「私とユーフォ」序章
私がユーフォに真剣に向き合うまでのお話。
実際元から真面目な方ではあったと思いますが、ユーフォに「燃え始めた」のはこの後のお話です。
2021.05.07
この日が入部日だったみたいですね。
ほんとに何も覚えてないのですが、この日は何をしたのでしょうか…(^^;)
2021.06.13
低音パート(ユーフォニアム)配属。この詳細は『ピノ』に載ってます。
2021.06.17
zoom会議にて「ピノ=P(ピスコ)=ピルコ」誕生。この詳細も『ピノ』に書いてます。
2021.07.21
初めてのパート練習@音練
ここで初めて(?)同パートの方々と対面することになります。
まずは2個上の先輩方。この方々は楽器体験やzoom会議で何度か話していたので、すぐに分かりました。初対面でも今でも印象は変わらず、「優しい」この一言に尽きます。
残念ながらこの時は某ss先輩もrn先輩も欠席だったみたいですね…
いつ1個上の先輩方に初めて会ったのかもう覚えてませんが、ss先輩はしばらくちょっと怖かったです。もう慣れましたが、身長高い人苦手だったので…
rn先輩はいつでもかわらず可愛いです。初めて会った時は担当楽器チューバだったのでびっくりしました。こんな可愛い人がチューバ!?へあ!?みたいな。
2021.12.05
定期演奏会2021
えぇ、よく覚えておりますとも。
まずは…
低音アンサンブル。
「さくらのうた」低音フレキシブル編曲。グレード4。
どう見ても初心者向けでは無かったです…
グレード4の文字に内心震えてました。そんなん無理やろ…と。
1st Fg
2nd Eu,Fg
3rd Fg,Tu
4th Tu,Tu,St.B
確かこんな謎編成でやらせてもらいました。
パーテーションが当日奏者間に追加されるというイレギュラーな状況下。隣の音すら聞こえない、誰を基準にすればいいのかすら分からない中でのあの演奏。
先輩方、某プロFg奏者のおかげで耐えられた(耐えてたか…?)みたいな感じでした。
次に…
回生合奏。
「セドナ」と「ハンティンドン・セレブレーション」…やりましたね。
合奏した日数、1日?2日?とかだった気がします…
ほんとに…なんとも言い難いですね。あれは「経験者」たちのおかげで成り立っていたと感じてしまいました。自分たち「初心者」には正直居場所がなかったです。全然吹けてませんでした。
ただ、ネガティブなことばかりではありませんでした。
大学に入ってから初めての合奏。まさか同い年だとは思わなかった「指揮者」。人生で初めて出会った「最推し」という概念。
合奏中、みんなと「音を楽しんでる」という感じがして、ほんとに楽しかったです。
「指揮者」について。
同い年だと思わなかったことは事実ですが、その理由の1つとしては、初めて指揮によって吹きやすさが変わったのを体感したから、というのがあります。
中高で一応吹奏楽部に入っていたものの、(一介の先生なので仕方がないですが)指揮が合奏に合わせていた感が否めず、コンミス(自分)が引っ張らなければ倒れてしまいそう…という感じでした。
そんな中現れたのがTp専攻の例の指揮者でした。
まあブレない。吹き方の目処も立つし指示も的確やしでほんとに吹きやすかったです。
「最推し」について。
さて、これからちょくちょく出てくるであろう「最推し」についてお話をしましょうか。
初めてその音を聴いた瞬間。思わず息を飲みました。「あ、私はこの音が好きなんだ。」と。
(恋愛小説でも書いてる気分です笑)
某Tb同期の音なんですけれども。
伸びやかで、ちゃんと芯があるのに暖かい。そんな音が間近(斜め後ろ)から飛んできました。
ユーフォ初心者で、合奏中も余裕なんかありませんでした。そんな中、後ろから聞こえてきた「音」。
初めて聴いたのは定演前の合奏練習の日だったと思います。たぶん本人と出会った(多分挨拶すらしてない)のもそこが初…?
もちろんその時は名前も知らず、あだ名も知らず。ただただ「この人の音好きだなあ。」と思っていました。
終演後もしばらく会う機会すらなかったので、「音好きな人がいた」ぐらいにしか把握してなかったです。Tbの同回生とか、そのぐらい。
まあこれ以上は止めるところ見当たらないので、最推しについては別noteにまとめようかなと思います。
2022.01.10
1回生レク。
初めての金管アンサンブル
これについては初めて誘われた時、ほんとにびっくりしました。ほぼ喋ったことのなかった某指揮者からのお誘いでした。
当時は「なんで自分が誘われたんだ?」と不思議でしかありませんでしたが、今から思うと「ユーフォ自分しかおらんやん」って感じですね。
ユーフォ要員。それだけで声をかけてもらえたんだと思います…
まあ予想通りではありましたが、大爆死。この一言に尽きます。
自分以外経験者。そんな中唯一の「初心者」。まともに練習時間も無く、個人練習すらままならなかった時期。そんな中での「アンサンブル」。
(今から思えば、コロナ禍だからこそ家で1人でじっくり練習しとけば良かったですね…
何してたんやろ。)
金管10重奏での「文明開化の鐘」。
初っ端からユーフォがメロディーという、当時の私にとっては難易度鬼の曲。
案の定、緊張して上手く息が入りませんでした。自主練で吹いてた時には出来てたと思うんですけどね…
アンサンブルの合わせの段階で既に緊張しまくってボロボロだったのを覚えています。
この時の自分の中での目標は「みんなの足を引っ張らないように…」とかそんな感じでした。
こんなんで「いい演奏」が出来るわけないですよね。
まあ、クヨクヨしている暇はありません。次は同期の中で2グループに分かれて行った合奏です。
ジャパニーズ・グラフィティXVI
嵐メドレー
えー、この曲のユーフォはひたすらに裏メロ要員。美味しいなあぐらいに思っていました。
中盤、アルトサックスソロあるんか。いいなぁ〜。と思っていた矢先…
指揮者:「じゃあここ立ってね」
ピノ:「……私!?」
アルトサックスのソロ裏、実は動いていたユーフォ。本番当日の朝、何度か合わしている中で言われた衝撃の一言でした。
この時も緊張のせいか全然吹けなかったんですけどね…
1回生が終わってしまう…
2500文字程度でまとめられてしまった「1回生時代」。それほどまでにピノとしての1年目は浅かったです。
なんならこの頃のことは1年目だと認めてません。
ピノのユーフォ熱に火がついたのはこの後、2回生の5月辺りからなので。
ああ、全然吹けないな。音も小さいし…。と思っていたらあっという間に終わっていた1年目。
ここまでが「私とユーフォ」序章になります。
この後、葛藤・病み・悔しさなど色々な感情が湧き上がってくるのですが…
その話はまた今度。
ここまでご覧下さりありがとうございました!
また良ければピノとしての人生録、覗いてやってください。