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私がいる意味

こんばんは。私のノートを開いてくれてありがとうございます。


私には頑張り方が分からない。分からなくなってしまった。

初投稿と関連した内容になってしまうが、私は、部活動に高校時代3年間を注いだ。だが、最後の最後に経験したことが、その3年間を完全に真っ黒にしてしまった。

引退直前、私はその部活動のチームの監督に
「おまえのその頑張っているふりはいらない」
そう、みんなの前で言われてしまった。同じ立場でやって来た子(Aさんとします)さえも、その言葉を肯定するかのような苦笑いで私を見た。さらには、私でさえも、その言葉を否定できなかった。
私はこれまでずっとチームのために頑張ってきたと思っていた。でも監督のその言葉を聞いた瞬間、どこか腑に落ちてしまった。あぁ、私はチームのために頑張っていたつもりだったんだな、そう思った。

練習がスムーズに進むように、不備がないように、チームが、個人個人が強くなれるように。そうやって思いながら3年間やってきたはずだった。周りからも沢山ありがとうと言ってもらえた。

でも、本当はなんのために頑張っていたのか。それは自分のためだった。チームのために頑張ったことなんて、下手したら1度もなかったのかもしれない。

多くの人がそうであると思うが、私は人に嫌われたくない。Aさんは笑顔がとても素敵な子で、ただそこにいるだけで周りを和ませて、話上手で聞き上手、思いやりがあって気が利くし、器用だし、アイデアマンだった。でもその隣の私は、愛嬌もなければ容量も悪い。とにかく嫌われないように頑張らないと見捨てられてしまう、そう思っていつも怖かった。
チームのためにと言いながら、それは結局は建前で、その裏にある本音は「みんなに嫌われたくない。好かれていたい。」そういう思いでいっぱいだったように思う。
自分でもわかっていたはず。でも目をそらし続けていた。それが最後の最後、監督のその言葉に自然と納得してしまったことで、もう認めざるを得なかった。
私は卑怯な人間だ。ありがとうと言ってくれる人はみんな、「私のためにありがとう」、そういう意味で言っているんだと思う。でも私は自分のためにしか頑張らなかった。それなのに、そんな純粋な感謝の思いを、事実から目を背けながら、受け取っていた。私は周りの大勢の人たちを裏切っていたのだ。

でも、嫌われたくないがために頑張る、気を利かせる、それ以外の目的で頑張れない。純粋な、その人の役に立ちたい!その人を助けたい、一緒に頑張りたい!という気持ちで頑張れない。
自分のためにしか頑張れない私が、いる意味ってあのだろうか。嫌われないように頑張って生きる意味があるのだろうか。頑張らないと好かれないのなら、いなくてもいいじゃないか。
私は今日もなぜ生きているのだろう。


今日はここまでにしようかな。
最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございます。今日もネガティブにさせてしまった思う。本当にごめんなさい。その日のうちにそのネガティブな感情がどこかへ飛んでいきますように。

おやすみやさい。

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