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私という人間

こんばんは、私のノートを開いてくれてありがとうございます。今日は私という人間がはっきりと分かってしまう内容になるかなぁ。

私は私を好きになったことがない。そしてその自分嫌いがますます勢いをつけてきている。例えなにかに上手くいっても、結局は今までの自分で帳消しになる。スーパーヒーローになってたくさんの人を救ったとしても、過去は変わらない。事実として残り続ける。変わらないことであれやこれや考えることが無駄だと分かっているが、どうしても自分を許せない。許してはいけない。

一体、私は過去に何をしたのか。
私は故意で人を傷つけたことがある。

過去の投稿で、高校の先輩にいじめを受けたと書いて被害者ヅラしているが、私は小中学校の時いじめっ子だった。持っているものを真似されたとかそんな理由から始まり、聞こえているのに無視したり、陰口を言ったり、仲間外れにもしていた。シンプルに高校時代のいじめは、それが自分に返ってきたようなものだろう。

私がいじめていた子は、周りの人の話によれば高校生からずっと付き合っている子がいるみたいで、お相手さんと元気に暮らしているみたいだ。でも、もしかしたら私からのいじめで今も苦しく思っていることがあるかもしれない。私は、その子が今後、苦しみながら生きるかもしれないことにも考えが及ばず、その子の人生を背負う覚悟も無く、くだらない理由をきっかけにいじめた。

ここに書くことで贖罪をしたい訳では無い。私は一生、苦しんで生きればいい。高校時代の苦しかった経験を本当は、苦しいんだと誰かに相談する資格もない。全て自分で蒔いた種だから。それなのに、味方が欲しいから自分の非を隠して、こんなことがあって苦しいと相談している自分は救いようのない人間のクズである。

だけど本当に苦しかった。自分がいじめにあう前から過去のことを後悔していたけれど、いじめにあって苦しいと思ってなおさら、自分のしてしまったことがどれ程残酷なことなのかわかった。だから今はもっと苦しい。その子が今、私のように落ちぶれず、元気にしていることだけが唯一の救いだ。しかし、謝って許してもらえたとしても、私がすっきりするだけで、その子が苦しいと感じてきたことは無くなる訳では無い。

そうか、そりゃ、自分のこと好きになれるわけなんてない。自分がどれ程クズなのか分かっているから、嫌われないように、ボロが出ないように、頑張らないと不安で仕方ないのだろうな。

私は生きるのが怖い。でも生きるのが楽しいなんて、間違ってもそんな素敵な人生を歩んでもいけないんだと思う。もちろん、自ら望んで不幸になってあの子に勝手に報いろうとしてる訳でもない。

嫌なことをたくさん経験して、すっかり他人と付き合っていくのに怯えるようになった。いい思い出なんてあったのかもしれないが、もうほとんど思い出せない。苦しい記憶しか残っていない。
こんな人生もう嫌だと思いつつ、全ては自分に返ってきただけか、当然の報いだなと、結局自分を責めるしかなく、出口の見えない失望に落ちていく。


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