63. 離婚と親権
可奈に会えるようになってから半年程経った頃、裕太に「離婚届けに判をして、親権と監護権を渡してくれ。」と言われた。
再構築を目指しているのにそんなことは出来ない、と何度も断ったけど、裕太は離婚することで新しくやり直せる、リセットしようと言ってきかなかった。
私の父や母はもちろん止めた。また騙されるわよ!と。
だけど、私はわかっていた。娘と引き離されて1年半以上経っている私が、また家裁に行ったところで勝ち目はない。むしろ離婚することで裕太の気持ちが晴れ、変わるなら、言うとおりにしたほうがいいのかもしれない。
弟の夏生にも相談し、数日悩んだ末、私からも条件を出すことで裕太の意向をのむことにした。それは苦渋の選択だった。
☆
可奈とは月に3~4回は会っていたし、泊りも出来るようになっていた。小学生の低学年になっていたし、もしまた引き離されることになったら、今度は可奈が許さないだろう。
それに、可奈との関係の主導権を握る裕太に、このまま離婚を断り続ける事は出来なかった。裕太には、そのぐらいの強い意思を感じた。
「分かった。離婚するよ。親権も監護権も渡す。」
そう電話口で告げると、夜中にも関わらず、裕太は離婚届を片手に車を飛ばしてやって来た。いつもは亀のように行動が遅いのに、そんなに親権が欲しかったのか、と改めて実感した。
近所のファミレスで落ちあい、離婚届に判を押した。親権と監護権の欄に裕太の名前を記入した。裕太は次の日の朝イチで役所に届け出たらしい。
親権を渡したらそれで終わってしまい、可奈に会えなくなるのではないか?
そんな心配ももちろんあったけど、実際は何も変わらなかった。
相変わらず可奈と裕太と3人での面会は続き、学校行事には3人で参加した。家庭訪問では裕太の実家に呼ばれ、先生と義母と皆でテーブルを囲んでお茶をした。授業参観も誕生日も、皆で行った。
ひとつ、私の提示した条件は果たされず、私は随分腹を立てて一度大きな喧嘩をした。裕太を罵倒してしまった私は、(もうダメだ、これまで死ぬ思いをして築いてきたものが、壊れた・・。また可奈と引き離されるかもしれない。)と青ざめたけど、驚くことに何も変わらなかった。
ホントに、今こうして振り返っても裕太が何を考えていたのかサッパリわからない。ただ、裕太は(ものによるけど)一度決めたことを驚くぐらい律義に守るところがある。それが、この件でうまく作用してくれたと思っている。
相変わらず公正証書を交わすことは嫌がったので、私としては不安だったけど、決めなかった分結果的に柔軟に、私達親子にとって良いように状況は変化していった。
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