2022/08/16 苦労と不幸
最近、転職先について周りから心配されることが多い。
「途中まで安定してたのに変なところにいったね」と母から言われた。
「お前は変わった経歴を積んでくのが好きなんか?」と父から聞かれた。
友人からも「デザインってブラックなイメージあるけど大丈夫?」などなど何度か聞かれた。
私は間違えてしまったのかなあとここ数ヶ月よく思う。
中学受験をし、大学受験でもそこそこの大学に受かり、留学などに励み。
確かに途中まで私は安定ルートだった。
ただ、大学の途中から「お金を持たないこと」に興味を持ってしまった。
「稼ぐことの動機」に嫌悪感を抱くようになった。
「ワクワク」を信じ込むようになってしまった。
「おもしろいこと」の我慢ができなくなってしまった。
もしかしたらそれは、世の中を知ってから手を出すべきものだったのかもしれない。
青い私にはモラトリアムを助長するものだったのかもしれない。
社会の仕組みもわからぬまま、働くことの意味を知らぬまま、突き進んでしまった。
中途半端に、生き方を決めたりなんかせず、これまで通りに安定した職業を選んでおけばよかったのかもしれない。
社会人になり一人暮らしを始め、毎月かかる費用に向き合わされる。
税金や家賃に焦らされる。
ただ生きるだけで毎月これだけかかるのかと驚愕する。
私はお花畑だったんだなあと痛感させられる。
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会社をたたみ、経済的に豊かではなくなった父と母。
父は時折、私たちへの金銭的負担について自虐的に申し訳なさそうにする。
母は昔はこうだったのにねえ、○○ちゃんはお金の苦労がないからねえ、などとこぼす。
私は「お金がなくても私は幸せだよ」と父と母に示したかったのかもしれない。
家を売りマンションになっても、生活が不便になっても、学費を自分で出さなきゃいけなくなっても、私は不幸なんかじゃなかった。
大変な状況の中明るく楽しく過ごすことを努める父母を尊敬していた。たとえ貧乏になっても幸せに暮らせるんだって教えてもらった。
それなのに、私が稼げない仕事を選んでしまったことを、どこか残念そうにしているのを見ると、私は悲しくなる。
私は間違えたのかなと不安になる。
もしかしたら、私が選ぶべきは「お金がなくても幸せになれることの証明」ではなく、「安定して稼げる職に就き、親を安心させること」だったんじゃないかと思ってしまう。
自分で学費を払ったときも、私は父に対して「見て!私自分で払えるくらいになったんだよ!」と褒めてもらいたい気持ちだった。
けれど、父は娘に学費を払わせたことを申し訳なさそうにしていた。きっと私は、彼の父親としてのプライドを傷つけてしまった。
その時にも(あれ、私間違えたのかな…)と不安になった。
次の仕事の稼ぎは十分じゃないかもしれない。
けど私は、お金の苦労はするだろうけど、でも決して不幸じゃないんだよって示していきたかった。