原風景
物心ついた時の鮮明な記憶がある。心の奥の引き出しにしまって鍵をかけた記憶。
黄緑色の絨毯の上で、つけっぱなしのテレビになんとなく目をやりながら、佇むわたし。横ではソファに座った母がわたしに向かって叫んでいる。母の膝の上にはふにゃふにゃの赤ちゃんの弟(ひとつ年下)。母の顔は恐ろしく歪んでいる。その内容はよくわからなくて、わたしはただ怒り狂う母の前でどうすれば、母を笑顔にできるかと考えていた。
気づいたら黄緑色の絨毯が目の前にあった。母に後頭部を殴られて頭から倒れ込んだのだった。鼻血が出ていた。そのことにまたびっくりして、わたしは泣いた。血が出ているわたしを母はほって置くことはしないだろう。血が出ているのだから。そう考えながら泣いていたら、片腕を引っ張られた。「いつまで泣いてんの!」の言葉とともに。右腕に激痛が走って、力が入らなくなった。そのままわたしは病院に連れて行かれた。
右腕の関節が抜けていた。包帯で巻かれた腕。お母さんが引っ張ったから、わたしは怪我をした。その自覚くらいあった。腕はシクシクと傷んだ。それでも、「痛い」と言葉にすることが母を追い詰めると考えて、極力我慢をした。
その日遅くに仕事から帰宅した父が、わたしの包帯に気づいた。「どうしたんや?」わたしは黙っていた。言ってはいけない。本当のことは。「階段を登っていたらこけたのよ」と母が代わりに答えた。「ふーん」と父。わたしの怪我は秘密の怪我だった。だから誰にも知られてはいけない。わたしは幼心にそのことを悟った。
記憶はそこで途絶えている。
突然思い出したのがつい最近のこと。今の親ならどうするのだろう。「痛かったね、ごめんね」と抱き締めるのだろうか。わたしは親の機嫌を損ねたから、自分が痛い目にあったんだと、自分のせいなんだと、つい最近まで考えていた。
幼稚園にも入る前の出来事。これだけ、色彩鮮やかに思い出すことができる。