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看護師5年経験し海外へ Ep.1 看護師編

こんにちは。
親友とチャットでNamiちゃん(筆者)色々シェアできることあるんじゃない?
と言われ、noteで自分の今までの経験等まとめてシェアしてみようと始めてみました、よろしくお願いします!

まず、私のprofileから。
1991年生まれ 長野県育ち 出身地の長野県で看護師5年経験し、3ヶ月のCebu留学、その後Australia2年のワーキングホリデイを経て2020年の年末に日本へ帰国。
帰国後応援ナースとして日本を転々とする生活をしています。

看護師になるまで

話は遥か昔の高校3年生の冬へ遡ります。
当時の担任教諭より単位が足りず、進級できないかもしれないと突然の通告。
進級するのか、全日制の高校を辞め通信制の高校へ行くか、働くかと母と何時間も話し合いをし、ぼんやりと海外留学したいとの気持ちもありながら進級することに決めました。
担任教諭、学年主任の教諭や保健教諭のお陰でなんとか留年することなく進級することができました・・が、進路について悩むことになります。
何がしたいか全く思い浮かばなかった私、母がここを受験して合格しなかったら海外でもなんでも好きなことをすればいい、という条件と共に願書を持ってきたため締め切り日ギリギリに提出。合格したため地元の看護専門学校へ通うことになりました。
看護国家試験前日、東京での試験だったので都内で一泊し試験に挑む予定が稀に見る大雪により新幹線が動かない。高速道路も軽井沢で止まってしまっている状態。一旦集合したものの、前泊することが出来ず帰宅することに。
帰宅途中も実家が山奥にありスリップして登らなくなる事態へ。たまたま通りかかったブルドーザーに助けられなんとか家に到着。
それもそのはず、実家周辺は1mを超える積雪量。翌日も4時頃に起床し余裕を持って駅へ向かうも8時過ぎるまで新幹線は動かず、国試のため2本だけ動き、もちろん席はなく2時間立ちっぱなしで試験会場へ。
ヘトヘトになりながらも無事合格し看護師の道へ・・。
今思い出しても、後日再試験が設けられるなどかなり異例な年でした。

看護師を辞めるまで

看護学生時代、お恥ずかしながら全くと言っていいほど勉強しなかった私。入職してから毎日死ぬほど勉強することになるとは・・・。笑
就活に関しては全く苦労することなく入職するも、配属された先はなんと透析室でした。
看護師でない方はあまり想像がつかないでしょうが、1年目で透析室配属・・可哀想に。と言われることが多いです。なぜならかなり専門的な部署であり、患者さんは癖が強い・・。当時入職した病院のME(臨床工学士)の先輩たちはかなり優秀な方が多く、看護師でいる意味があるのかと心が折れかけていましたが10ヶ月で病棟配属となりました。
配属先は整形外科、その後循環器内科との混合病棟へ。(急性期と慢性期の混合、なかなかカオスな状況でしたw)
チームリーダー、新人教育もしある程度の経験をし、自分はこのまま看護師として一生を終えるのかと疑問を持ち始めます。
仕事が人生のメインとなっていた当時25歳、親友とシェアハウスをしていました。(トータル3年間、楽しかった!) 親友の高校時代の同級生がワーキングホリデイをすることを聞き、海外に住みたいと思っていたことを思い出しました。
同じ看護師として働いていた母に当時の職場で働くには限界が来ていたので転職したのち海外に行きたい、と相談してみたところ、話を聞いた母が『あんた、そんなこと言ってたらいつまで経っても海外なんていけないんじゃない?行くなら行ってきたら?』と、一言。
その一言に背中を押され、海外へ行くことを決意。
入籍後、退職することが許されず半年別居婚をしていた方がいる、と聞いたことがある程度にはブラックな職場でしたが、固い決意で当初辞める予定だった日に退職することが無事できました。

Ep.2 ワーキングホリデーしたい!どこへ行く?

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