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最初の手術

画像は息子の初盆。お盆はちゃんと迎えてやりたいが、おじいちゃんが亡くなった時のような渋いお盆にはしたくないという葛藤の結果こうなった。お花は夏らしいひまわり、盆提灯はトルコのモザイクランプ、パイナップルは沖縄の風習を参考にしてみた。例によって姿は見えないがちゃんと帰ってきたようで、息子はお盆入り早々に夫の眼鏡を破壊し、お盆が過ぎても勝手にモザイクランプを点けて楽しんでいた。気に入ってくれて何より。

※息子は空に還ったけれど、息子との時間を記録しておきたくて、振り返りながら書いています

最初の手術は生後2日目に決まった。当日朝、指定された時間通りにPICUの説明室で待っていると、スクラブ姿のがっしりした男性が入ってきた。どこからどう見ても心臓外科医にしか見えない心臓外科医、小児心臓外科トップの医師だった。夫と2人で、あらためて手術の内容や時間、リスクについて説明を受ける。人工心肺を繋いだ上で、Norwood手術を始めとする4つの手術を一気に行う、8時間から10時間ほどの大手術である。輸血は必須、術後の心臓の動きがすぐれなければECMOも必要になる。手術による死亡率は30%ほど。術後すぐに胸を閉じると、手術で腫れた心臓を狭い胸の中に押し込める形になってしまうので、胸を開けたまま病棟に戻ってくる。理屈はわかるが、いざ当事者になると説明だけで圧倒されそうになる。

手術は午前中に開始されるが、具体的な時間はまだ調整中とのことで、一旦病室に戻った。が、すぐに病棟の看護師さんから声がかかり、急いでPICUに引き返した。小さな息子の周りには、大量の点滴に各種機械、そしてそれらを押すたくさんのスタッフ。ちょっとした大名行列のようだ。両親のどちらかだけ手術部入り口まで付き添えるということで、わたしがついて行った。3分の1の確率で、もう二度と会えなくなる。とても怖いけれど、この不安を息子に移すわけにはいかない。行ってらっしゃい、待ってるからね。声をかけて、頭を撫でて、息子を送り出した。

PICUには、手術等を待つ家族のための控室が複数あった。一番端の控室で、夫と2人、ただひたすら待つ。病棟の看護師さんには事前に相談して、食事と検温以外は病室ではなく控室で待つ許可をもらっていた。ソファで横になるわたしの隣で、夫は病院売店で買ったドラえもんを読んでいた。ただの暇つぶしではなく、息子が大きくなったら一緒に読むそうだ。何年後になるんだろうか。リスクの高い手術、決して平気なわけではないけれど、なるべくいつも通り、のんびりと。

あっという間だった気もするし、気の遠くなるような時間だった気もする。消灯時間を過ぎ、もう直ぐ日付が変わろうという頃、さっきの心臓外科医が控え室に入ってきた。手術室に入って12時間は過ぎていた。 

Norwood手術は予定通り完了し、人工血管も留置できた。問題は三尖弁。本来ならその名の通り3枚の弁がセットになって仕事をしているのだが、息子の胸を開けたところそのうちの1枚が低形成であり、弁になるはずだったペラペラはあるものの弁としての役割は全く果たせていなかった事が判明した。隣にある比較的正常に近い弁とつなげて、一緒に動くようにしたものの、三尖弁本来の仕事がどのくらいできるかは分からない。心臓の動きもあまり良くないので、ECMOをつけた状態で病室に戻り、動きが良くなったら離脱を試みる予定だが、もしかしたら厳しいかもしれない。

そう、正直に説明してくれた。

想定していたよりも厳しい状況に、夫はすっかり打ちひしがれて、泣き出してしまった。わたしもだいぶ不安だったが、一番大変なのは生まれたばかりで大手術を受けた息子本人な訳で、ただ待っていただけの親がめそめそしているわけにはいかない。生まれる前に想像していたよりさらに不便が多い生活になりそうだが、それでも不便なりに生きていけるはずだと、わりと本気でそう思っていた。

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