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なぜ教員になったのか

幼い頃から、幼稚園に通えば幼稚園の先生に憧れ、小学校では、小学校の先生になりたいと真似事をする子どもだった。漠然と人の前に立つ仕事に憧れていただけだけど。

小5の頃だったと思う。担任の先生に突然、母が呼ばれた。「ぴのこさんは将来、教職につけばいいと思う。そのために、教育大附属の中学校を受験しないか?」というものだった。母は喜び、わたしは予想もしなかった中学受験の戦争に駆り立てられた。

今だからはっきり実感できるけど、多分あらゆる受験の中で、中学受験の難易度はいちばん高いと思う。学校の授業だけを受けてきた私には、苦しすぎる世界だった。当然、1次で不合格になり、子ども心に深く傷ついた。

地元の公立中、公立高校に進み、さて大学受験、というとき。高校で力をつけた英語力をもっとモノにしたくて外大受験を考えた。でも、その時に「あの先生が言ってくれた、教職に就くという選択肢があってもいいのではないか」と考えた。教職につくなら、自分が思春期の混沌の中で先生たちに掬いあげられた、中学を目指したかった。

受験勉強を毎日毎日休むことなく続ける中で、当時、中学生の大きな事件が起きた。愛知県の中学生がいじめを苦に首をつったのだ。それに呼応するかのように、全国の中学生が連日、首を括った。わたしの勉強の手は止まってしまった。

なぜ彼らは死ななければならなかったのか。なぜ、いじめはこれほど人を追い詰めるのか。今の中学校現場で何が起きているのか。もしも教職の道に入るとしたら、この疑問をおざなりにして、私は教壇にたってはならない。そう考えて、子どものいじめの問題を研究できる学部を探した。社会学という学問。私は外大数校と、別の大学の社会学部を数校受験した。

阪神淡路大震災の混乱の中での受験。最終的に合格した外大に、わたしの気持ちはもう向かなかった。迷いなく私大の社会学部に進んだ。もちろん、「中学の社会の教員になる」ことを前提に。今でも、その選択は間違いなかったと思っている。むしろ、高校三年生の多感な時期に、いじめ自殺の問題から目をそらさず、その問題の究明のために社会学部に進んだ自分の意志の強さを、今では少し眩しい気持ちで思い返すことができる。




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