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今にして思えばこの時は一刻も早く動くべき時であり、予約してから2週間後にアポが取れるような駅前の法律相談を予約している場合ではなかった。だけど、私はその時起こっていた事をそこまで深刻に捉えていなかったので、全ては後手に回ってしまった。

相談時間は30分だった。不眠が続き、思考はクリアでなかったけど、無理やりコーヒーを流し込み、リビングのテーブルで聞きたいことを紙にまとめていたら、私を心配した母が仕事を休んで付き添うと言い、一緒に行くことにした。

法律相談が行われていたのは思っていたよりも老朽化した、つまり小汚いビルの一角だった。
受付で案内された場所は個室ではなく、広いロビーのようなスペースをパーテーションで区切ったただけの、ショッピングモールにある占いコーナーみたいな頼りない一角だった。用意されていたパイプ椅子に母と並んで座った。

そこにはスーツを着た、真面目そうな青年の弁護士さんがいた。弁護士に会うのは初めてだった。今までの経緯をざっくりと話すと、彼は言った。

「あぁ、このケースですか・・。お子さんと離れて、今どのくらいですか?」
「ええと、ハワイで連れ去られてから、今日でちょうど1ヵ月ほど経ちました。」
「そうなんですね・・。これはね、非常に難しいケースなんですよ。残念ですが、お子さんを取り戻すことも、親権を取ることも非常に難しいです。」

母親だから親権は取れる、と色んな人に言われていた事もあり、この状況を楽観視していた私にとって、その言葉はナイフのように突き刺さる。隣にいた母が泣きそうな声で尋ねた。
「母親ならほぼ親権をとれる、と聞きますが、違うんですか?」
「お子さんを連れ去られたとなると、状況が違うんですよ・・。こうしている間にも、『監護実績』がついてしまい、どんどん向こうが有利になりますからね・・。とにかく、一日でも早く裁判を申し立てるか、、出来るなら、旦那さんを説得するのが一番いいです。」
私は言った。
「・・・完全にシャットアウトされているので、説得は難しいんです。もしも裁判をしたら、勝率はどのくらいなんでしょうか?」
「そうですね、5%位ですかね・・。」
 
母は、小さく背中を丸めて隣で泣いていた。

勝率5%なんて。負け確定みたいなものじゃないか。冗談じゃない。

私は聞いた。

「海外からの違法な連れ去りなのに、罪にならないんですか?」

「残念ながら、海外だとか国内だとか、あまり関係ないんです。とにかくですね、お子さんにすぐに会いに行ってください。なりふり構わず、玄関先で泣いたって叫んだっていいんです。そうでないと、お子さんを向こうで育てることに同意したことになりますからね。」

「・・夫の自宅には行ったんです。だけど、全くかけ合ってもらえませんでした。」

「そうですか・・。それでは、もし必要であれば、ここ連絡をください。決して諦めないように。」

名刺を渡され、あっという間に30分は終わってしまった。

帰り道、肩を落としていた母が気を取り直すようにこう言った。

「紗英、5%だろうが、賭けるのよ!可奈ちゃん取り返さなきゃだめだよ!」

「紗英、5%だろうが、賭けるのよ!可奈ちゃん取り返さなきゃだめだよ!」

だけど私は、そんな、5%の賭けに可奈をかけるなんて、考えるだけで恐ろしいと思った。大事な子どもの人生に関わる事なんだから、100%でなくてはいけない。裕太を説得できるものなら説得して、以前のように共同で可奈を育てたい、どうすればそれが出来るのか・・。

この時期、争うべきか、説得するべきかで私の心は揺れていた。争ったらきっと怒らせてしまい、状況はさらに悪くなる。そうすると、可奈に会える可能性も少なくなる。

まるで、1つでもコマの動かし方を間違えたら死んでしまう、命がけのチェスに無理矢理参加させられたような気分だった。
 
裕太は相変わらず私からの連絡を無視し続けている。

私は「あの日」からまだ1度も、可奈の声を聞くことも、姿を見る事も出来ていなかった。


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