穢れの藤
注意:刀剣乱舞2次創作です。舞台の悲伝を元にしているので、まだ観てない方や、イメージを崩されたくない方は回れ右でお願いします。かつ、みかんばです。
OKな方はどうぞ↓↓↓
これ以上の空虚をこの先経験することはない。
手入れ部屋で傷を癒されながら、山姥切国広は思考する。
三日月宗近と対峙したあの瞬間、確かに血は沸騰し、心は悲鳴をあげていたのに。
今は、何も感じない。
『オレはーー壊れてしまったのだろうか‥‥‥?』
どこか他人事のように感じながら、浅い眠りに落ち、過去に思いを馳せていた。
「しかしこう何度も厚樫山に出陣が重なると、驚きも何もないもんだ」
ふあ〜ぁ
退屈を全身で現し、鶴丸は大きく伸びをする。
それは、小夜左文字が修行の旅に出て間もない頃の話だ。
主は資源の確保と隊のレベリングの為と、幾度も出陣を命令した。
山姥切を隊長とし、五虎隊、鶴丸、薬研の4名編成。
通常部隊は6名だが、山姥切と鶴丸の腕も上がっていることで十分と判断したのが一つ。
更に五虎隊のレベルが伸び悩んでいる事を踏まえて少人数での出陣だ。
「大将もなかなかに豪胆ってやつだな」
指先で落ち葉を遊ばせながら、冗談めかして言う薬研に、鶴丸は両肩に乗せた刀身越しに振り返って笑う。
「ま、俺たちの本丸も大分人数が増えてきたからな。そろそろ五虎隊にも、別部隊の隊長を任せられるように、とか考えてんじゃないか?」
「えぇぇぇぇ〜?!」
最後尾で虎を撫でていた五虎隊だが、いきなり話の真ん中に置かれ目を白黒させ動揺した。
「そそそそんな、僕なんかがーー」
「そう驚くことでもないだろう。お前さんも小夜左文字と同じ頃顕現されたって聞いたぜ?順当にいけば十分務まると俺は思うが」
「ーー待て」
彼の周りを回りながら話す鶴丸を、自身の柄で押しとどめたのは山姥切だった。
「おっと。どうした?」
「様子がおかしい。何かに見られているような・・・」
布の奥から瞳を覗かせ警戒する様に、薬研が名乗りを上げる。
「確かに空気がおかしいな。どれ、俺っちが偵察してくる。五虎隊にも手伝ってもらえると助かるんだが」
「え、えーと・・・ぼ、僕は」
両手を胸の前で組んで俯く彼に、一拍おいて薬研は困ったように笑い首を傾げた。
「そうか、じゃ、ちょっくら行ってくる」
「一人で平気か?」
軽く問うた鶴丸に見た目は幼い彼は大人びた仕草で肩をすくめてみせる。
「雁首揃えちゃ偵察にならないだろ。まだ赤鰯にはなってないつもりだぜ?」
じゃぁな、と草薮に音もなく駆け込んでいった薬研を見送った一行は、報告を受けた数分後、思いもよらない事態に陥ったのだった。
「検非違使だ!!!!」
叫び、五虎隊の前に飛び出したのは同時だったように思う。
「山姥切さん!!」
肩に、熱い痛みが走る。
確かに受け止めた敵の刃は、しかし威力がすさまじく、力で押し負け自身の刀で肩口を食い破る羽目になる。
『ーーー見誤った』
薬研の索敵は正しく、時間遡行軍を待ち構え、魚鱗陣で一気に叩く作戦だった。
実際、うまくいっていたが、右翼から新たな敵勢ーーつまり検非違使が現れたのは大きな誤算だ。
時間遡行軍はほぼ撃退しているが、それでも挟み撃ちのこの状況ーー加えて四人の編成部隊で太刀打ちできるとは思えない。
ギン‼︎
もう片方の獲物で検非違使を払いのけ、山姥切は間髪入れず声を上げた。
「撤退だ!!!!」
頷き誰よりも早く五虎隊の手を引いて先陣を切ったのは薬研だ。
「やれやれ!とんだ出陣になったもんだ・・!!」
ため息をつきながら、どこか愉しげな鶴丸はひょいひょいと敵を撹乱する。
山姥切は後方から追いすがる敵を打ち倒し、かろうじて撤退は成功した。
「はぁぁッ!!」
「はいっ‼︎」
キン!キン!!
奥深い森の中に剣が交える音が響く。
霞がかった空間で白と藍色が湿った空気を切り舞っている。
朝霧で相手の姿が見え辛く、かつ実力も一枚上手とあり山姥切は身を低く保ち気配を追った。
サリ、サリ、と摺り足で短く移動する自分と対照的に、敵は音一つ立てず、しかしいずこかに佇んでいるはず。
『クソッ・・・!』
じりじりと首を真綿で締め付けられる緊張に、飛び出したい衝動を何とか抑える。
『ーー落ち着け、ここで動けば相手の思う壺だ』
音も、視界も頼りにならない中、居合いの構えで目を閉じたまま。
静かに流れた風が頬を撫でる。
すん、と
山姥切は鼻を鳴らした。
『ーー香り』
シュッ!!!!
感じたと同時にそちらへ一閃を繰り出す。
ガキン!と鈍い音が間近で鳴り火花を散らす。
重い一撃と裏腹に柔和な微笑みが眼前に迫っていた。
「おや、見破られたか」
「あまり侮ると後悔するぞーー三日月!!」
ひらり、優雅な仕草で引いた相手は目を細めこちらを見たまま刀を収める。
「なかなかの腕になったな、見事だ」
「心にもない事を」
手合わせを始めてから防戦一方だった不甲斐なさ。素直に称賛は受けられないのが正直な気持ちだ。
ツンとそっぽを向き自らも獲物を収めると、
背後でくすりと笑う気配がした。いたたまれない。
「一つあげるとすれば、やはり力が少し足りぬか。先の出陣でも押し負けて肩に傷を負ったそうではないか」
痛い所を突かれたが、事実なので反論はできない。
「あぁ・・・分かってる。もっと強くならねば」
「何も腕っぷしだけが強さではないぞ?」
「ーーどういうことだ」
振り返り問うてみるが、相手は「いずれ分かる」と微笑むばかり。
追いすがるのはやめ、早々に切り上げる。
彼との付き合いも長くなってきた故に学んだのだーー答える気がない時は絶対に答えない男だと。
小夜左文字が修行に出てからだっただろうか、早朝、唐突に三日月に誘われたのは。
ーー見事な藤があるのだ。共に見に行かんか
そうして、ノコノコついて行った自分の迂闊さが恥ずかしい。思えばただ藤を見に行こうと、彼がそんな事を言い出した時点で疑うべきだったのだ。
辿り着いた先は本丸の外れの森ーー通称「藤の森」というらしいーーに連れ出され、こうして剣の修行に付き合わされているのだから。
『この、人を騙すクソジジイめ』
とはいえ、それ以降山姥切自身は毎日の手合わせに無理矢理付き合わされているわけではない。
2日目から自らこの森に足を運び、三日月と共に刀の修行をし、その後は他愛ない話をし、近侍としての悩みを打ち明けたりもする。
時にはただ黙って甘味を食べたりもした。
今では、この時間が楽しみになってきているのも事実。
「しかしよくこの爺の気配を感じとれたなぁ、山姥切よ」
手ごろな岩を見つけ、腰をかけた三日月は感心したように、うん、うんと頷いてみせる。
あまりにまっすぐに褒められたので、面映く、被っていた布を右手で引き下げ「いや。」と即座に否定した。
「ーー香りがした。清廉な、凛とした香りが」
それで・・・、とバツが悪く彼から離れると背中越しに「そうか」と優しげな声がかけられる。
「そういえば昨夜、焚き染めたのであったなぁ。近侍殿は目だけでなく鼻も効くと見える」
「ッ・・・からかうな!」
「はっはっはっは」
ふいに大きく風が吹き、霧が晴れる。
二人の背後に人が二十人は入れるかという大きな藤棚がその姿を現した。
今は5月。
本来なら美しい花弁を揺らしているであろうその藤は、蕾すらつけてはいない。
「今年もか」
思わず小さく呟けば、山姥切の声を拾った三日月がゆったりと藤を見上げる。
「ーどこの時代かは知れないが。こやつはな、生まれながらに人々の穢れを浴び飲み込んできたらしい」
「聞いている。それを主が引き取ったと」
見事な、野太いツルが幾重にも藤棚に絡みつき、雄々しくたくましい雰囲気を感じさせる。
視線の先には別の杉の木や青空が広がっているだけで、やはり花のない風景は少し寂しく思った。
「もう・・・咲くことはないのか」
俯く山姥切に三日月のそれまで柔らかな声が一変して力強く変貌した。
「なに、また花開くこともあろう!」
励ますようにもたらされたそれに、驚いて顔を上げると、相手は優しげに微笑んでいる。
「毎年、主はこの藤棚の穢れを祓っている。近くに流れる小川は霊山から流れいずるものだ。脈々と伸びたこやつのツルはその川から水分を得た他の樹からも栄養を分け与えられておる」
立ち上がり、滑らかに語りながら手の平で指し示される方向に自然と目線を向けた。
微かに聞こえるせせらぎは耳に心地よい。
「・・そうなら、いいんだが」
また霧が濃くなり始める。
そろそろ戻らねばなるまい。
帰り支度を始めた山姥切に、三日月の声音が微かに触れる。
「この者にとって、必要なものを与え、そして」
ーー不要なものを取り除けば。
それは、もはや語りかけるというよりは、独り言のようでもあった。
本丸へ戻ると畑の側でかがみトマトを検分している薬研に出くわした。
白衣を羽織ったその姿は戦闘服とはまた違った雰囲気を醸し出している。
「畑仕事は昼からだったはずだが」
ずいぶんと真剣な面持ちの彼に声をかけると「あぁ」といつもの軽快な返事が返ってきた。
「朝餉まで時間があったからな。ちょいと様子を見にきただけだ」
「そうか」
「なるほど、今回の畑当番は山姥切と薬研か」
少し遅れてゆるゆると歩いてきた三日月は、彼らの後ろから作物を興味深そうに眺めている。
手元にあるトマトは青く実ってはいるがまだ色付く様子はない。
「肥料が足りないのか?」
誰に問うでもなく独りごちた山姥切に、「どうだろうな」と背筋を伸ばし薬研は腰に手を当てて首を傾げた。
「陽の光が足りてないのか・・・
いやしかし植え替えはリスクが高いな。肥料を変えた方がいいのか・・・」
ブツブツと青トマトの前で座り込み、またもや独り言を呟いていると、
ふいに自分の前に影ができた。
「何事も熱心だなぁ、お主は」
思いがけず近くで覗き込んできた三日月の顔にドキリとする。
その薄青い瞳には名前の通り三日月が浮かんでいた。
「・・あ、当たり前だ。簡単に諦めてたまるか」
慌てて顔を背け、立ち上がる。
ただその美しさに見惚れただけではない。
何か、恐怖にも似た感情が己の胸を騒がせている心持ちだ。
「ま、そのへんは飯を食ってから相談しようぜ。そろそろ食堂に行ってもいい頃合いだろ?」
「あぁ・・・」
「これは楽しみだ。今日の当番は燭台切であったなぁ」
薬研からの誘いが結果的に助け舟に思える。
いそいそと先に進んで行った三日月の背中を見て山姥切は密かに胸を撫で下ろした。
「ーーで」
「?」
「それとは別に、近侍殿に報告しときたい事があるんだけどな」
旨い飯でも食いながら。
そう言って肩に手を置いた相手は苦笑いを浮かべた。
万屋への買い出しはちょっとした人気タスクだ。
時に大幅な量を頼まれ重労働になる事もあるが、町並みを堪能できる上、個人的な買い物も時間内なら構わないとされている。
「あ・・・あの、ボクがご一緒して良かったんでしょうか?あんまり力もないのに」
カラカラと荷台を引く山姥切の後側を押しながら、五虎隊が不安げに俯く。
「気にするなって。今回はそう大荷物でもないし三人いれば大体のもんは運べるだろ?」
「ーーあんたは何を当然のように荷車に乗ってるんだ・・・手伝え!鶴丸国永!!」
「おぉ・・!怒りを買ったぞ?」
振り返り指差せば、当の本人は悪ぶれもせず楽しげにヒョイと地面に降りる始末で。
「年寄りの一人や二人乗せてくれてもいいだろう?」
「何が年寄りだ・・そもそもオレと五虎隊が主に頼まれたというのに」
勝手についてきて勝手に周りに買い出しリストを提出させ、かつ荷台に乗り喋り続けたり居眠りをしたりとやりたい放題だ。
「主に頼まれた。そいつはちょっと違うな。主に申し出たーーだろ?」
横並びに歩きながら密やかに耳打ちした鶴丸に、山姥切は襤褸布の影から静かな視線を向ける。
今朝方、朝食の席で薬研に受けた報告は、到底聞き流せるものではなかった。
『五虎隊のやつ、最近食事は自室で摂ってるようなんだ。そりゃ、たまには一人で食いたい時もあるだろうと最初は気にもとめてなかったんだが』
ズズ・・・、と茶をすすった彼はふっと小さく息をつく。
『どうやら、先日、出陣の命も辞退したいと願い出たらしくてな』
「・・・・・」
万屋に到着し、農具や細々とした生活用品などを見定めながら、山姥切は書物の前でしゃがんでいる五虎隊をそれとなく盗み見た。
主は命に断りを入れた彼のことは内密にしていたようだ。
内庭で式である鳥を回収している主に、切羽詰まった様子で話しかけた五虎隊を薬研が見かけたのは偶然であったらしい。
『このまま、あいつが塞ぎ込んで閉じこもっちまうんじゃねぇかって、ちょっとばかり心配でね』
軽い口調ではあったが薬研を取り巻く空気は重く感じた。
気晴らしになれば・・・、そう思い主に進言し連れ出したのは苦肉の策であったが。
スン、
ふと、どこかで嗅いだ香りがし、山姥切は元を辿る。
見れば品を並べている売り子の女性からだ。
不思議に思い首を傾げていると鶴丸が彼女に話しかけているではないか。
「はい、いつものでございますね」
小柄で、落ち着いた雰囲気の彼女は、紫色の矢絣の着物を揺らしながら奥へと何か取りに行った。
何とはなしに鶴丸に近付いていくと、
「ん?三日月のお使いだ」
と聞いてもいないのに答えてくれる。
「いや・・・別に」
盗み聞きしていたわけじゃない・・・と恥ずかしく思ったが、わざわざ言い訳がましくするのも気が引ける。
頭の布をグイと引っ張ってそれ以上は黙り込んだ。
「文をな、一式買ってこいとさ。最近は暇さえあれば書いてる様子だ」
「文・・・誰にだ?」
「さぁ?そこまでは知らないな。聞いたところで答えると思うか?」
ニヤリと口角を上げて見下ろす彼の言い分に内心で同意する。そういう男だ。
「恋文だったりしてな」
「恋文!?」
目を細めて囁く鶴丸の言葉に思わず大きな声が出てしまう。
慌てて片手で口を塞いだ。
見れば相手は腹を押さえ、あまつさえ声を殺して笑っている。
「ーー冗談を言うな。あの三日月が」
「ッ・・わ、分からないぜ?じじいぶってるが、存外中身は若いかもしれないだろ」
「・・・・」
その言葉にざわ、と違和感がする。
何がといえば胸の辺りだ。
訳が分からなくて、山姥切は自身の心の臓辺りをギュ、と握ってみた。
何かの異常だろうか?この間の出陣の手入れは済んでいるというのに。
「ーー驚きだな」
人の足元で行儀悪く座り込んでいる鶴丸が、顎を手に乗せてのんびりとそう呟いた。
カチ、コチ、カチ、コチ
「・・・・・・」
暗闇の中、もそりと身体を起こす。
時計を見れば丑二つ時。
布団に横たわってから悠に一時間が経過しているのを知り、山姥切は諦めて着替えることにした。
昼間の鶴丸の言葉が気になり眠れない。
万屋の娘の香り。頻繁に文をしたためているという三日月。
『まさか・・・・二人は恋仲なのか?』
妙に気になって、けれどそんな詮索をしている自分に情けなさを感じてしまう。
『近侍として他に考えるべきことは山とある。昨今強さを増す時間遡行軍、戦力の増強のための策、ーー五虎隊のことも』
それであるのに、些末なことに囚われていては・・・
「はぁ・・・」
考えがまとまらない。
無駄に時を浪費するより剣術を磨いた方がよほど生産的だ。
道場に足を運ぼうとして、しかし向きを変える。
今道場に行くわけにはいかない。
あそこはーー
馬小屋から慣れ親しんだ相棒、花柑子を連れ出し、外れの森へと進む。
いつも三日月と早朝修行している場所だ。
いっそ徹夜してそのまま彼と剣を打ち合えばすっきりするかもしれない。
気持ちを切り替えようと進む。が。
「・・・雨」
しと、しと、と目的地まで後一歩という所で小雨が頬を濡らす。
内心溜息をつかざるを得なかった。
この運の悪さも、写し故か
一瞬そんなことまで考えそうになっていると、ブル、と花柑子が何かを訴えるように首を振った。
ハッとして顔を上げる。
もうその言い訳は捨て去ると決めたのではなかったか。
「そうだな・・・、お前の言う通りだ」
勇気づけられその柔らかな立て髪に顔をうずめる。
と、彼は前触れもなく方向転換を始めた。
「え、あ、おい?!」
唐突に速足で進む相棒に目を白黒させていると、何かの音が耳を撫でる。
静かな雨音に混じり、それは川のせせらぎだ。
花柑子から降り、やや急な斜面を滑り降りると、清廉な小川が姿を現した。
『こんな所に・・・』
近付いて水面を見る。
光の加減か、透明なそれに少しの紫がかった色合いが見て取れーー不思議な様相だ。
側には小さな白い花がちらほらと咲いていた。
鳥が羽ばたいているような形にも見える。
その花に縁取られる清廉な流れ。
これほど澄んだ水を見たことがなく、しばらく見惚れていると目の端に見知った影が映った。
薄暗く、距離もあるため、彼の者はこちらに気付いていない様子だ。
『ーーー三日月』
太刀は夜目がききづらい。
思わず木陰に隠れてしまい、自分で何をやっているのかと自問する。
彼は懐から何かを取り出し、眺めているようだ。
目を凝らしてみると。
『文・・・』
先日鶴丸が頼まれていた文だろうか?
表情までは見て取れないが、三日月はずいぶんと長い時間それを見つめている。
「・・・・・」
何とも言えない気持ちになった。
彼からの文か、はたまたあの万屋の女性からの文か知れないが。
こんな誰も来ない場所、時間帯で読み耽っている時点で秘めた何かを感じざるをえない。
最初は馬鹿げた憶測だと思ったが、次第に現実味を帯びてきたような気がした。
「ーー誰だ?」
短く問われ、気配に勘付かれたと悟る。
見つかったものは仕方ない。
そもそも出会ったのは偶然で何も悪いことはしていないはず。
若干の言い訳をしつつ、腹を括って彼の前に姿を現した。
小雨は未だ降り続くものの、雲間の切れ目からふと差し込んだ光が三日月を薄く照らし出した。
「ーーーー」
思わず絶句する。
その表情はーー否、表情と呼べるものはなく。
彼は感情の抜け落ちた、傀儡のような様相を浮かべていた。
「あ‥‥」
知らない誰かを相手にしている心持ちになり、決めたはずの覚悟が揺らぎを見せる。
と、相手はこちらを確認するとしばし瞑目し。
「山姥切」
ふわり
いつもの優しい微笑を浮かべる。
張り詰めていた空気が霧散したような気がし、山姥切はほっと息をついて彼に歩を進めた。
「あんた、こんな所でこんな時間に何をしているんだ」
「はっはっは。何、じじいは朝が早いものだ。それを言うなら山姥切、お主こそよくここを見つけたではないか」
それは花柑子が・・、と説明すると三日月は愉快そうに手を打った。
「あぁーー時折あやつに乗って訪れていたからなぁ。今日は眠そうにしていた故、別の馬にしたのだが」
感慨深げに頷く彼の思惑は知れない。
話しながら何気なく袖の奥に収められる文を見て、気付きながらも山姥切は努めて平静を装った。
『オレが、勘ぐるべき事ではない』
三日月にもプライベートがある。
元々秘密主義な男だ、追求するのは意味のないことに思えた。
「美しい流れであろう」
しゃがみ込み、手袋を外して水の冷たさを楽しんでいるのか彼は素手を浸している。
「あぁ。こんな小川があるとは初めて知った」
本丸の初期刀でありながら、知らない場所があるとは意外に思う。
「この小川は隣の霊山から湧き出たものだ。流れ、流れてーー穢れをも無きものへと還してくれる」
「穢れ・・・」
「うむ、先日お主と話した藤の花も定期的にこの水を撒いていると聞くぞ?
ここは常に主の式達が管理している故、美しく保たれているのだ」
空を仰ぐ三日月に倣い、上を見れば木々の所々に見覚えのある真白い鳥達が佇んでいる。
「・・・」
さらさらと、川の流れる音。
雨を受け取る野花の青い香り。
静かな時間が山姥切を包み込む。
首を直し、ゆらりゆらりと水面で遊ぶ彼の指先を何とはなしに眺めていると。
「三日月」
「何だ?」
「オレはーー近侍として勤めを果たせているだろうか?」
ポロ、と胸に淀んでいた不安が口をついた。
彼は笑みを称えたまま、こちらを静かに見つめている。
「五虎隊の様子が、おかしい。皆と食事をとらず、出陣の命を辞退さえしている」
「・・・」
「買い出しに連れ出したり、折を見て声をかけてみてはいるが・・・今はそっとしておいた方がいいのか・・・」
そう、判断に迷っているのだ。
無理やり連れ出すのは容易い。
だが・・・
「山姥切よ」
「?」
「お主のその優しさは、果たして五虎隊のためになっているか?」
声音は普段のそのもの、しかし空気がピリ、と一瞬張り詰めた気がして身を正す。
「このままあやつが殻に篭り、皆と距離を置くようになれば、先は知れる」
「ーーー」
立ち上がり、真剣な面持ちの三日月から山姥切は思わず口をひき結んだ。
「植え替えはリスクが高い」
「え」
急に何を言われたか分からなかったが、先日青トマトの前で自身が呟いていた内容だと思い当たる。
「確かにそうだ。環境を変えればしおれ、枯れてしまう者もいるやもしれぬ。
だが、陽の光が届かぬのであれば、そこへ導くのも」
「三日月・・・」
「行く末を知る者の務めではないかと、オレは思うのだ」
真っ直ぐな視線に、こちらも同じそれを返す。
意を汲み取った山姥切は、一呼吸おき、ただ頷いた。
「・・・サギソウが咲いているな」
緊張していた空気を緩めるかのように、三日月は足元を見つめ、ふと微笑う。
それに倣い見てみると先ほど少し気になった白い小さな花だと気付く。
「サギソウというのか」
「あぁ、まるで空を舞う鷺の鳥のようだろう?本来は初夏に咲く花の筈だが・・・」
『三日月?』
一瞬憂いを含んだ表情を見せる彼に、何か声をかけようとする。
が、すぐにいつもの笑みに戻っていて。
「お気に入りだ」
ふふ、と含み笑いをする彼に完全に機を逸してしまう。
「戦場を駆ける、どこぞの勇ましい後ろ姿に似ていないか?」
一閃!わずかな隙間を彼は見逃さない。
キン!
済んでのところで弾き返し、山姥切は即座に距離をとる。
「どうした総隊長殿!遠慮は無用だぜ?!」
ニヤと笑う相手にこちらもつられてしまう。
今月の手合わせの組も薬研と。
先月の畑当番から続いている為、自然と話をする機会も増える。
何か、審神者の思惑を感じた。
彼の剣術はとにかく疾い。
短刀であるが故、山姥切より機動が速いのも頷けるがそれを差し引いても。
キン!キキキン!!
身のこなし、死角を計算に入れた攻撃。
何とかそれを上回ろうと踏み込んで突き返そうとする。
が、
「おっと」
「!」
読んでいたのか、するりとかわし軽い反撃を受けてしまった。
「驚いた。まさか見破られるとはな」
「俺っちは目がいい方なのさ。よくないぜ?速さで競おうなんて。相手の得意分野で勝負をするなんざ愚策だろ?」
全くその通りだったので獲物を収め、苦笑する。
「早朝から主人に呼び出されてたそうじゃないか。出陣の命か?」
薬研も身なりを整え、話題を逸らすように明るく尋ねてきた。
「あぁ、出陣だ。五虎隊と」
「なるほどな。主もにくいことを」
「オレが進言した」
手拭いで汗を拭きながら、さらりと言い放った山姥切の言葉に薬研は振り返る。
「・・驚いた。つい先日まで誰も彼もが腫れ物を触る態度だったのにな。隊長殿も」
皮肉か冗談か、ニヤと笑う彼にこちらも口元をわずかに引き上げる。
道場の扉から吹く風は涼やかだ。
襤褸布の隙間にわずかに入り込むそれは、自身の不安を少しだけ和らげてくれる。
「五虎隊は、優しいヤツだ」
隣で共に涼みながら空を見上げる薬研がぽつりと呟く。
「あぁ・・・」
「けどな、見た目と違って根っこは強いんだと俺っちは思うのさ」
ポン、と言い終わらぬうちに背中を叩かれる。
「頼んだぜ、隊長殿」
静かにそよぐ木々の歌の中、薬研は手をヒラヒラと振りながら廊下を歩き去って行った。
この本丸には誰もが使える書庫がある。
決して大きくはないが、歴史の書物、兵法書、小説、娯楽としての俳句集や着物カタログなど種類は様々だ。
主に審神者が調べ物に使用する他は、決まった男子が定期的に借りていくほどで人の出入りは少ない。
夕刻、空が茜色に染まり始める頃、山姥切はそこへ訪れていた。
「あ、山姥切さん」
熱心に書物に目を通していた彼、五虎隊に薄く笑みを返す。
「今日も来ていたんだな」
「はい。やっぱり、山姥切さんはご存知だったんですね」
「一応ここの管理は任されているからな。
貸し出し帳を見れば簡単に分かることだ」
そう言って棚に貼り付けてある書物の種別札を指でなぞる。
ー兵法書・鍛錬書ー
主に戦術やいかに自身を鍛えるかをまとめた物。
五虎隊はずいぶん前からこの棚の借り主としてお得意様だった。
「す、すみません・・・僕ばっかり借りてて、皆さんに迷惑がかかってるんでしょうか?」
声をかけられた理由を、全くの見当違いで返してくる様子に目を丸くする。
その問いには答えず、山姥切は棚を整理するふりをして彼に近くに屈み込んだ。
「毎晩、夜中に道場で訓練しているだろう?」
誰にも気付かれてなかった事実に、今度は五虎隊が目を丸くした。
「えっ・・・す、すみません!弱い僕なんかが勝手に使ってしまって。もしかして煩くて皆さんの睡眠の妨げに」
「オレは、あんたが弱いとは思わん」
キッパリと言い切る。
すると、相手は沈黙してしまった。
「?」
どうしたのかと首を向ければ、
彼は涙を零しているではないか。
「?!おい?」
驚いてより近付けば、ふわりと彼から覚えのある香りが漂う。
あぁ、だが今はそれどころではない。
「どう・・・したんだ」
オロオロとする山姥切に相手は涙を拭いながら嗚咽する。
「す・・・すみませ」
「謝るな。俺は、何か傷つけるような事をしてしまったのだろうか?」
「!違います!あの・・・山姥切さんは、ずっと・・・僕のこと気にかけてくれてたんだなって」
こちらが気落ちすると、慌てて制止した五虎隊が顔を上げた。
気にかける・・自分にとって当たり前の事を感謝され、どうにも府に落ちない。面映くもある。
「それは・・いや、オレは一応近侍であるし、仲間を気遣うのは至極当然であって」
布をグイと引き下げ動揺すると、思いがけず「ふふっ」と小さな声が聞こえた。
金色の瞳にまだ涙を溜めたまま、くすくすと
笑う五虎隊に驚きもしたがひとまず安心する、
「何だ、今泣いたカラスがもう笑うのか」
「あ・・あの、ごめんなさい。バカにしたわけじゃなくて。やっぱり山姥切さんは優しくて、しっかりしてて、理想の近侍さんなんだなぁって」
「ッ・・・買い被りだ」
いたたまれなく、立ち上がって入り口まで移動すると、何とはなしに五虎隊も後をついて来た。
食堂までの道のりを廊下を伝い歩く。
日は傾き始めていて茜色に薄闇が溶け込んでいた。
「・・・何故、主の出陣の命を拒んだ?」
一番問いたかったが、聞けなかった事を切り出してみる。
少し俯いた彼はポツリ、呟いた。
「失敗するのが恐かったんです」
「失敗?」
「はい・・・以前厚樫山で、偵察に加わらなかった事、覚えてますか?」
そういえば、そんな事もあった。
薬研が敵の偵察に向かう際、五虎隊を誘い、彼はそれを渋ったのだ。
「ボク、鶴丸さんに言われた事が恐くって。『主様がボクをいずれ隊長に』って考えてくださるのは嬉しいんですが・・・」
「・・・・」
「ボク、人に指示とか出せる自信ないんです。失敗してボク一人が責任とれるんならまだいいんですけど。でも・・・そうやって考え事して逃げてたら、隊はピンチになって、や、山姥切さんは肩に怪我を負ってしまったし・・・」
「いや、あれはただオレが力負けをして」
廊下で立ち止まり、薄闇に埋もれていく彼を見る。
「ーーー」
他人事に思えなかった。
山姥切も、以前出陣先で判断を誤り仲間を危機に晒した事がある。
誰も彼を責めなかったが、それが却って苦しかったのだ。
「失敗は、必ずする」
慰めの言葉を探していた口は、至極単純な事実を吐き出していた。
「完璧な指示などあり得ない。戦況はその都度変わっていく。敵の出現箇所や時代背景を調べて準備することは可能だろう。だが、それでも不測の事態は発生する」
「そ・・そうですよ・・ね」
項垂れていた五虎隊の首がますます下向いていく。
その声音は最悪の未来に怯えていた。
「だが、決して一人ではない」
わいわいと。
にわかに華やぎ出した食堂の灯りに、山姥切は目を向ける。
と、相手もそれに倣いゆっくりと顔を上げた。
「隊長も、近侍も。結局はただの役割だ。
もちろん覚悟は必要だが。一人で抱え込むのは傲慢というものだ」
「・・・・」
「皆はいつも手を差し伸べてくれる。これまでオレが失敗した時、幾度となく助けられ、それが身に染みて理解できた」
一度目、主から近侍を任された時、誇らしい気持ちと、激しい重圧を身に感じた。
結果を出さなくてはと、無謀な進軍を続け、隊を危機的状況に晒し自己嫌悪に陥った。
大役を降り、二度目。
再び拝命された時は胃の腑が痛むほどの緊張と焦燥感に苛まれた。
とてもではないが自分には無理だ。
そうキッパリと諦めたい心と、
否。自分は国広の第一の傑作なのだという矜持がせめぎ合う。
不安と同居する日々の中、失敗に失敗を重ねてーー
所詮は、写しか
心が折れかけた時、思いがけない言葉をもらった。
『お主は存分に美しい』
三日月にそう言われた時、心の臓が跳ね、体内を巡る血が音を出したような心持ちがした。
失われかけた誇りと希望に、火が灯ったように。
「薬研が言っていた。五虎隊は根っこは強いヤツだと」
「そんな・・・僕なんか、薬研兄さんや小夜さんに比べたら」
小さく縮こまる身体。
元々小柄な彼は、丸めればより一層頼りなく見える。
だが山姥切も知っている。
戦闘となれば高い集中力を発揮し、慎重さゆえに周りをよく見ている観察力の高さを。
ふわり
震える五虎隊の頭の上に掌を乗せ、撫でてみる。
見た目通り柔らかい白銀の髪は、癖っ毛も相まって気持ちいいさわり心地だ。
「失敗してもいい」
静かに伝えると相手は驚いたように目を見開いてこちらを仰ぎ見た。
「自分を信じられないなら、尊敬する誰かの言葉は信じられないか」
「山姥切さん・・・」
「憧れるその者の言葉ならーー信じてみようと思えないか」
見上げる五虎隊の表情がにわかに和らぐ。
未だ緊張を孕んだその笑みは、しかし何かの決意を表していた。
「じゃぁ、僕は山姥切さんを信じます」
まっすぐそう言われて、戸惑いと共に胸が熱くなる。
「あ、いや、オレよりも薬研とか・・・他にもいるだろう」
手を離し顔を背けると、またくすりと笑われる。
「もちろん薬研兄さんは尊敬してますけど、このことに関しては山姥切さんです。だっていつもみんなを見守ってくれる、強くて優しい近侍さんですし・・・」
「ッ・・・好きにしろ」
「す、すみません!気に障りましたか?」
何だかいたたまれなくて、食堂へ大股で歩を進める。
慌ててトテトテと付いてくる五虎隊に、気になっていたことを切り出した。
「ーー時に、つかぬことを聞くが」
「はい」
「その、五虎隊はいつから香を嗜むようになったんだ?」
先ほど頭を撫でた時にもした、覚えのある香。
三条組ならいざしらず、藤四郎兄弟にそんな趣向はなかったはず。
キョトンとした表情の彼は、すぐに思い出したようで「あぁ、これは」と笑顔を浮かべた。
「三日月さんから頂いたんです。気分転換にと」
「ーーやはり」
そうか、と自分でも思った以上に暗い声が喉をついた。
万屋の娘から香ったものと同じ。
それを三日月は常日頃から持ち歩き、自身の装束にも焚きしめていたのは記憶に新しい。
恋仲か、まだそうではないが恋を育んでいるのかーー定かでなないが身につけている時点で想いの強さが測れるというもの。
だが山姥切の下降していく気持ちとは裏腹に、相手は意外な言葉を言い放っていた。
「あの万屋の新商品で『太陽』をイメージした香なんだそうですよ」
「・・・は?」
思わずおかしな声が出た。
「爽やかで優しくていい香りですねって三日月さんに言ったらそうだろう?ってくださったんです。我らが近侍殿のようだろう?と仰って。
清涼な香りだから気も晴れるだろうと」
「・・・・そうか、なるほど」
なるほどと言ってみたが、実は理解できてい ない。
つまり、あの万屋の娘からした香は、ただ商品を扱っていたからであって、彼女の個人的なものではなかったというわけだ。
それを三日月が買い同じ香りになるのは至極当然であって。
『・・・』
何故か安堵感が身を襲い、同時にふつふつと体温が上がってきたように感じる。
だが湧き上がった疑問を言葉になどできなかった。
何故山姥切をイメージする香を買い、尚且つ身に纏ったりしているのか?
『五虎隊の聞き間違いかもしれない、そもそも近侍といってもオレではないかもしれない、以前は長谷部も近侍だった・・・いやそれはそれで不可思議だが』
頬が熱い、心の臓が早鐘を打つ。
じわ、と変な汗が滲み出て呼吸が浅くなってくる。
おこがましい、そんな訳がない、確かに彼とは一緒にいる時間は長いがそれはただ仲間として、年長者として見守ってくれているだけで。
「あの・・・山姥切さん?」
「!」
声をかけられ我にかえる。
気付けば五虎隊が障子を開け、食堂に集まった面々が一様にこちらを注目しているではないか。
賑やかで明るい空間が眼前に広がり、茫然としていると。
「おっ!お二人さんここ空いてるぜ?」
奥から薬研がひらひらと手を振っているのが見え、その横には。
「ーーー」
今頭の中を占めていた、三日月がみそ汁を静かに啜っている。
「・・・・すまない、今日は自室で頂くことにする」
「え?」
山姥切は反射的に背を向け、またも大股で歩き出した。
「え?え?や、山姥切さん?!」
背中から幾人かの声が聞こえたが、とてもではないが振り向けない。
布を深く引き下げて、首元まで染まる朱をひた隠して、半ば走るようにその場から立ち去った。
もう引き返せない。
否が応にも自覚してしまったのだ。
『オレは──三日月に懸想してる』
今、きっとみっともない顔をしている、皆にそれを見られたくはない。
醜い、勝手に詮索し想像して、違っていたと歓喜しているのか自分は。
それ以上に救えないのは、あまりに不相応な期待をしている事だ。
三日月にーー幾ばくかの好意を寄せられているのではないか?と。
「いやぁ、山姥切と出撃するといつも何かあるんだが、今回も驚かせてくれたなぁ!」
ガキ!!
暗闇から唐突に浮かび上がった時間遡行軍の一撃を受け止めて鶴丸が大笑いする。
時は幕末
池田屋市中
舞台の面子は、山姥切、五虎隊、薬研、鶴丸、そして三日月
『・・・くそッ!!何故こんな事態に!!』
口唇を噛み、山姥切は太刀である二人を庇うように戦っていた。
狭い長屋脇の道から不規則に現れる敵の短刀に翻弄されながら、部隊は一進一退を繰り返している。
こんなはずではなかった。
そもそも夜戦の池田屋と知っていれば、短刀と脇差で隊を組んでいたのだ。
そう、元々は厚樫山に転送されるはずが、何を間違ったかこんな時代へ飛ばされて。
否ーー分かっている。
これは主からの試練なのだと。
「ふむ、我らが主は心配性な割にすぱるた、というやつだなぁ」
はっはっはっとこちらも笑う三日月に頭痛がしてくる。
「悠長なことを言っている場合か!くそじじい!!」
起動が高い自分でも二人を守りながらの戦いはきつい。
薬研のサポートを受けながら何とか凌げている状況だ。
「隊長さんよ、分かってるとは思うがこれじゃ長くはもたないぜ?爺さん方は実質目隠し状態で戦ってるようなもんだ」
「あぁ」と低く返事をし、背後と前方を見据える。鶴丸も三日月も、楽しげに笑ってはいるが少しづつ攻撃を受け、中傷だ。
少なくとも背後は敵だらけで撤退は難しい。
「山姥切さん!左!!」
矢先、五虎隊の声
観察している一瞬の隙、突如ビュ、と風が吹き抜ける。
誰かの肩がぶつかって、押し退けられたと自覚した時には遅かった。
「ーー!?三日月!!」
槍だ。
恐ろしく速い槍が敵から繰り出され、気付かぬ間に三日月の脇腹を掠めていた。
『庇われたのか?オレは』
膝をつく彼に駆け寄って傷口を確かめる。
浅いが、出血がひどい。
「す、すまない。本来オレがあんたらを守るべきなのに」
苦悶の表情で詫びれば「何の」といつもの微笑で返された。
「隊長殿の思案の時間を稼ぐのも我らの役目だ。・・・して、妙案は浮かんだか?」
「ーーー」
信頼と、僅かな焚き付けを含んだ色の瞳。
ドク、と緊張か何かの電流が身の内を走り、山姥切は振り返った。
「五虎隊」
「はっはい!!」
「俺たちはこれからこの長屋路を突破する。
後方に周り、三日月と鶴丸にーー指示を出してくれないか」
「えっ・・・」
思いもよらない提案だったのか、彼は頬を硬らせる。
それは周囲も同じだったらしく、一様に山姥切に視線が集まった。
が。
「それは良い。先ほどもお主の声で槍使いの遡行軍に気付けたのだ。頼めるか?」
「こいつぁ驚きの作戦だが・・・悪くないんじゃないか?君は前々から敵の動きには聡いよな」
三日月、鶴丸も納得した様子で前方右側、左側へ陣取った。
五虎隊が戸惑っている隙にも、敵の攻撃は続いていく。
それらを必死に払い除けながら、彼はぶるぶると首を振った。
「無・・無理です!ぼ、僕なんかが指示なんて」
半泣きで震える小さな身体を、しかし薬研が彼の肩を支えニヤと笑みを向ける。
「さっきの索敵は俺っちも気付かなかった。
自信を持っていいんじゃねぇか?」
「え・・ぁ・・・」
「先陣はオレが切る。頼んだぜ五虎隊!見事爺さん方の目となってやれ!」
バン!
言うが早いか大きく背中を叩き、薬研は背を低くして敵陣へと突っ込んでいった。
反動で前へ押し出された五虎隊は、よろけながらも視線を前方へ向ける。
「いいか、広く見ろ」
彼の目線に合わせて屈んだ山姥切は、耳元で囁いた。
「一点ではない。全体を見て、予測し、指示を出せ。指示は明確に短く。味方が危なくなり、この場を動きたくなってもギリギリまで動いてはダメだ」
「は、はい・・・」
「討ちもらしはオレが引き受ける」
お前を信じる
そう言って肩に手を乗せると、彼の表情が一変した。
「鶴丸さん!申の方向!!」
「よしきた!!」
「三日月さん!!卯方向から2体!!」
「ハイ!!」
ガキ!ガキン!!
月夜に照らされ、時間遡行軍の亡骸が宙を舞う。
猛スピードで駆ける薬研に前方からの敵は撃破され、五虎隊の的確な指示の元、太刀二振りで奇襲に対応。
捉える事ができれば、元々打撃の高い彼らの敵ではなかった。
「薬研兄さん戻って!疾すぎる!」
「おっと」
やはり、全体を細かく見る能力に長けている。
思わずスピードを上げすぎた薬研を呼び戻した五虎隊を見て内心そう評した。
「斬る!!」
機動の早い敵短刀は時折鶴丸達の攻撃を避けてきたが、山姥切は隊の周囲をクルクルと回りこれを撃破。
「ーーげに美しきサギ草よ」
「ッ・・・」
塵と化す遡行軍を瞳に写しながら、三日月が
歌うように囁く。
運悪く、というべきか丁度彼の近くで戦っていた為つい振り返ってしまった。
気付かないふりをすれば良かった。
自らの血で頬を濡らしながらも、慈しみの表情でこちらをみる様子に戸惑っても遅い。
唄う本人の方が余程美しく思えるのに。
『言うなッ・・そんな世迷言』
言葉にできず布を深く引き下げ動揺を隠した。
「山姥切!!」
と、いつの間にか長屋路を抜け、開けた場所に立っていた。
それと同時に鶴丸の声で目の前に大きな影が現れた事に気付く。
「グゥぅ・・・ゥ」
唸り声と、鈍く光る双眸。
ーー大太刀!
ゾワ、と背筋が凍り、慌てて戦闘の態勢を戻した。
自分の倍以上はあるだろう体躯から金棒のような獲物が振り下ろされる。
風圧と共に明確な殺意が迫る。
思わずまともに受け止めようとして、
『山姥切よ』
「ーーー」
脳裏に三日月の声が響いた気がした。
一秒にも満たない、短い時間の筈なのにやけに遅く、スローモーションにも見える。
ふっ、と短く息を吐き山姥切は刀身をずらす。
ギャリギャリギャリ・・!!
火花を散らし、相手の武器の軌道を曲げると自らの勢いに呑まれた大太刀はバランスを崩した。
「薬研!!」
「応!!」
状況をいち早く把握していた薬研がすぐさまその隙に飛び込んだ。
敵も対応しようと一撃を繰り出してくるが。
「はぁぁぁぁ!!!」
闇雲に振った剣は空を切り、暗闇も相まって掠りもしない。
ズン、と短い刀身が深く、相手の首筋に突き刺さっていた。
「・・・柄まで通ったぞ」
月明かりに照らされて、巨体が塵と崩れ落ちる。
怪しげな光を孕みながらハラハラと空へ登っていくそれを眺め、山姥切は息を吐いた。
「やるじゃないか御両人。こいつぁ誉をもらってもいい位だな!」
白い着物をまだらに紅く染め、ぱちぱちと拍手喝采。
明るく笑う鶴丸に場の空気は緩み一同は苦笑する。
「いや、今回の功労者は五虎隊だ。そうだろ?」
「えっいえっそんな・・・」
剣を振って汚れを払いながら、薬研が口角を上げると言われた本人はすぐさま謙遜する。
「ふふ、先程の俺達への指示、見事であったぞ。ーーして山姥切よ、危機は脱したわけだが」
暗に次の一手を待つ三日月の言葉に、山姥切は身を正し、周囲を見渡した。
この面子でよくここまで来れたものだ。
勝利を収めた事で隊の士気も上がり、お互いの信頼関係も構築されている。
薬研も、鶴丸も、次の敵を欲しているかのように瞳をぎらつかせた様子だ。
「・・・・・」
息を整え、瞑目し。
再び目を開き、口を開く。
「部隊長として命ずる。オレ達第一部隊は」
馬当番は内番の中でも群を抜いて不人気タスクだ。
大きな馬小屋の掃除は重労働で、藁は軽いが質量があり運び込むのは意外に難しい。
何より糞の除去は楽しいものではないからだ。
「はぁ〜ぁ。まさかあそこで撤退の命が下るとは驚きだぜ」
「いつの話をしてるんだ」
ザクザクと無心で馬のボロを道具で掻き取りながら、山姥切は相手に背中を向けたまま呟いた。それにしても量がすごい。
対する鶴丸は楽する気満々なのか、馬の背中を櫛で梳かしてばかりいる。
「あそこは『出陣だぁ!オレに着いてこい!!』くらい言ってもいいノリだったんじゃないか?」
「ノリで出撃はしない」
夏も過ぎたせいか早朝は肌寒い。
にもかかわらず長時間掃除をしていたせいか、汗が吹き出してきた。
当然のようにサボる相方にイライラして額を拭う。
「あんたも薬研もあの時冷静じゃなかった。うまくいっていたとはいえ、夜戦で中傷の太刀二人を連れての進軍は懸命ではない」
「お?手厳しいじゃないか」
「ただの事実だ。オレとて苦手な状況はある。ーーそもそも、あの出陣は五虎隊に自信をつけさせるのが目的だった。その点は達成したといえる」
「ふぅん?そいつぁ三日月の入れ知恵かい?」
気軽な声音だ。
しかし不穏な空気を感じて振り返る。
馬の口元をふわふわと指でいじって遊びながら、鶴丸は秘密ごとを囁くように続けた。
「三日月も酷なもんだ。キミの心配ばかりするくせ、その実踏み込む事は許さないときてる」
「・・・、な、んの話だ」
唐突に。
熱かった身体に冷や水を浴びせられた気がした。
固まっているこちらに、向き直った男は不敵な笑みで首を傾げる。
「あの爺さんに遠慮なんかしてたら、こっちが損だって話だ」
近くに立てかけていたクマデをひょいと回して掴み、「さて」と空気を吹き飛ばすように大きな声が響いた。
「休憩にしようぜ?根を詰めるのもよくないだろ」
「あんたは詰めるほど働いていなかったように思うがな」
「はは」
もう昼も過ぎる。
時の経つ早さに幾らかの焦りを感じつつ、二人は昼食前の入浴に向かうのだった。
その晩の事は、今でも鮮明に覚えている。
夕餉も終え、毎夜宴会騒ぎをする刀剣達でさえ潰れる時間。
山姥切は提灯を片手に本丸の周囲を巡回していた。
倉庫、馬小屋、短刀達が寝静まったのも確認した。
後は裏口を確認して主に報告すれば完了だ。
『・・・新月か』
やけに暗いと思えば空には月の姿がなく、見えるのは星々の輝きだけ。
近くにある池からパシャッと鯉が跳ねる音がしたが、それすら影しか見えないほどだ。
明る過ぎるのも苦手だが、こうも闇が深いとよくない気持ちになりそうで。
『心とは、面倒だな』
刀であった頃はこんな事は考えなかったように思う。
ただ人々の声、姿を感じ、賛辞も、揶揄する言葉も通り過ぎていただけのように思う。
否ーーどうだったか・・・あまりに遠い記憶で思い出せはしない。
「山姥切?」
出口の見えない思考を巡らせていると、馴染みのある声音がした。
砂利を踏む音と共に現れたのは。
「三日月」
ほっ・・と、ただ彼が現れただけで胸を撫で下ろす自分に戸惑って俯く。
「見廻りか?こんな時間まで感心だな」
「別に・・・これ位普通だ。あんたこそ何をしている」
「うん?ーあぁ、ふふ」
質問には答えず、小さく笑った相手は空を見上げた。
風がサラサラと流れる。
側でたゆたう木々の揺れる音。
手元にある小さな灯でうっすら浮かぶ彼の横顔をぼんやりと見つめる。
深い闇に、ただ輪郭を見てとれる程度だが。
それでも変わらず美しい、
変わらず静かで、悲しげな。
『ーーダメ、だ』
とく、とくと心の臓がにわかにざわめき出す。
普段任務の話をしたり、共に修行をしていればこんな気持ちにはならないのに。
ふと訪れる沈黙が、山姥切の秘めた想いを浮き彫りにしてしまう。
「さ、最近の出陣は妙な事ばかりだな」
黙っているからいけない。
苦肉の策で出た話題はやはり仕事の話だった。
「遡行軍の強さは日に日に増している風に感じる。オレ達の練度が上がっているにも関わらず、だ。それに、季節がズレている事も気にかかる。降るはずのない雪、花」
「・・・・」
「三日月はどう考える?」
まだ火照っている頬を隠す為、池を見つめるふりをしながら問いかける。
が、まくしたてるこちらとは裏腹に、彼はのんびりとした様子を崩さなかった。
「さてなぁ。主も気にはなって調べているようだが・・・」
「そうか・・」
「なに、太古の頃より、狂い咲きの花はあるものだ。何事も多少の異変はつきものなのだろう」
予想外の季節も楽しいものだぞ?
そう言って笑う三日月に、
『・・?』
得体の知れない不安を感じる。
「三日月」
「ん?何だ?」
「・・・疲れているのか?」
それが何からくる気持ちなのか分からないまま、山姥切はただ本能的に三日月へ近付いた。
「永禄の変」
しかし、遮るかのように彼から鋭い声音が響いた。
反射的に足を止め、知らず背筋が伸びる。
「明日、その時代へ出陣の命が下った」
「あ、あぁ。聞き及んでいる。確か、あんたの元の持ち主ーー足利義輝の」
最期の時
そう言葉にするのは流石に憚られた。
当時の二条御所、その地の利を知る三日月に声がかかったのはある意味理解できる。
だが心情的に酷な人選でもあった。
『主は・・・合理主義な面もあるからな』
織田信長の本能寺の変でも、部隊編成の名に目を疑ったものだが。
山姥切の心配が滲む表情を察したのか、三日月はふわりと微笑んだ。
「早朝に出発だ。じじいは朝が早いとはいえそろそろ床に入らねばな」
「・・・・」
含み笑いする彼に、またはぐらかされているという自覚はあった。
口唇をキュ、と結ぶ。
悔しさが、苦みを帯びた悲しみが胸を巣食う。
『遠い』
側にいるのに、時折遥か遠く彼を感じる時がある。今もそうだ。
いつも何かを隠されている。護られている。
それは、山姥切がまだ完全に三日月に認められていないという事実に他ならない。
「ーーなら、帰ってきたら美味い酒でも用意しておく」
真っ黒な池の水面を凝視しながら、喉の奥から低く言葉を絞り出した。
月も映らない、底も見えない。
それでも何とか先が見えるようにと、目を凝らす。
‘あの爺さんに遠慮なんかしてたら、こっちが損だって話だ‘
鶴丸の言葉が脳裏に浮かぶ。
「誉をとる位の意気込みで行ってくるといい。永禄の変の時間遡行軍はこれまでにない規模と聞く」
「山姥切・・・」
「だがこちらも精鋭ぞろいだ。あんたが隊長なら、尚更簡単な任務だろう?」
顔を上げ、提灯を相手に掲げる。
強い瞳で見据えれば、三日月は少し驚いた様子を見せていた。
「早く帰ってこないと、オレの練度があんたを大きく超えてしまうかもしれないな。そうしたら、酒はお預けとしよう」
冗談めかして口角を上げる。
精一杯の激励だ。
「山姥切」
瞑目し、何故か哀しげに眉を寄せて微笑う三日月は繰り返し呼んだ。
「山姥切。お主は・・・オレの帰りを待ってくれるのだな」
「ーー!」
『馬鹿にするな・・・!』
当然のことを感慨深く呟かれて、逆にカッと頭が怒りで沸騰する。
止まっていた足を踏み出して詰め寄ったのはもう衝動でしかなかった。
「当たり前だ!!あんたには聞きたいことも、言いたいことも、山とあるー」
瞬間
ゆらりと藍色の狩衣が山姥切を包む。
あの香りが鼻腔を刺激する。
揺れる提灯の火
灯りまでも揺れ、互いの顔を垣間見た。
「───」
真摯な表情
いつもの優しげな、どこか達観した見慣れた彼の微笑がそこにない。
常より若く見えるその様相に鳥肌がたつ。
シュル、と練絹独特の艶やかな感触が肌に触れた。
「三日‥」
柔らかに抱き寄せられたと気付いたのは、すっかり彼の胸におさまった後だ。
冷たい
長時間見回りをしていた山姥切よりも、氷の如く冷えきった身体。
『あんた、どれだけ1人で歩いていたんだ』
困惑して顔を上げようとすると、
「んく!」
今度は後頭部と腰を引き寄せ、三日月は山姥切を強い、強い力で抱きしめた。
息ができない。
一気に頬が赤みを帯びる。
体温が上がって、眩暈までする。
『や‥やめてくれ‥』
苦しい
拘束に近い抱擁に心臓がもたない。
恋い慕う気持ちが溢れ出てしまう。
想い人に抱き込まれて、平静を保てるほど自分は豪胆ではない。
「は‥放し‥」
耐えられなくて身じろぎすると、相手は解放するどころか、よりきつく力を込めそれを許してくれなかった。
「このままでいておくれ」
「‥‥っ」
耳元で囁かれ、ビクッと勝手に肩が震える。
それだけで、一言だけで動けなくなる自分はどうかしているのか。
「心は‥まこと、ままならんなぁ‥‥」
悩ましげな嘆息が聞こえ、頭を固定していた右腕は。指は。
布の隙間に滑り込み、山姥切の頬を捕らえた。
すり、と指先で形を確かめるようになぞる動きに胸が熱くなる。
力が入らない、立っているのがやっとで。
右手でかろうじて繋いでいる提灯を取り落としてしまいそうだ。
「三日‥月?」
銘の通り、彼の水色の瞳に月が見える。
笑みの消えた相手に硬直したまま、抵抗しようという気はついぞ起きなかった。
『ぁ・・・』
そっと
口唇を指の腹でなぞった後、首筋を固定される。
「山姥・・・切・・・」
陶酔した様子で三日月の顔がこちらへ近付く。
口づけられるのだと反射的にぎゅ、と目を閉じた。
が
「・・・・・・」
数秒後、実際には彼の口唇は山姥切の肩口に埋められていた。
ふぅーー・・・
三日月の重い嘆息が漏れ出るのを聞く。
その様があまりに苦しげで、心配になり顔を見ようとするも。
またきつく抱擁し、動きを封じられる。
「三日月・・・三日月。あんた、一体どうしたんだ」
「・・・ 」
せめてと左腕で彼を抱き返すと、うずめた顔をずらす気配がした。
『ッーーー』
首筋に、冷たい口唇が触れる。
偶然なのか、意図的なのか、考える余裕はなかった。
そのまま、深く、深く押し当てられたそれに、
ガシャン!!
ついに耐えられなくなり、山姥切は提灯を取り落としてしまった。
「おぉ・・・危ないぞ?」
するりと腕を緩めた三日月は、放心している山姥切を炎から遠ざける。
「あ、あんた・・・ッ何するっ・・・」
「はて。何、とは」
涼しい声で笑みを結ぶ彼はよく知る様だ。
だが、地面で跳ね、メラメラと燃える焔に映し出される表情は、見た事のない妖しさを孕んでいた。
『・・・あ、熱い・・・何、何で、こんな・・・』
首筋が灼けるほどだ。
冷えた口唇が触れたはずなのに、傷でも付けられたみたいで。
真っ赤になって目を閉じる。
その場所を手で押さえるが、じくじくと上がっていく体温を制御できない。
「山姥切」
「っ何だ!!」
気持ちを鎮めようと四苦八苦しているのに、構わず呼ばれて叫びに近い声で返す。
「すまんな。あまりにお主が温かい故、つい湯たんぽ代わりにしてしまった」
「・・・、は・・・?」
「今宵は冷えるなぁ。そろそろ部屋に戻って暖を取らねばな」
素知らぬ態度でくるりと背を向けた相手に唖然とする。
からかわれたのか、こちらは意識をし過ぎて目が回っているというのに。
「ッ・・・クソジジイ!オレをモノ扱いするな!!」
「はっはっは。何を言う、我らはそもそもモノではないか」
背中越しに笑う三日月はかすかにこちらを振り返った。
ふっ・・・と燃えていた提灯が火種を失い消え失せる。
「山姥切よ」
「?何だ」
すっかり暗闇に閉ざされた中で、声だけが頼りで耳を澄ます。
彼の息遣いから、ふぅ、と一呼吸あけている様子が聞き取れた。
「秋が深まれば、紅葉を集めよう」
「・・・え?」
「冬が来れば、雪うさぎを作ろう
春が来れば、桜を愛でよう」
楽しげな未来を語りながら、その声音は重い。
「きっと、とても心躍るであろうなぁ」
「三日・・・」
「あぁ、いかん。見回りの途中であったな」
引き留めようとした動きは、柔らかに制された。
「主が待っているだろう。では、またな」
「・・・あ、あぁ」
闇の中に溶けていく背中を見送って、言い知れぬ不安を抱えたまま。
ただ、審神者の部屋へ歩を進めるしかなかった。
これ以上の空虚をこの先経験することはない。
過去へ記憶を飛ばしていた山姥切は、ゆっくりと目を開ける。
手入れは終了したらしく、指先を動かしてみると何の問題もなかった。
ひきつれた背中の傷も、血が止まらなかった腹の傷も、元々存在しなかったように。
『・・・手入れなど・・・しなくても良かった』
そうすれば、少なくとも三日月が遺した傷が彼の存在した証となる。
沢山の事を教わった。
沢山の情を彼からもらった。
山姥切が落ち込んでいれば声をかけ、菓子や酒、時には偶然を装って傍で茶を飲んでくれた。
『なのに‥‥』
自分は、結局何も返せなかった
せめて、日々精進し立派な近侍になる事が、三日月への恩返しになると思っていたのだ。
だが実際は彼は人知れず苦しみ、その内を誰に零すことなく消失した。
これで何が皆をまとめるべき近侍だろう?
紆余曲折したこの本丸での歴史も、強くあろうと修行し戦った事も、
『何の意味もなかったのかもしれない‥‥』
スーー
緩慢な動きで身体を起こし、障子を開けて部屋から出ると、
「よっ」
渡り廊下の柱に寄りかかったまま、鶴丸が明るい声で片手を上げた。
気安い表情だが血に染まったボロボロの姿に、流石に動揺する。
「あ・・・んた、手入れはまだなのか」
「ん?あぁ。そりゃより重症の者から治すのは当たり前だろう。太刀は時間もかかるしなぁ。何だ?目覚めの頭には驚きが過ぎたか?」
両手を広げておどける相手にため息をつく。
「すまない、オレは終わったからすぐに手入れを受けてくれ」
「もちろんそうさせてもらうさ。あー、そうだ山姥切」
「何だ?」
「主から伝言だ。手入れが終わったらすぐ執務室に来るように、だとさ」
それだけをさらりと伝え、山姥切とすれ違った鶴丸はそのまま手入れ部屋へと消えていった。
審神者の部屋は奥まった箇所にある。
本丸は数多。
それぞれ趣向により広い執務室を持つ者もいれば、最新の機器を揃える者もいる。
だが必要最低限、飾りを好まないここの主は、ともすれば刀剣達の個室並みの狭い部屋を構えていた。
刀達の記憶を重んじてか、遠い昔の日本独特の生活様式に倣ってはいるが。
無駄を嫌い、野心もあり、合理主義。
それでいて刀達に愛情を注いでいるようにも思う。
『矛盾ーー』
人間は矛盾だらけだ。
かく言う自分も、襤褸布で身を隠していながら、周囲に認めてもらおうとする歪を持つ。
御簾の向こう側で何やら書籍に目を通しているのか、蝋燭の灯が揺らめいていた。
辺りは薄暗い。
一つだけ空いている木窓から空を見ると、山の向こうがほの紅い。
どうやら早朝のようだ。
目を覚まし、廊下を歩くここまでの距離。
自らが足元しか見ていなかったことに気付く。
「・・・主。要件は」
一向に言葉を発さない相手に、山姥切は掠れた声で投げかけた。
問いはしたが、そこに思考も感情もなかった。
淀んだ瞳で、座したまま畳を眺める。
おそらく、近侍を外されるか、厳罰を受けるか。
皆が三日月を捕縛しようと彼を取り囲んだ時、自分は何度もそれを阻んだのだ。
政府から裏切り行為だと見なされても仕方ない。
拘束、監禁、追放、はたまた刀解という可能性も脳裏をよぎった。
『覚悟はできている・・・』
否ーー
覚悟などと、立派なものではないのかもしれない。
何故なら、
『・・・もう、何も感じないんだ・・・』
何かを考え、何かを成さなければいけないと。
頭ではわかっているのに。
指一本動かない。
思考は白く、心は冷え、魂の在処さえ見失ったようだ。
きっと、昔のようには戻れないと、それだけは確信があった。
チ・・チチチ・・・
窓枠の隅で小鳥がさえずっている。
主の式神だ。
聞こえはしたが首を上げる気も起こらず、ただ目を閉じその場で黙していると。
スゥ、と御簾から伸びた手が数枚の和紙、紙束を山姥切へと差し出した。
事態が動かないので、仕方なく重い瞼を開け視線をやると。
一つは綺麗に折りたたまれた文
他は汚れ、破れた箇所もあるボロボロの紙だ。
「‥‥?」
意味が分からず、しばらくの間沈黙が流れたが。
主に促され、無理矢理に身体を動かす。
汚れのない、無事な方の文を開くと。
ひらり、何かが手の平に落ちた。
「────」
審神者がポツリ、ポツリと説明する。
短い言葉で、務めて感情を乗せず。
胸に突き上げる何かがある。
次の瞬間、紙束を掻き集め胸に抱え、山姥切は弾かれたように馬小屋に走っていた。
一通は、文字はなかった。
ただ、数枚の花弁が舞い落ちた。
ガカッガカッガカッガカッ!!
花柑子に乗り、山道を駆ける。
毎朝あの場所で刀を交えた。
菓子を共に食べ、休憩する時間が本当は一等楽しかった。
他愛いのないこと、楽しかったこと、悲しかったことを彼に話して聞かせた。
到着し、馬が止まるのも待てずに飛び降りる。
言いようのない衝動に前のめりになり、案の定その場に転んでしまった。
ザアァァァーー
強い、強い風が吹く。
浅くなっていた息に、ふわりと香りが忍び込む。
山姥切はうつ伏せた身体を持ち上げ、頭上に広がる光景を目の当たりにした。
『なに、また花開くこともあろう!』
一面に咲き誇る藤の花
大木にたゆたう紫色の無数の花弁が揺れ風に乗って香りを散らす。
この森の空気をも浄化するかの如く。
幾年も、それこそ永遠に咲くことはないのかもしれないと言われていた、あの藤棚だ。
山姥切は口唇を噛み締め、右手に握り込んでいた花弁を見る。
藤の花びら
差出人は書かれていなかった。
誰に宛てていたかさえ。
けれど、明白ではないか。
審神者は説明した。
この文は、三日月に託されたと。
山姥切に渡せば聡いあやつは分かってくれると。
だが、他の文は自分が独自に拾い上げたらしい。
あの、穢れを浄化すると言われる小川から。
三日月は時折そこへしたためた文を流していたのだという。
そのままにすれば滝壺に飲まれ、彼の望み通り消え失せる運命だっただろう。
実際主の式が運んできたもの以外は失われたのだ。
これは三日月の消し去った密かな本音。
審神者は、今日になるまでこの文を渡すかどうかは思案し続けた、そう静かに締めくくった。
地面に四つん這いになったまま、山姥切は土まみれになるのも構わず、破れシワだらけになった和紙にかじりつく。
それは、文というよりは日記だった。
(書籍を抱えて廊下を走る様を見た。
本日も近侍殿は多忙のようだ。)
(朝に鍛錬、昼に皆を見廻り、夜には兵法書などを読み耽る。
感心であるが、気を張りすぎているな。
どれ、ひとつ茶にでも誘ってみよう)
「‥‥‥‥」
いずれも山姥切を見守る彼の記録、記憶──
感じていた三日月からの優しげな視線がまざまざと蘇る。
(燭台切と和菓子を作ったのだそうだ。
そういえば厨当番は彼らであった。
桜に、紅葉に兎の形
ただ見せにきたのかと思ったらオレに持ってきたと言う。
礼を言う間もなく走り去る。ふふ)
指先が震えた。
順番は分からないが、とにかく読めるものから次々と目を通す。
(小夜左文字を見事導くあやつに感銘を受ける。見事だと、素直に伝えればまた逃げてしまった。
しかし見えてしまったぞ?
布の隙間からはにかむお主が。
──困ったものだ)
どきりとする。
三日月は、調子にのった自分に呆れた時もあったのかと。
しかし、山姥切が思う懸念とは全く違う方向に文は続いた。
(お主が愛おしい)
「────」
彼の断片を取り戻そうと必死に漁っていた手も止まり、思考も固まる。
(あらゆるお主が愛おしい。
愛おしくてならぬ。
心はままならず、
時折見せるお主の花笑みに、何度も告げてしまいそうになる。)
「‥‥三日‥月」
(憎まれ口を言いながら、こちらに気付けばお主は無防備に走り寄る。
オレの欲に、お主が気付くのがそら恐ろしい。)
頬が熱くなり、背中に得体の知れない汗が滲む。
いつも優しげな笑みを浮かべていた彼からは想像もつかなかった。
そして、何も分かっていなかった、知らず彼に負担だけを強いていた事実に打ちのめされる。
別の文に目を落とす。
他の物に比べ古いのか、より劣化が激しい。
これ以上彼の苦悩を知るのが恐い反面、無知でいる自分を許せない気持ちもあった。
ともすればバラバラに砕けそうな古紙をそっと捲る。
(離れの庭先でうまずたゆまず刀を振るあやつを見た。
出陣先で遡行軍の奇襲に遭い、重傷者が出たそうだ。
誰もが予測しえなかったこと。
そういう事もある・・・そこへ出陣しなかった者達は皆そう結論づけた。)
覚えている。
山伏国広が折れそうになり、己は近侍に不適任だと責めていた頃だ。
三日月に励まされ、それからは修行に読書にと明け暮れた。
「もう丑三つ時だぞ?そろそろ休まんか」
夜は誰も使わないこの場所にいることを、何故彼が知っていたのかは分からない。
「あんたこそ、何でこんな所にいる。何かあったのか」
「いや、そうではない。だがな、山姥切よ。
焦りもあろうが休息も大事だぞ?今や人の身だ。刀であった時のようには」
「心得ている。別に焦ってはいない」
ヒュ、と刀を振り収め、その日は言われた通りに部屋へと戻った筈だ。
「ただオレはいつも思うだけだ」
「(諦めてたまるか)」
記憶が、彼の手記に重なり合う。
ひらひらと舞う藤の花弁が何枚も手の甲に落ちてきた。
(あやつは口グセのようにそう繰り返す。
戦だけではない。
言うことを聞かない馬の躾。
もう枯れるだろうと皆が諦めた畑の苗。
万事においての信念か。
浮舟の如きこの日々で、
その何気ない言葉に)
喉が干上がる
鼻の奥がツンと痺れる
(どれだけ救われたか)
「ーーーーッ」
瞳から大粒の涙が溢れた。
沢山の事を教わって、情をもらって、なのに何も、何ひとつ返せていないと、そう思っていて。
「ッ・・・うっ・・・うぅッ」
嗚咽が止まらない。
ボロボロと溢れる水が文を壊してしまいそうで、胸に抱え込みうずくまる。
(清き心にどれだけ焦がれたか。
それ故に、許しておくれ)
「なっ・・・んでッ・・・」
何を謝るのか。
こちらとて何度憧れ、救われ、恋慕ったか知れないのに。
(この穢れた想い、遥か彼方へ置いていくことを)
「三日月ッーー!!」
立ち上がり、藤の真下へ駆け出した。
胸に抱えた文を握り潰す勢いで、涙を拭い、天を仰いで宣言する。
「ックソジジイ!!迎えに行くぞ!!行ってやる!!あんたの文は確かに受け取ったんだからな!」
風が荒れ、木々はざわめく。
山姥切はその場に両膝を付いて叫びを上げた。
「諦めてたまるか!!」
視界を埋め尽くす藤の花が、只ざぁざぁとその言葉を祝福するように揺らめいていた。
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