孫子の兵法 4/4 原文

第10章 地形

一 孫子曰わく、
 地形には、通ずる者あり、挂[さまた]ぐる者あり、支[わか]るる者あり、隘[せま]き者あり、険なる者あり、遠き者あり。
 我れ以て往くべく疲れ以て来たるべきは曰[すなわ]ち通ずるなり。通ずる形には、先ず高陽に居り、糧道を利して以て戦えば、則ち利あり。
 以て往くべきも以て返り難きは曰ち挂ぐるなり。挂ぐる形には、敵に備え無ければ出でてこれに勝ち、敵若し備え有れば出でて勝たず、以て返り難くして不利なり。
 我れ出でて不利、彼れも出でて不利なるは、曰ち支るるなり。支るる形には、敵 我れを利すと雖も、我れ出ずること無かれ。引きてこれを去り、敵をして半ば出でしめてこれを撃つは利なり。
 隘き形には、我れ先ずこれに居れば、必らずこれを盈たして以て敵を待つ。若し敵先ずこれに居り、盈つれば而ち従うこと勿かれ、盈たざれば而ちこれに従え。
 険なる形には、我れ先ずこれに居れば、必ず高陽に居りて以て敵を待つ。若し敵先ずこれに居れば、引きてこれを去りて従うこと勿かれ。
 遠き形には、勢い均しければ以て戦いを挑み難く、戦えば而ち不利なり。
 凡そこの六者は地の道なり。将の至任にして察せざるべからざるなり。

二 故に、兵には、走る者あり、弛む者あり、陥る者あり、崩るる者あり、乱るる者あり、北[に]ぐる者あり。凡そ此の六者は天の災に非ず、将の過ちなり。
 夫れ勢い均しきとき、一を以て十を撃つは曰ち走るなり。
 卒の強くして吏の弱気は曰ち弛むなり。
 吏の強くして卒の弱きは曰ち陥るなり。
 大吏怒りて服せず、敵に遭えばうら[對心]みて自ら戦い、将は其の能を知らざるは、曰ち崩るるなり。
 将の弱くして敵ならず、教道も明らかならずして、吏卒は常なく兵を陳[つら]ぬること縦横[しょうおう]なるは、曰ち乱るるなり。
 将 敵を料ること能わず、小を以て衆に合い、弱を以て強を撃ち、兵に選鋒なきは、曰ち北ぐるなり。
 凡そこの六者は敗の道なり。将の至任にして察せざるべからざるなり。

三 夫れ地形は兵の助けなり。敵を料って勝を制し、険夷・遠近を計るは、上将の道なり。此れを知りて戦いを用[おこ]なう者は必らず勝ち、此れを知らずして戦いを用なう者は必らず敗る。故に戦道必らず勝たば、主は戦う無かれと曰うとも必らず戦いて可なり。戦道勝たずんば、主は必ず戦えと曰うとも戦う無くして可なり。故に進んで名を求めず、退いて罪を避けず、唯だ民を是れ保ちて而して利の主に合うは、国の宝なり。


 卒を視ること嬰児の如し、故にこれと深谿に赴むくべし。卒を視ること愛子の如し、故にこれと倶に死すべし。厚くして使うこと能わず、愛して令すること能わず、乱れて治むること能わざれば、譬えば驕子の若く、用うべからざるなり。

五 吾が卒の以て撃つべきを知るも、而も敵の撃つべからざるを知らざるは、勝の半ばなり。敵の撃つべきを知るも、而も吾が卒の以て撃つべからざるを知らざるは、勝の半ばなり。敵の撃つべきを知り吾が卒の以て撃つべきを知るも、而も地形の以て戦うべからざるを知らざるは、勝の半ばなり。故に兵を知る者は、動いて迷わず、挙げて窮せず。
 故に曰わく、彼れを知りて己れを知れば、勝 乃ち殆[あや]うからず。地を知りて天を知れば、勝 乃ち全うすべし。

第11章 九地

一 孫子曰わく、
 兵を用うるには、散地あり、軽地あり、争地あり、交地あり、衢[く]地あり、重地あり、ひ[土己]地あり、囲地あり、死地あり。
 諸侯自ら其の地に戦う者を、散地と為す。
 人の地に入りて深からざる者を、軽地と為す。
 我れ得たるも亦た利、彼得るも亦た利なる者を、争地と為す。
 我れ以て往くべく、彼れ以て来たるべき者を、交地と為す。
 諸侯の地四属し、先ず至って天下の衆を得る者を、衢地と為す。
 人の地に入ること深く、城邑に背くこと多き者を、重地と為す。
 山林・険阻・沮沢、凡そ行き難きの道なる者を、[土己]地と為す。
 由りて入る所のもの隘く、従って帰る所のもの迂にして、彼れ寡にして以て吾の衆を撃つべき者を、囲地と為す。
 疾戦すれば則ち存し、疾戦せざれば則ち亡ぶ者を、死地と為す。
 是の故に、散地には則ち戦うこと無く、軽地には則ち止まること無く、争地には則ち攻むること無く、交地には則ち絶つこと無く、衢地には則ち交を合わせ、重地には則ち掠め、[土己]地には則ち行き、囲地には則ち謀り、死地には則ち戦う。

二 古えの善く兵を用うる者は、能く敵人をして前後相い及ばず、衆寡相い恃まず、貴賎相い救わず、上下相い扶けず、卒離れて集まらず、兵合して斉わざらしむ。利に合えば而ち動き、利に合わざれば而ち止まる。

三 敢えて問う、敵 衆整にして将[まさ]に来たらんとす。これを待つこと若何。
 曰わく、先ず其の愛する所を奪わば、則ち聴かん。兵の情は速を主とす。人の及ばざるに乗じて不虞の道に由り、其の戒めざる所を攻むるなりと。

四 凡そ客たるの道、深く入れば則ち専らにして主人克たず。饒野に掠むれば三軍も食に足る。謹め養いて労すること勿く、気を併わせ力を積み、兵を運らして計謀し、測るべからざるを為し、これを往く所なきに投ずれば、死すとも且[は]た北[に]げず。士人 力を尽す、勝焉んぞ得ざらんや。兵士は甚だしく陥れば則ち懼れず、往く所なければ則ち固く、深く入れば則ち拘し、已むを得ざれば則ち闘う。是の故に其の兵、修めずして戒め、求めずして得、約せずして親しみ、令せずして信なり。祥を禁じ疑いを去らば、死に至るまで之[ゆ]く所なし。吾が士に余財なきも貨を悪[にく]むには非ざるなり。余命なきも寿を悪むには非ざるなり。令の発するの日、士卒の坐する者は涕[なみだ] 襟を霑[うるお]し、偃[えん]臥する者は涕 頤[あご]に交わる。これを往く所なきに投ずれば、諸・かい[歳リ]の勇なり。

五 故に善く兵を用うる者は、譬えば率然の如し。率然とは常山の蛇なり。其の首を撃てば則ち尾至り、其の尾を撃てば則ち首至り、其の中を撃てば則ち首尾倶に至る。
 敢えて問う、兵は率然の如くならしむべきか。
 曰わく可なり。夫れ呉人と越人との相い悪むや、其の舟を同じくして済[わた]りて風に遭うに当たりては、其の相い救うや左右の手の如し。是の故に馬を方[つな]ぎて輪を埋むるとも、未だ恃むに足らざるなり。勇を斉[ととの]えて一の若くにするは政の道なり。剛柔皆な得るは地の理なり。故に善く兵を用うる者、手を攜[たずさ]うるが若くにして一なるは、人をして已むを得ざらしむるなり。

六 将軍の事は、静かにして以て幽[ふか]く、正しくして以て治まる。能く士卒の耳目を愚にして、これをして知ること無からしむ。其の事を易[か]え、其の謀を革[あらた]め、人をして識ること無からしむ。其の居を易え其の途を迂にし、人をして慮ることを得ざらしむ。帥[ひき]いてこれと期すれば高きに登りて其の梯を去るが如く、深く諸侯の地に入りて其の機を発すれば群羊を駆るが若し。駆られて往き、駆られて来たるも、之[ゆ]く所を知る莫し。三軍の衆を聚めてこれを険に投ずるは、此れ将軍の事なり。九地の変、屈伸の利、人情の利は、察せざるべからざるなり。

七 凡そ客たるの道は、深ければ則ち専らに、浅ければ則ち散ず。
 国を去り境を越えて師ある者は絶地なり。四達する者は衢地なり。入ること深き者は重地なり。入ること浅き者は軽地なり。背は固にして前は隘なる者は囲地なり。往く所なき者は死地なり。
 是の故に散地には吾れ将[まさ]に其の志を一にせんとす。軽地には吾れ将にこれをして属[つづ]かしめんとす。争地には吾れ将に其の後を趨[うなが]さんとす。交地には吾れ将に其の守りを謹しまんとす。衢地には吾れ将に其の結びを固くせんとす。重地には吾れ将に其の食を継がんとす。[土己]地には吾れ将に其の塗[みち]を進めんとす。囲地には吾れ将に其の闕[けつ]を塞がんとす。死地には吾れ将にこれに示すに活[い]きざるを以てせんとす。
 故に兵の情は、囲まるれば則ち禦ぎ、已むを得ざれば則ち闘い、過ぐれば則ち従う。

八 是の故に諸侯の謀を知らざる者は、予め交わること能わず。山林・険阻・沮沢の形を知らざる者は、軍を行[や]ること能わず。郷導を用いざる者は、地の利を得ること能わず。此の三者、一を知らざれば、覇王の兵には非ざるなり。夫れ覇王の兵、大国を伐つときは則ち其の衆 聚まることを得ず、威 敵に加わるときは則ち其の交 合することを得ず。是の故に天下の交を争わず、天下の権を養わず、己れの私を信[の]べて、威は敵に加わる。故に其の城は抜くべく、其の国は堕[やぶ]るべし。無法の賞を施し、無政の令を懸くれば、三軍の衆を犯[もち]うること一人を使うが若し。これを犯うるに事を以てして、告ぐるに言を以てすること勿かれ。これを亡地に投じて然る後に存し、これを死地に陥れて然る後に生く。夫れ衆は害に陥りて然る後に能く勝敗を為す。

九 故に兵を為すの事は、敵の意を順詳するに在り。并一にして敵に向かい、千里にして将を殺す、此れを巧みに能く事を成す者と謂うなり。是の故に政の挙なわるるの日は、関を夷[とど]め符を折[くだ]きて其の使を通ずること無く、廊廟の上にきび[厂艸属]しくして以て其の事を誅[せ]む。敵人開闔[かいこう]すれば必らず亟[すみや]かにこれに入り、其の愛する所を先きにして微[ひそ]かにこれと期し、践墨[せんもく]して敵に随[したが]いて以て戦事を決す。是の故に始めは処女の如くにして、敵人 戸を開き、後は脱兎の如くにして、敵人 拒ぐに及ばず。

第12章 火攻

一 孫子曰わく、
 凡そ火攻に五あり。
 一に曰わく火人、二に曰わく火積、三に曰わく火輜、四に曰わく火庫、五に曰わく火隊。
 火を行なうには必ず因あり、火をと[火票]ばすには必ず素より具[そな]う。火を発するに時あり、火を起こすに日あり。時とは天の燥[かわ]けるなり。日とは宿の箕・壁・翼・軫に在るなり。凡そ此の四宿の者は風の起こるの日なり。

二 凡そ火攻は、必ず五火の変に因りてこれに応ず。
 火の内に発するときは則ち早くこれに外に応ず。
 火の発して其の兵の静かなる者は、待ちて攻むること勿く、其の火力を極めて、従うべくしてこれに従い、従うべからざるして止む。
 火 外より発すべくんば、内に待つことなく、時を以てこれを発す。
 火 上風に発すれば、下風を攻むること無かれ。
 昼風は従い夜風は止む。
 凡そ軍は必らず五火の変あることを知り、数を以てこれを守る。

三 故に火を以て攻を佐[たす]くる者は明なり。水を以て攻を佐くる者は強なり。水は以て絶つべきも、以て奪うべからず。

四 夫れ戦勝攻取して其の功を修めざる者は凶なり。命[なづ]けて費留と曰う。故に明主はこれを慮り、良将はこれを修め、利に非ざれば動かず、得るに非ざれば用いず、危うきに非ざれば戦わず。主は怒りを以て師を興こすべからず。将は慍[いきどお]りを以て戦いを致すべからず。利に合えば而ち動き、利に合わざれば而ち止まる。怒りは復た喜ぶべく、慍りは復た悦ぶべきも、亡国は復た存すべからず、死者は復た生くべからず。故に明主はこれを慎み、良将はこれを警[いまし]む。此れ国を安んじ軍を全うするの道なり。

第13章 用間

一 孫子曰わく、
 凡そ師を興こすこと十万、師を出だすこと千里なれば、百姓の費、公家の奉、日に千金を費し、内外騒動して事を操[と]るを得ざる者、七十万家。相い守ること数年にして、以て一日の勝を争う。而るに爵禄百金を愛んで敵の情を知らざる者は、不仁の至りなり。人の将に非ざるなり。主の佐に非ざるなり。勝の主に非ざるなり。故に明主賢将の動きて人に勝ち、成功の衆に出ずる所以の者は、先知なり。先知なる者は鬼神に取るべからず。事に象るべからず。度に験すべからず。必らず人に取りて敵の情を知る者なり。

二 故に間を用うるに五あり。郷間あり。内間あり。反間あり。死間あり。生間あり。五間倶に起こって其の道を知ること莫し、是れを神紀と謂う。人君の宝なり。
 郷間なる者は其の郷人に因りてこれを用うるなり。
 内間なる者は其の官人に因りてこれを用うるなり。
 反間なる者は其の敵間に因りてこれを用うるなり。
 死間なる者は誑[きょう]事を外に為し、吾が間をしてこれを知って敵に伝えしむるなり。
 生間なる者は反[かえ]り報ずるなり。

三 故に三軍の親は間より親しきは莫く、賞は間より厚きは莫く、事は間より密なるは莫し。聖智に非ざれば間を用うること能わず、仁義に非ざれば間を使うこと能わず、微妙に非ざれば間の実を得ること能わず。微なるかな微なるかな、間を用いざる所なし。間事未だ発せざるに而も先ず聞こゆれば、其の間者と告ぐる所の者と、皆な死す。

四 凡そ軍の撃たんと欲する所、城の攻めんと欲する所、人の殺さんと欲する所は、必らず先ず其の守将・左右・謁者・門者・舎人の姓名を知り、吾が間をして必らず索[もと]めてこれを知らしむ。

五 敵間の来たって我れを間する者、因りてこれを利し、導きてこれを舎せしむ。故に反間得て用うべきなり。是れに因りてこれを知る。故に郷間・内間 得て使うべきなり。是れに因りてこれを知る。故に死間 誑事を為して敵に告げしむべし。是れに因りてこれを知る。故に生間 期の如くならしべし。五間の事は主必らずこれを知る。これを知るは必ず反間に在り。故に反間は厚くせざるべからざるなり。

六 昔、殷の起こるや、伊摯[いし] 夏に在り。周の興こるや、呂牙 殷に在り。故に惟だ明主賢将のみ能く上智を以て間者と為して必らず大功を成す。此れ兵の要にして、三軍の恃みて動く所なり。


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