛を育てようとしていた。
周回遅れで、人間として好きな人を愛すことが自然と上手くいくのだと気付いた。
人生を一緒に面白くさせられそうな相手を、運命の人と勝手に言っても、誰も咎めないのかもしれない。