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現実を生きる

全身を澄ませていた。
鳥の鳴き声も、または鹿の鳴き声も、猿沢池の水面の輝きさえも肌に触れるような気がした。
いつだって呼吸は深く、冴えた目にすべてが映っていた。
何気なく贈られたひとことを、
みぞおちから泣けるくらいに噛み締めた。

大学1年の夏、東京でなんもかんもがダメになって実家に戻った私は、すがるようにアルバイトの面接を受けた。奈良の、革靴のお店だ。
毎日苦しくてベッドから出られない状況の中、その日はたまたま体調がマシで久しぶりにSNSを覗いた。すると偶然以前から気になっていた革靴屋さんの投稿に“アルバイト募集”の文字が。運命を感じた私は、ようやく見えた一筋の光につられ、証明写真を撮りに外へ出た。
店の奥にある和室で面接を受けたのだけれど、その時からすでにそよ風に包まれているみたいな安心感、というか清らかな感じがあった。そして今でもその店で過ごした記憶は、“清潔な記憶”として私の脳みそに保存されている。面接をしてくれたAさんとTさんは私を“アルバイトの子”として見るのではなく、ひとりの人間として見てくれた。そのことが新鮮で嬉しかった。緊張から武士みたく受け答えする私を面白がってくれて、前向きだと言って褒めてくれまでした。

こわい。好かれると逃げたくなる。自意識の呪い。しかしここでなら、東京でこさえた傷跡とか縮こまった神経とか、ぜんぶぜんぶ癒えるかもしれない。

そんなこんなで週5日、大阪から奈良まで通うことになった。奈良までは片道約2時間かかるので、当然ながら早起きをする必要がある。早寝早起きが身についたことで、私は心身ともに少しずつ健康になった。
近鉄奈良線が生駒山を越えるとき、大阪の街が一望できる。
行きは朝日、帰りは夕日が街を染めて、線路は空を走っているのではないかと思うほど高い。
近鉄奈良線は毎日、現実から一番遠いところへ私を連れて行ってくれた。

奈良で出会う人たちは皆、色と温度があった。
はじめ、そんな些細なことでこんなにも話し合うの?と少し驚いたくらいに、言葉にすることを面倒くさがらない。だからもちろん「ありがとう」もたくさん飛び交う。
初出勤の日だったろうか。帰りに「また明日」と言われて、そんなひとことで、ここはもう私の居場所なんだって本気で嬉しくて。「えへへ」としか言えない私を見て「ふふっ」とTさんは笑った。
また明日もここにいていいんだ。

文字に書き起こすことも同じくらい、そこの人たちにとってはなんでもないことだった。
先輩のMさんとは推しが同じで、紙袋いっぱいのライブDVDを貸してくれたこともある。電車の中で「ラインナップ」と美しい文字で書かれた一枚の手紙が入っていることに気がついたとき、その丁寧さに心を打たれた。

健やか、朗らか、穏やかで、いまこの瞬間を楽しむことを知っている。そうして与えながら生きることの難しさよ。少なくとも自分のことで精一杯のうちは、難しい。

新入社員の I さんが教えてくれたスピッツの「 Y 」という曲がある。もうすぐ奈良を去る私の気持ちがそのまま歌われているから、聴いて欲しい。

やがて君は鳥になる
ボロボロの約束 胸に抱いて
悲しいこともある だけど夢は続く
目をふせないで
舞い降りる 夜明けまで

「Y」草野正宗/2002

※2023年10月末に書いたものを改稿のち公開しています。

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